よねちゃんの車中泊旅行記

4月22日、はてなブログ「よねちゃんの花日記」に移行しました。車中泊旅行記もそちらで継続しています。

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    2014年11月16日(日)
 
  今、大垣市上石津町の上石津郷土資料館にいます。場所は名神高速関ヶ原ICの南約8キロの山中です。
 
  農家に関する展示になりました。これは左からつまぐつ、ふじはばき、ワラジです(写真①)
つまぐつは、外観からすると寒冷期に足のつま先に装着して歩いたと思われますが違うかもしれません。
  
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  農家の庭という解説を紹介しておきましょう。多くの場合、家の中の土間のことを庭と呼びます。そこは、作業場、通路、台所、場合によってはゴザを敷いて寝るところでした(写真①の2)。  
  文中の「叩き固められる」というのは三和土のことでしょう。ここに水を撒いても元の土には戻りません。
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  左から藁沓と藁沓編み機、蓑、草履です(写真②)。
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  炭俵です(写真③)。
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  餅つき杵です(写真④)。
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  ザル、しょおけ、ふるいです(写真⑤)。「しょおけ」という言葉は各地にあり、基本的にはザルの一種です。
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  色々なものが雑然と並んでいます。餅つき臼と杵、藁沓、俵編み機です(写真⑥)。
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  たくさんの樽や桶です(写真⑦)。
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  水甕と味噌桶です(写真⑧)。一般家庭にあるものでは一番大きい容器でした。
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  この竹細工は「団扇差し」という名が付いていますが、杓子や杓文字も差し込みました。すり鉢とすりこ木もすっかり出番がなくなったように思います(写真⑨)。
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  この戸を何と呼んだでしょう。2重構造で、1枚飛ばしの半分は固定、残りは連結されていて、手で横に動かすとこの面積の半分だけが横に動いて開くのです(写真⑩)。
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  流しです(写真⑪)。
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  農家の囲炉裏の模型展示です(写真⑫)。例によって詳しく紹介しましょう。
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  まずは農家の台所の解説です(写真⑬)。
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  蒸籠、米櫃、炭箱です(写真⑭)。
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  囲炉裏です(写真⑮)。こういう生活スタイルは現在の人に向かないかもしれません。座らないといけない、大人数、火を焚かないといけない、煙い、部屋中が焦げ茶色になるなどなどの理由からです。
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  続く
 
    2014年11月16日(日)
 
  今、大垣市上石津町の上石津郷土資料館にいます。場所は名神高速関ヶ原ICの南約8キロの山中です。
 
  御当地は関ヶ原にすぐ近いところです。そこで1600年に行われたのが関ヶ原の合戦です(写真①)。
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  そのとき敗走した島津義弘は西伊勢街道を通り、山を越えて滋賀県の多賀神社前を通っています(写真②③)。現在の国道365号線ではなく、その西側の山道でした。
  当資料館のすぐ西側に今もその道があるようです。案内したのは小林新六郎でした。
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  この小林新六郎があの木曽義仲と巴御前の子孫ということで義仲と巴御前の肖像画が展示されています(写真④)。
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  これは敗走する島津軍のしんがりを務めた島津豊久の甲冑です。豊久は義弘の甥で御当地で重症を負って自害しています(写真⑤)。
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  さて、次の部屋に移動します。写真で見ると廊下の両側に不思議な紋様が出ています(写真⑥)。
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  おむすび博のポスターです。この催しは毎年一ヶ月間以上行なわれるそうです(写真⑦)。「結ぶ」というのがキーワードのようで、ご飯のおにぎりが中心ではないようです。
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  内部の様子です(写真⑧)。
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  こういう展示がありました。神燈と書かれた提灯が飾られ、下に俳句の短冊がぶら下がっています(写真⑨)。上野八朔祭りと呼ばれます。
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  奥の写真に「大神宮」があり、その前に写真⑨の提灯があり、八朔祭りはこの神社の祭礼と分かります(写真⑩)。
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  祭の山車と思われます(写真⑩の2)。
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  こういう「伝統芸能」の解説がありました(写真⑪)。
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  展示されていたのは笛、太鼓やささらでした。このささらは茶筅を長くしたようなもので、よく見かける「こきりこササラ」とは異なります(写真⑫)。
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  これは獅子舞ですが、ササラを振っています(写真⑬)。
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  これは八朔祭りの雨乞いの鼓笛隊でしょうか(写真⑭)。
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  では次に行きましょう。
 
  続く
 
    2014年11月16日(日)
 
