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2014年11月22日(土)
今、豊田市の稲武郷土資料館にいます。場所は道の駅どんぐりの里いなぶの南西約3.5キロの国道153号線沿いです。
ここには県指定文化財となっている人形浄瑠璃の首と衣装が展示されています。まずは解説です(写真①②)。農村歌舞伎は各地に残っていますが、人形浄瑠璃となると数は少なくなるでしょう。解説では明治8年以降演じられなくなったようです。
首と衣装は県指定文化財でした(写真③)。 こういう展示です(写真④)。 人形浄瑠璃の人形はこういう格好をしていたのです(写真⑤)。多くのひな人形も着物をはぎ取ると首と手足、骨組みだけになります。 衣装や台本です(写真⑥)。 台本は簡単には読めません。慣れると漢字の多い日本語だと分かります(写真⑦⑧)。 舞台の絵と人形です(写真⑨)。 いささか恐そうな人形です(写真⑩)。 道化の方は見るからに面白そうな顔をしています(写真⑪⑫)。 これは狢(ムジナ)です(写真⑬)。 往時の写真です(写真⑭)。 何だか鬼気迫るような雰囲気です(写真⑮⑯⑰)。 人形浄瑠璃の展示は続きます。 続く
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2014年11月22日(土)
今、豊田市の旭郷土資料館にいます。場所は豊田市役所旭支所の北東約1.6キロです。
再び角樽です(写真①)。
各種自在鉤です(写真②)。 天秤棒です(写真③)。 さて、これで資料館の中の見学は終わりです。外に出ました。色々なものが展示されています。まずは郵便ポストです(写真④)。 左は手洗鉢、右は餅つき臼です(写真⑤)。 籾摺り用の土臼です(写真⑥)。 紙漉き臼です(写真⑦)。底が浅くて平らだというのですが、蓋を外した写真を撮り忘れました。 手前は石臼のすりつぶす面です。構造がよく分かります。奥が写真⑦と同じ紙漉き臼でしょうか(写真⑧)。 ここは元は浅野中学校でした。統合により平成8年に閉校しています。校庭の片隅にこういう焼却炉がありましたね(写真⑨)。 中学校当時の流しです(写真⑩)。 藤棚の下に石の卓と椅子、往時の子供たちの賑やかな声が聞こえてきそうです(写真⑪)。 こういう碑もありました(写真⑫)。 さて、1410時になりました。見学が終わり出発、ここから国道356号線に入り東進、途中で国道257号線に入って南下、さらに国道153号線に合流して西進、豊田市黒田町南水別にある豊田市稲武郷土資料館を目指します。 1450時、稲武郷土資料館着(写真⑬)。国道のすぐ北側に富永ダムがあります。
すぐ近くに造り酒屋があるようです(写真⑭)。 では資料館の中を見学しましょう(写真⑮)。すぐ左側に何やら生首がたくさんあります。 よく見ると生首ではなく人形浄瑠璃の人形の頭でした(写真⑯⑰)。 詳しいことは次回で紹介しましょう。 続く
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2014年11月22日(土)
今、豊田市の旭郷土資料館にいます。場所は豊田市役所旭支所の北東約1.6キロです。
奥にあるのは脇息です(写真①)。
往時の商店や旅館の看板です(写真②)。 中央の看板は「備荒蓄倉」となっています。飢饉や災害に備えて食料などを蓄えておく倉庫だったと思います(写真③)。
昨今は大地震や大津波の備えとして色々な対応が行われていますが、昔も天災地変は頻繁に起こり、それへの備えもしていたのです。
左は商人宿の看板、右はたばこ仲買業の看板です(写真④)。この商人とは行商人のことだと思われます。タバコは1904年に専売制に移行していますからそれ以前のものと思われます。 中央は寿司箱です(写真⑤)。 寿司箱の解説もありました(写真⑥)。どこの家にも寿司箱があって祝いの時に自力で作っていた時代があったのです。 この竹の筒は何だったでしょう。しゃもじ入れがよく似た形をしているのですが(写真⑦)。 往時のカバンがあります(写真⑧)。 こういうのを信玄袋と言ったと思います(写真⑨)。明治中期に世に出たもので、信玄との関係は不明のようです。 銭箱です(写真⑩⑪)。 銭箱の解説もありました(写真⑪の2)。 往時のそろばんです(写真⑫)。室町時代に日本に入ってきたそろばんは上2個、下5個でした。 江戸時代に入ると上の珠が一つ省略されこの写真のようになりました。さらに下の珠が4個になったのは昭和10年頃です。学校で算盤を正規に教えるときに算盤の規格を定めたのです。
