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2014年11月22日(土)
今、豊田市の稲武郷土資料館にいます。場所は道の駅どんぐりの里いなぶの南西約3.5キロの国道153号線沿いです。
ワラなどで編んだ「せご」と呼ばれる袋です(写真①②)。山仕事の道具を入れて背中に担ぎました。
昔使われた木製の鍬(くわ)です。やがて、土に直接当たる刃の部分だけが金属になり、さらに今もあるような全金属製の刃になります(写真③)。 これは写真③の鍬を作るときに使った道具です(写真④)。右の道具は銑(セン) と呼ばれる桶屋の道具かと思ったのですが、鍬を作るときにも使ったようです。曲線を削る道具なので出番があったのでしょう。 砧(きぬた)と叩き台です(写真⑤)。元々はアイロンの無い時代に半乾きの布を叩き台に乗せて砧で打って柔らかくしたり皺を伸ばしたりしたのです。 きぬたは本来は「きぬいた」だったのですが、どこかで「杵(きね)」と混線して「きぬた」という和語になったようです。
フランスで使われたギロチンのような感じですが、桑切器です(写真⑥)、桑切包丁も使うのですが、蚕を大量に飼うようになるとこういうものも必要になったのです。 足踏み式製糸機です(写真⑦)。古くさいように見えますが、近代的な製糸工場で動いている動力式製糸機と原理は同じです。 さらに言えば、昔、お婆さんが囲炉裏のそばで鍋で繭を煮て生糸を撚っていたのと方法自体は同じと言うことです。
これが足踏み式製糸機です(写真⑧⑨⑩)。下の方にある鍋で繭を煮て糸口を見つけ数本を引っ張って機械にかけると撚りをかけながら上にある糸枠に巻き取ります。 より均一の生糸ができるという点では機械の方が勝るようです。
お婆さんが囲炉裏の横で糸を撚っていた時に使ったのはこの糸車でした(写真⑪)。 織物は縦糸と横糸で織っていきます。これは筬(おさ)で、櫛状の隙間に縦糸を1本ずつ通して整えます。気の遠くなるような根気のいる作業です(写真⑫)。 機織り機に付けられた2枚の筬を交互に上下させてできた隙間に横糸を打ち込むのがこの杼(ひ)です。シャトルと呼ばれることもあります(写真⑬)。 「はたくさ」です(写真⑭)。初めて見たのですが、下の束になった板がはたくさだと思われます。「機織りの時、縦糸を巻き付けるのに、間に入れて糸が絡まないようにする」という解説がありました。これだけ読んでもどう使うか想像できないという感じです 左は機織り用物差しです。丸い竹のようなものや曲がった木片という感じのものです。右は「張り竹」と言い、布が縮まないようにするために使ったということです(写真⑮)。 さて、これが機織り機です。ちゃんと糸も張られていて今にでも動きそうです。(写真⑯)。 続く |
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2014年11月22日(土)
今、豊田市の稲武郷土資料館にいます。場所は道の駅どんぐりの里いなぶの南西約3.5キロの国道153号線沿いです。
炭俵です(写真①)。今もホームセンターで売られていて特別珍しいものではありません。
こういう展示がありました。右5本は炭焼き道具です。左2本はトビとツルで木材搬出等に使われます(写真②)。 左4本は大小の鎌です(写真③)。このくらいの大きさの鎌になるともう薙刀のような感じです。山深いところでこういうものを持った人に出会うと身の危険を感じるでしょう。 こういう作業の様子、テレビで見たことがあるでしょう(写真④)。枝打ちをしています。 木馬(きんま)を使って丸太を搬出しています(写真⑤)。 炭焼きの現場です(写真⑥)。 中央は鎹(かすがい)です。木の搬出の時や足場を組むときに使うのですが、現在ではコの字型の小さいかすがいが配線や部材の連結にも使われます。 「子はかすがい」という言葉はまだ健在です(写真⑦)。