  今、大垣市上石津町の上石津郷土資料館にいます。場所は名神高速関ヶ原ICの南約8キロの山中です。
 
  前回は古墳時代の展示を紹介しましたが、遡って縄文、弥生時代の展示も紹介しておきましょう。
  左は木の葉型尖頭器、右は有舌型尖頭器です(写真①)。右は槍の穂先として使ったのですが、左はそのほかに皮を剥ぐときなどに小刀として使ったようです。
  槍を持って野生動物に立ち向かうのには危険が伴いました。島国の日本では余程大きな獲物でないと投げ槍は使えなかったかもしれません。
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  縄文時代の石刀です(写真②)。儀礼用だったということです。
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  弥生時代の剥片です(写真③)。上の列はチャートの剥片、舌はサヌカイトの剥片です。
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  これも弥生時代の物で、上の方はチャートの剥片、下の方の左は弥生土器の破片、下の右は土師器の剥片です(写真④)。
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  テレビのブラタモリの功績もあって、地質学に人気が出ているようです。とてもいいことです。上で紹介したサヌカイト(左)とチャート(右)の原石です。石器を作るときにどんな石でもいいということではなかったようです(写真⑤)。
  サヌカイトは讃岐石と呼ばれるもので香川県や奈良の二上山で採取される非常に緻密な古銅輝石安山岩だそうです。
  チャートは日本語では角石といい、堆積岩の一種です。とても硬いということです。
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  江戸時代の伊万里焼の残欠がありました。残欠という日本語を見たのは初めてです。まずは解説です(写真⑥)。旗本の西高木家の陣屋跡の出土品です。
  西高木家は御当地を領地とした旗本ですが、江戸時代の初めから幕末まで存続しました。老中配下の交代寄合と言う職を務め、参勤交代もする大名格の「高級旗本」でした。
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  これが解説にあった伊万里焼の染付中皿です(写真⑦)。
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  これも解説にあった伊万里焼の小皿です(写真⑧)。
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  これも西高木家陣屋跡から出た染付松竹梅図蘭鉢です(写真⑨⑩)。
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  江戸時代の甲冑です(写真⑪⑫⑬)。
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  これは宮崎県の資料館で展示されている甲冑を参考に新たに作られたものだそうです(写真⑭)。
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  往時の矢箱です(写真⑮)。
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  続く
 
    2014年11月16日(日)
 
  今、三重県いなべ市のいなべ市郷土資料館にいます。場所はいなべ市役所大安庁舎の中です。
 
  1101時、見学が終わり出発、国道365号線に戻り北上、岐阜県に入り大垣市上石津町の上石津郷土資料館を目指します。途中でイオンを見つけました(写真①)。
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  夕食を確保しました。これでどこでも車中泊ができます。ついでに買った本日の昼食です。「アルプスサンド」という雄大な名前です(写真②)。
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  1214時、大垣市上石津町の上石津郷土資料館着(写真③)。場所は名神高速関ヶ原ICの南約8キロの山中です。
  上石津町は2006年に大垣市の一部になりましたが、大垣市役所のある地域とは直接にはつながっておらず、いわゆる「飛び地」になっています。
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  では見学しましょう。まずは地元の古墳群の展示です。普段だとこの時期のものは紹介しないのですが、なかなか美しいものがあるので詳しく紹介することにします(写真④)。なお、当ブログは縄文時代から古墳時代にかけての出土品に関する予備知識はありません。
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  装飾壺という須恵器がありました(写真⑤⑥)。いきなり「はそう」という専門用語です。「瓦+泉」と書きます。
  壺の胴部の中央に穴が開いているのが分かるでしょうか。ここに栓をして水差しのように使ったように見えますが、本当のところはよく分からないそうです。
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  こういう解説もありました(写真⑦⑧)。しかし、なぜこんな実用的でない手間のかかる物を作ったのでしょう。
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  こういう壺なら安定もするし、現代も似たようなものがあります(写真⑨)。
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  右の器台、後世なら漆器で作ったでしょう。高坏と同じ用途だったかもしれません(写真⑩)。
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  これも古墳の出土品です(写真⑪)。黒いのは須恵器、赤いのは土師器です。須恵器は古墳時代から平安時代まで使われた陶質土器、土師器は素焼きの土器で弥生時代の流れを汲み平安時代まで使われました。
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  古墳時代の馬具です。写真を見てもどのように使ったのかは分かりません(写真⑫)。
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  古墳時代の鉄製の鏃(やじり)です(写真⑬⑭)。
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  鉄製の直刀です(写真⑮)。
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  まあ、古墳時代はこのくらいにしておきましょう。
 
  続く
 
    2014年11月16日(日)
 
  今、三重県いなべ市のいなべ市郷土資料館にいます。場所はいなべ市役所大安庁舎の中です。
 
  美しい青の花瓶です。騎乗の西洋の王様が描かれています(写真①)。
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  極端に下ぶくれした容器です。花瓶でしょうか。右の方は先端が欠けています。この細さではすぐにどこかにぶつけて壊れたと思います(写真②)。
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  右は獅子です。両手で丸い篭のようなものを持っていますが、何をしているのでしょう。左は足が4本あるので何かの動物でしょう。これも用途が分かりません(写真③)。
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  楽焼き抹茶茶椀という名札が付いています。左側の色が特に印象的です(写真④)。
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  耳付きの花瓶でしょうか(写真⑤)。
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上皿台秤です。秤量は竿秤と同じ原理で、錘を追加すれば秤量範囲が広がります。なかなかよくできた秤です(写真⑥)。
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  これはよく見かける台秤で今も現役です。秤量範囲は狭いです(写真⑦)。
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  たくさんの一升徳利です(写真⑧)。
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  こういう傘を何と呼んだでしょうか(写真⑨)。雨傘ではなくて日傘です。
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  茶壺です(写真⑩)。
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  鉄砲風呂です(写真⑪)。
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  唐箕です。写真⑬の唐箕と比べると回転させる取っ手の部分が古い時代のものです(写真⑫)。
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  唐箕ですが、改良型で、取っ手の部分に歯車が付いてます(写真⑬)。
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  やや小型の唐箕もありました(写真⑭)。
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  これは土突きです(写真⑮)。取っ手で持ち上げ土に落として地固めをしました。てっきり人を「どづく」の語源かと思ったら「どづく」の「ど」は「どアホウ」の「ど」だそうです。
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  さて、1101時になりました。いなべ市郷土資料館は資料も豊富だし、天秤式という室内に柱のない特殊な構造をしています。他ではまず見られませんから是非お立ち寄りください。
 
  では、ここを出発、国道365号線に戻り北上、岐阜県に入り大垣市上石津町の上石津郷土資料館を目指します。
 
  続く

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