よねちゃんの車中泊旅行記

4月22日、はてなブログ「よねちゃんの花日記」に移行しました。車中泊旅行記もそちらで継続しています。

第10回〜第15回大旅行

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    2009年5月4日 第7日目

  今、群馬県伊勢崎市にいます。車に積んでいる自転車を出して市内を探索中です。

  こういう建物を見つけましたが、これが何であるか分からなくなりました(写真 法

  次は相川考古館です(写真◆法2鮴發隆波弔鮓る限り、写真が撮れそうなところではありませんのでこのまま退散します。

  次は同聚院の武家門です(写真ぁ法これも市の指定文化財です。

  まあ、ごらんの通りで、伊勢崎市内には余り写真で紹介できるものはありませんでした。1050時、駐車場に戻り出発します。

  さて、これで第13回大旅行の全行程が終わりました。予定していたものは一応全部見ました。本来なら彦部家住宅にもう一度行けばよさそうなものですが、一旦これで終わりと思うと帰心矢のごとし、少しでも早く家に帰りたいと思うようになります。

  1100時帰途につきました。伊勢崎道、関越道、上信越道、国道142号線、中央道、東海環状道を走って道の駅湾岸長島をめざします。
 
  1159時、上信越道横川SA着(写真ァ法ここは今回の旅行で振り出し地となった群馬県安中市にあります。

  次は1503時、長野県伊那市にある小黒川PAです(写真Α法

  さて、岐阜県にはいると中央道が混んできました(写真А法この先、速度が落ちてきました。表示では土岐JCTの手前から渋滞のようです。

  この先しばらくはこの三輪自動車と一緒です(写真┃)。二輪よりも安全で四輪よりも開放感は抜群、なかなかいい乗り物のようです。

  さて、どの道を走ろうかと思っていたのですが、やはり中央道は混んでいます。土岐JCTから東海環状道に入りました。遠回りになりますが比較的空いていて走りやすい道です。

  1738時、伊勢湾岸道の湾岸長島PA着。この先進んでも渋滞に捕まるだけですから今日はここで野営です(写真)。

  ここの売店の多くは2000時頃まで営業していて、土産物を買ったり食事をするのにとても便利です(写真)。

  今日はどうなるか先が読めませんでしたから買い物はしていません。売店でこういうものを買ってきました。いささか貧弱ですが、まあ、ビールの一杯くらいは飲めます(写真)。

  夜も更けてきました。隣にある長島スパーランドのジェットコースターの線路が恐竜の背中のように見えます。疲れていたのでいつの間にか寝ていました(写真)。


    2009年5月5日

  0100時起床、昨日はほとんど飲まなかったのですぐに出発です(写真)。

  湾岸線、東名阪、名阪国道、西名阪、近畿道、阪和道といつものコースを快走して、0345時、無事和歌山の我が家につきました(写真)。もう一日余裕があるのでどこか見学すればよさそうなものをと家に着くと思うようになります。

  この旅行で撮った写真約8000枚の内半分近い3800枚をブログで紹介しました。なかなか充実した旅行でした。

    完

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    2009年5月4日 第7日目

  今、群馬県太田市のさざえ堂にいます。参拝が終わり0800時出発、国道50号線に入り北上、桐生市にある彦部家住宅をめざします。

  0815時着(写真 法A杼以上に立派なものです。

  これは解説です(写真↓)。

  ここは重要文化財であるとともに県の指定史跡にもなっているようです(写真ぁ法

  中はこうなっています(写真ァ法しかし、開くのは1000時でまだ2時間も先です。とても待てませんので先を急ぐことにします。

  次の機会には是非立ち寄ることにします。

  すぐに出発、渡良瀬川を北に渡って桐生市街に入り、市街地でもかなり山手の方にある群馬大学工学部にやってきました。

  工学部の前進は桐生高等染織学校で、その本館、講堂、正門と守衛室が国登録有形文化財になっています。現在は工学部同窓記念会館になっています

  これがその建物です(写真ΝА法

  この守衛室も桐生高等染織学校当時のものを使っていて登録有形文化財です(写真─法

  これが本館と講堂です(写真)。

  これは解説です(写真)。内部も見学できますが、この日のような休日はだめだそうです。

  この解説によると、正門と本館は最初からここにあったものではなく、同じ敷地内で隅の方に移設されたようです。守衛室は最初からここにあったかもしれません。

  では、このくらいにして 0854時出発、途中にはこういう建物もありました(写真)。

  さて、桐生市を出ると県道68号線に入り西進、0905時、伊勢崎市のJR伊勢崎駅前の駐車場に着きました(写真)。

  「満車で空きがあっても月極契約者用です」という看板があります。最近、こういう看板を見かけることが多くなりました。多分、満車という表示なのに空きがあるではないかとくってかかるモンスタークレーマーが増えたのでしょう。