中央の一列は鉈(なた)です(写真⑧)。 木の皮をむく道具です(写真⑨)。 焼き印を付ける刻印、墨壺です(写真⑩)。 かんじきです(写真⑪)。 手鉤もありました(写真⑫)。手鉤は今も色々なところで使われています。 上は釿(ちょうな)です。手斧とも書くことがあります。木の皮を剥ぐほか、鉋(かんな)の代わりとしても使われました。下は笹鉋(ささかんな)と言い、槍鉋の一種ですがより細かい作業用と思われます(写真⑬)。 鞴(吹き子、ふいご)がありました(写真⑭)。鍛冶屋の使う指物の送風機です。 左は鍛冶屋の使う道具、中央下は鍛冶屋が作りかけの包丁などでしょう(写真⑮)。 鍛冶屋が使う金槌とそれを並べておく台です(写真⑯)。 地獄絵図にも出てきそうな「やっとこ」です(写真⑰)。 続く |
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2014年11月22日(土)
今、豊田市の稲武郷土資料館にいます。場所は道の駅どんぐりの里いなぶの南西約3.5キロの国道153号線沿いです。
養蚕の道具の続きです。蚕が繭を作るまぶしです(写真①)。
生糸です(写真②)。真珠のような美しい色です。どの繭からでもこういう上質の糸ができるわけではないようです。 蚕の原種だと言うことです(写真③)。蚕は有史以来家畜化され、世界中に在来種や原種がいます。それを交配し選別したのが今飼われている品種の蚕です。 野蚕というややこしいものもあるようです。詳しく調べれば際限なく楽しい話になるでしょう。
カルトンが登場しました(写真④)。養蚕では成長して糸を出すようになった5齢幼虫をカルトンに拾い上げてまぶしに移しました。カルトンはフランス語由来で皿、盆、トレイと呼ばれるものと同義です。 繭です(写真⑤)。 これは何でしょう。真綿でしょうか(写真⑥)。 真綿は綿ではなく蚕の繭から作ります。これが真綿製造具です(写真⑦)。 名札の解説には「枠を使って玉繭や屑玉を引き延ばし真綿を作る」とあります。玉繭とは2匹以上の蚕が作った1個の繭です。屑玉とはできが悪くて商品化できない繭です。
これが解説にあった玉繭から作った玉糸です(写真⑧)。太くて節があるのが特徴です。真綿や銘仙の原料になります。 銘仙と言っても知らない人が増えましたが、戦前に女学生がよく来た矢羽根絣の多くは銘仙という織物です。比較的安価だったため人気を博したようです。
繭を入れる袋です(写真⑨)。和紙に柿渋を塗っているのでこういう色になります。 繭1個の重さを測る繭秤です(写真⑩)。下の方に左に伸びる腕に目盛りが刻んであり、これで精度を出すようです。 わざわざ繭1個の重さを量るのは、繭の全量の重さと、繭を切開して中にあるサナギ殻を取り除いたときの重さを知るためです。20粒ほどの繭を測って平均値で繭の取引が行われることになります。
これで養蚕の話は終わりです。皇室では皇后陛下が今も養蚕の技術を伝えています。日本国中で再び養蚕が盛んにある日が来れば東京一極集中も解消できるのですが。 山仕事の展示になりました(写真⑪)。例によって詳しく紹介しましょう。
これは木馬(きんま)です。木材を運搬するソリの一種ですが、丸太を進行方向に直角に並べた木馬道の上を滑らせて運びます(写真⑫)。木馬の搬出作業はとても危険でした。 チェーンソーです(写真⑬)。日本語では自動鋸とか鎖鋸と呼ばれます。1929年頃に発明され、日本に入ってきたのは戦後でした。と言っても初期型はアメリカからの輸入品、小柄な人が多い日本では使いにくいものでした。 一番上の幅広なのが木挽き鋸という縦挽き鋸、他の細身の鋸は伐採用の横挽き鋸です(写真⑭)。 刃広です(写真⑮)。文字通り刃の幅が広く、斧の一種です。伐採用ではなく木の皮をむいたり割ったり表面の仕上げ用に使ったのではないかと思います。 これは伐採用の切りヨキです(写真⑯)。ヨキは斧と同義、又は刃の幅が細くて長い斧を指すようです。 杣用の曲尺です(写真⑰)。杣(そま)という言葉も死語になりました。林業従事者を指すことが多い言葉です。 丸鋸です(写真⑱)。これは横挽きです。 続く |
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2014年11月22日(土)
今、豊田市の稲武郷土資料館にいます。場所は道の駅どんぐりの里いなぶの南西約3.5キロの国道153号線沿いです。
養蚕の道具の続きです。
中央の目の細かい大きな籠は桑を運んだ背負い籠と思われます(写真①)。
