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2014年11月22日(土)
今、豊田市の稲武郷土資料館にいます。場所は道の駅どんぐりの里いなぶの南西約3.5キロの国道153号線沿いです。
土雛の展示に変わりました。土人形とか泥人形と呼ばれることもあり、素朴な美しさが魅力的で全国にたくさんの土人形が残されています。
これは静御前と武田勝頼です(写真①)。
戦前は有名だったのですが、戦後はすっかり忘れられた感のある武内宿禰です(写真②)。 左は「蛍狩りの深雪」、右は「八重垣姫」です(写真③)。八重垣姫はこういう人形としてよく見かけますが、元々は浄瑠璃や歌舞伎に登場した有名な人物なのです。かなりの女傑です。 明治天皇と馬乗り鎮台です(写真④)。時代を反映した人形です。それは現代も同じです。
左は和藤内、右は神功皇后です(写真⑤)。和藤内と言っても知らない人が大半でしょう。あの浄瑠璃や歌舞伎の国性爺合戦の主人公です。神功皇后も段々と忘れられようとしています。
花魁、大石内蔵助、巫女です(写真⑥)。大石内蔵助も歌舞伎の忠臣蔵や映画などですっかり有名になりました。今でも討ち入りの日に当たる12月14日前後に忠臣蔵の映画が放映されています。 さすがに、主君の仇討ちも最近の若い人には共感が得られなくなってきたと思います。そんなアホな主君のために死ぬのは馬鹿馬鹿しいとか、放っておいてもじきに死ぬような年寄りを殺して47人も切腹するのはそれこそ無駄だとか、まあ、働き方改革の進む現代を反映しているのでしょう。それはそれでいいことだと思います。
西行法師、花魁です(写真⑦)。西行がなぜこんなに人気があったのか今となっては分からなくなりました。 子供、ダルマ、小さなサンタクロース、猫、狸、トラックまでありました(写真⑧)。昭和の頃のもので、土人形もぼつぼつ生き残りをかけていろいろ模索していた時代かもしれません。 3体全部が平敦盛かどうかは分かりません。敦盛も忘れられようとしています(写真⑨)。 右2体が三番叟です(写真⑩)。ぼけましたが左の2体がかわいいですね。
左の乃木大将は戦下手、愚将などと言われる一方、名将、質素謹厳の代名詞とも表される傑出した人物でした。昨今は乃木希典を何と読むかも分からない人も増えたようです。
右の娘はかわいい顔をしていますね。京人形のような別嬪よりもこちらの方が好まれるかもしれません(写真⑩の2)。
左は太閤と三法師、右は牡丹童子です(写真⑬)。太閤秀吉は本能寺の変の後の跡継ぎ決定会議で信長の孫の三法師をこういうように担いでいたのでしょう。中央は金太郎、左右は桃太郎です(写真⑪)。 これは何でしょう(写真⑫)。右隣にある桃太郎の家来が荷車を引いているとすると猫はおかしな存在です。 三法師は織田秀信というのが本名です。関ヶ原では西軍について大敗、高野山に追放となりますが、高野山からも恨まれており、行き場を無くして自害しています。この人形を見るといささか切なくなります。
楠木正成像です(写真⑭)。戦前は大楠公と持ち上げられ、南朝を支えた英雄でした。現在も当時としては最高級の軍事戦略家とされます。 残念ながら楠が使えた後醍醐天皇やその取り巻きは世間知らずで気位だけは高い貴族、普通の武士だと「こんなのについて行けない」と見切るところですが、できなかったのが楠の限界、あるいはしなかったのが楠の美徳とされます。 鶏、童女、洋風の人形、虎、右端は福禄寿です(写真⑮)。福禄寿は七福神の一人なのですが、寿老人とともに影の薄い存在です。 鯛を抱いている子供は何というのでしょう。中央は金太郎、後方左は子守、右の優雅な女性の首が切れてしまいました(写真⑯)。 土人形の展示は続きます。 続く
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