最近は算盤塾が減ったような気がします。
角樽と呼ばれる容器です(写真⑬)。祝い事の席に酒を入れて持って行くものは赤く塗っていることが多いのですがこれは何も塗っていないようです。 これは何でしょう。展示に並びからすると銭箱の一種と思われます(写真⑭)。 箱火鉢がありました。灰が入っていないので中の様子がよく分かります(写真⑮)。 長火鉢です(写真⑯)。商家でよく使われました。 陶製の火鉢です(写真⑰)。陶製でこういう四角いものは珍しいと思います。 これも並びからすると火鉢の一種でしょう。もしかしたら傘立てだったかもしれません(写真⑱)。 続く |
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2014年11月22日(土)
今、豊田市の旭郷土資料館にいます。場所は豊田市役所旭支所の北東約1.6キロです。
扇、奥はがま口です(写真①)。
カメラがありました。左はヤシカ製の二眼レフ、右はミノルタ製のセレン受光素子付きのレンジファインダーカメラです(写真②)。 二眼レフは構造が簡単なので多くの機械メーカーが参入しました。大判フィルムを使うので結構写りもよかったのです。
焼き物の鉢です(写真③)。右の名札が読めたら何焼きか分かったかもしれません。 こういう鉄鍋は今もありますが、取っ手が違うでしょうか(写真④)。鍋で一番壊れやすいのは取っ手です。 わら製の雪沓です(写真⑤)。 雪駄と呼ばれる草履です(写真⑥)。草履(ぞうり)にかかとを付けて底全面に防水加工をした履き物です。 雪駄のつま先におおいを付けた履き物です(写真⑦)。今でも見かけることがあります。 下駄は滅多に見かけなくなりました(写真⑧)。ハイヒールと違って足全体が上に持ち上がり、普段感じるのと違う高さ感覚を簡単に体感できる優れものです。 薬研がありました(写真⑨)。 昔懐かしい椅子です(写真⑩)。 各種看板と言ったらいいでしょうか(写真⑪)。 富山県の薬屋の名が入った薬を入れる箱です(写真⑫)。いわゆる置き薬をこの箱にしまったのでしょう。 枕の解説です(写真⑬)。仕込み道中枕というのは初めて見ました。往時は相部屋の雑魚寝と言うこともあって常に盗難の恐れがあり、貴重品をこの中に入れて寝たのかもしれません。 これは陶器製の枕です(写真⑭)。かなり凝った焼き物です。 これは木製の枕です。へこんだ部分に柔らかい緩衝材を入れます。高くて首を寝違えそうですが、寝るときは敷き布団の外に枕を置いたので、実際にはそれほど高くはなかったようです(写真⑮)。 続く |
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2014年11月22日(土)
今、豊田市の旭郷土資料館にいます。場所は豊田市役所旭支所の北東約1.6キロです。
水瓶です(写真①)。
茶の間の端に接して土間に作られた囲炉裏です(写真②)。よく見ると、囲炉裏ではなく火鉢だったようです。 写真②が火鉢である証拠です。火鉢の解説がすぐそばにありました(写真③)。陶器の火鉢もたくさんあります。 槽(ふね)です。名札によると昔、穀類を扱う店がこういう槽に商品を入れて店頭に並べていたようです(写真④⑤)。中にあるL字型の道具がなんであるか分かりません。 さて、左は電気オーブン、右は電気トースターと思われます(写真⑤)。パンは好みでないのですが、このト−スター、切った食パンしか焼けず、数ある電気製品の中で一番役に立たない道具だと感じました(写真⑥)。 電気炊飯器です。まだタイマーがついていないようです。電気炊飯器にタイマーがついたとき、「これは女を怠け者にする道具だ。寝ていても飯が炊ける」と言った人がいたそうです。
かまどはつきっきりでないといけませんから(写真⑦)。
一斗枡だと思います。約15キロ、重いので対角線の持ち手がついています(写真⑧)。 これは円筒型の一斗枡です(写真⑨)。 名札が読めなくなったのでよく分かりませんが、形からすると昔の流し台だったと思われます(写真⑩)。牛馬の飼い葉桶もこういう格好をしていました。 この箱は何だったでしょう。豆腐を作る道具だったでしょうか(写真⑪)。 中央の豪勢な灯火は雪洞(ぼんぼり)だと思われます(写真⑫)。 「覆いのある明かり」という解説です(写真⑬)。
よく見かける灯油ランプです(写真⑭)。 これはカーバイトガスランプでしょうか(写真⑮)。 これは龕灯(がんどう)と呼ばれます(写真⑯)。本体の中央に仕掛けがあり、本体をどう動かしても光源のろうそくが常に上を向くようになっています。現在の懐中電灯に近いものでした。 続く |