右は蛇籠で繭を運ぶもの、左は小さめの籠ですが、童謡の赤とんぼに出てくる小籠はこのくらいの大きさだったでしょうか(写真②)。 葉が反り返った恐ろしげな包丁がありますが、桑切包丁です(写真③)。 これは桑切鎌です。桑の葉や枝を切る鎌です(写真④⑤)。 桑扱き器です(写真⑥)。桑の葉をむしり取る道具で、これを片手に持ち、もう一方の手で枝を引いて葉をむしり取ります。 たくさんの火鉢がありました(写真⑦)。蚕室を暖めて蚕の成長を促したのです。 奥にある焦げ茶色の筒は炭を入れる籠です(写真⑧)。 これは「撚車」という名札が付いています(写真⑨)。奥が紡錘、手前の車が紡錘車です。 毛羽取り器です(写真⑩⑪)。 桑切板です(写真⑫)。 切った桑はこの籠に入れて運び、蚕に与えました(写真⑬)。 孵化したばかりの蚕は毛蚕と呼ばれ黒の長い毛で覆われた小さい虫です。これが毛蚕です(写真⑬の2)。 それをかき集めるときに使ったのがこの羽根掃きです(写真⑭)。
蚕種催青枠です(写真⑮ 。催青という言葉も死語に近くなりました。蚕の卵を孵化させることをいいます。孵化の前日に卵が青くなるので催青と呼ぶそうです。
伝染病の防止等のため、一般の農家では専門業者から種紙に産み付けられた卵を仕入れましたが、それを暖めて孵化させるのは農家の仕事でした。
これは蚕の雌雄選別器です(写真⑯)。右端は蛾輪と言って蚕蛾卵を産み付ける器です。 この解説を読むと、雄と雌を鑑別した上で他種を選んで交配させたようです(写真⑰)。 続く |
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2014年11月22日(土)
今、豊田市の稲武郷土資料館にいます。場所は道の駅どんぐりの里いなぶの南西約3.5キロの国道153号線沿いです。
今いるのはこういうところです(写真①)。
戦前は日本全国で盛んに養蚕が行われていました。その元になるお蚕さんの一生の話です(写真②)。 養蚕農家は蚕の卵を買ってきます。良質の卵は専門業者でないと育成が困難だからです。しばらくすると孵化し1齢幼虫が出てきます。3日間で3ミリの幼虫が7ミリになるから驚きです(写真③)。 5齢幼虫まで育てるのですが、蚕棚でひたすら蚕の葉を配ります。右の写真のように白い芋虫のような幼虫になっていきます(写真④)。 脱皮直後の3齢幼虫です(写真⑤)。 4齢幼虫と5齢幼虫です(写真⑥)。花壇を作っている人は蝶や蛾の幼虫が孵化直後と比べるとびっくりするほど大きくなっているのを見かけたことがあるでしょう。 5齢幼虫はやがて繭を作ります。その作る場所がまぶしですが、明治以後の大量生産のおかげで究極まで進化したまぶしがこの回転まぶしです(写真⑦)。 蚕がたくさん集まって来て、ある一角の枠が蚕で詰まると、重みでからの部分が上になるように回転します。
蚕は上に上ろうとする習性があるため、人が手を加えないでも回転まぶしの枠は全部蚕で埋まるという仕組みになっています。これが省力化になりました。
これがまぶしを登る蚕です、もう繭を作りかけているのもいます。右は繭です(写真⑧)。
作った繭の中の様子です(写真⑨)。蚕も昆虫ですから中でサナギになって体の作り替えをしています。多くの繭はこの状態で鍋で煮られます。養蚕という農業だからです。 一般の農家では繭はすべて煮ますが、専門の蚕の卵販売業者はこれを孵化させます(写真⑩)。中からは蚕の成虫である蚕蛾が出てきます。品種改良が進んでいるため成虫はもう飛ぶことはできません。
本の養蚕は輸出のため生産量が劇的に増えた明治以降、養蚕技術も飛躍的に進化しました。これは明治以降の養蚕道具です(写真⑫)。
成虫は交尾をして産卵します。卵を繭に産み付けています(写真⑪)。 糸車です。生糸や木綿糸に手で撚りをかけて巻き取る道具です(写真⑬)。 糸車をこの角度から見るのは珍しいかもしれません(写真⑭)。 繭を出荷するときに使った籠です。天秤棒で2個担ぎました(写真⑮)。 これが何だか分かりますか。「桑扱き」という名札が付いています。桑の枝から葉をむしり取るときに使ったようです(写真⑯)。 これは蛇籠といい、中に袋を入れた上で繭を入れて運びました(写真⑰)。 養蚕の話は続きます。
続く
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