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2014年11月22日(土)
今、豊田市の稲武郷土資料館にいます。場所は道の駅どんぐりの里いなぶの南西約3.5キロの国道153号線沿いです。
今いるのはこういうところです(写真①)。
戦前は日本全国で盛んに養蚕が行われていました。その元になるお蚕さんの一生の話です(写真②)。 養蚕農家は蚕の卵を買ってきます。良質の卵は専門業者でないと育成が困難だからです。しばらくすると孵化し1齢幼虫が出てきます。3日間で3ミリの幼虫が7ミリになるから驚きです(写真③)。 5齢幼虫まで育てるのですが、蚕棚でひたすら蚕の葉を配ります。右の写真のように白い芋虫のような幼虫になっていきます(写真④)。 脱皮直後の3齢幼虫です(写真⑤)。 4齢幼虫と5齢幼虫です(写真⑥)。花壇を作っている人は蝶や蛾の幼虫が孵化直後と比べるとびっくりするほど大きくなっているのを見かけたことがあるでしょう。 5齢幼虫はやがて繭を作ります。その作る場所がまぶしですが、明治以後の大量生産のおかげで究極まで進化したまぶしがこの回転まぶしです(写真⑦)。 蚕がたくさん集まって来て、ある一角の枠が蚕で詰まると、重みでからの部分が上になるように回転します。
蚕は上に上ろうとする習性があるため、人が手を加えないでも回転まぶしの枠は全部蚕で埋まるという仕組みになっています。これが省力化になりました。
これがまぶしを登る蚕です、もう繭を作りかけているのもいます。右は繭です(写真⑧)。
作った繭の中の様子です(写真⑨)。蚕も昆虫ですから中でサナギになって体の作り替えをしています。多くの繭はこの状態で鍋で煮られます。養蚕という農業だからです。 一般の農家では繭はすべて煮ますが、専門の蚕の卵販売業者はこれを孵化させます(写真⑩)。中からは蚕の成虫である蚕蛾が出てきます。品種改良が進んでいるため成虫はもう飛ぶことはできません。
本の養蚕は輸出のため生産量が劇的に増えた明治以降、養蚕技術も飛躍的に進化しました。これは明治以降の養蚕道具です(写真⑫)。
成虫は交尾をして産卵します。卵を繭に産み付けています(写真⑪)。 糸車です。生糸や木綿糸に手で撚りをかけて巻き取る道具です(写真⑬)。 糸車をこの角度から見るのは珍しいかもしれません(写真⑭)。 繭を出荷するときに使った籠です。天秤棒で2個担ぎました(写真⑮)。 これが何だか分かりますか。「桑扱き」という名札が付いています。桑の枝から葉をむしり取るときに使ったようです(写真⑯)。 これは蛇籠といい、中に袋を入れた上で繭を入れて運びました(写真⑰)。 養蚕の話は続きます。
続く
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