  仕事でもその種の人に遭遇することが多くなりました。多くは凶暴で自己主張が強く大人になりきっていないと感じさせる人たちです。

  どこかの国では昨年140人以上も素人の国会議員が誕生したそうです。

  自分の党の首相が演説するときに手をたたくことと、裏金まみれの独裁幹事長に連れられて隣国に行って記念写真を撮ること以外に何の能もない陣笠連ですが、こんなことではその国に未来はないでしょう。あなたたち、年に関係なく成人式に出たらどうですか。

  そんな国に住んでいても自分にだけは未来があると思うのも大間違いです。

  まあ、そういうことはともかくとして、自転車を引っ張り出して市内を見学することにします。

  しばらくすると、奇妙な建物が現れました(写真亜法クイーンズヒルという名がついています。後で分かったことですが、結婚式場でした。

  これから結婚する若い人は結婚式などには金をかけない方がいいでしょう。派手な結婚式を挙げても離婚する人がたくさんいます。藤原紀香とかいういい年をしたおばさんが結婚式を挙げた西宮神社もさぞかし迷惑だったでしょう。

  まあ、2人で近くの神社でお祓いを受けた後は親族だけ呼んで披露宴をする、それで十分です。ましてや披露宴の2次会などは愚行の極みです。

  さて、先を急ぎます。小学校の玄関先になにやら塔が建っています。旧時報鐘楼でした(写真鵜押法

  これは解説です(写真魁法

  こうやってみると立派な造りであることが分かります。伊勢崎市の指定文化財になっています(写真粥法

  続く

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    2009年5月4日 第7日目

  今、群馬県みどり市の岩宿遺跡にいます。ここの見学が終わり、0642時出発、県道78号線を南下して太田市の大光院をめざします。

  0729時着。巨大な本堂が向こうに見えます(写真 法

  ここには特に文化財があるわけではありませんが、「子育て呑龍」という名で有名です。

  呑龍というのはここの開祖の名です。当時行われていた「間引き」から子供を救い、弟子として引き取って育てたために後生にこの名を残しました。

  少子化の時代、是非もう一度法力を発揮していただきたいものです。

  本堂も巨大ですが、このマツは見事なものです(写真↓ぁ法樹齢は約700年、龍が地に伏して今まさに昇天しようとする勢いを現しているため「臥龍松」と呼ばれるのだそうです。

  これは本堂です(写真ァ法J顕什發砲呂覆辰討い覆い茲Δ任后

  これは開山堂です(写真Α法B臉毅固の竣工で鉄筋コンクリート製です。

  一般に開山堂といえば開祖を祀るところですが、ここも開祖呑龍和尚の像を安置しています。なお、この像は自作なのだそうです。

  5月5日、この日は5月4日でしたから、次の日に稚児行列などをして花祭りをするようです。子育て呑龍にふさわしい行事でしょう。

  さて、境内の片隅には弁財天が祀られていました(写真А法

  さて、山野草の展示会が境内で行われていました(写真─法C聾気遼葉植物愛好会や山野草愛好会などが開催しています。

  いくつか紹介しておきましょう(写真〜)。

  0738時、参拝が終わりました。すぐに出発、近くにある同じ太田市のさざえ堂をめざします。

  0755時着、これが山門です(写真)。

  これは解説です(写真)。日本では「三大」というのがことのほか好まれますが、ほかの二つは埼玉県児玉町の成身院と福島県会津若松市の旧正宗寺だそうです。

  会津若松市のさざえ堂は訪ねましたのでこれが二つめですが、この時間ですから中には入れないでしょう。

  これがさざえ堂です(写真)。

  ここに三大さざえ堂の大きさの比較表がありました(写真亜法私が行った会津若松市のものはずいぶん小さそうです。

  ちなみに埼玉県児玉町は現在は本庄市の一部になりました。実は今回の旅行でもすぐ近くを通っていたのです。一般には百体観音堂と呼ばれているようです。

  まあ、そう遠いところではないので日を改めて二カ所とも参拝することにしましょう。

  扁額も明らかに三大さざえ堂を意識したものです(写真院法

  これは奉納された観音様の像です(写真押法

  このお堂の装飾は見事でした(写真魁腺横院法

  ではここを出発、国道50号線に出て北上、桐生市の彦部家住宅をめざします。

  続く

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    2009年5月4日 第7日目

  今、群馬県前橋市の粕川温泉付近にいます。0440時起床。早速湯を沸かして朝食です。今回はカップうどんが底をついたために豚キムチラーメンです(写真 法

  旅行も7日目、ハイエースの中も少し乱雑になってきました(写真◆法
朝食を済ませると0500時出発、北上して赤城神社をめざします。

  0529時着。わずかばかりの露店があります(写真)。

  参道の鳥居付近には大きなサワラが生えています(写真ぁ法樹齢は推定で250年だそうです。

  参道を歩いていくと、狛犬がこちらを睨んでいます(写真ァ法

  すぐに、境内の社叢は普通ではないことが分かりました。鬱蒼たる古木が林立しているのです(写真Α法

  こちらには「神代文字の碑」があります(写真Л┃)。漢字が伝わる前にあったとされる日本の文字です。だから有史以前の神代文字というのでしょう。何だか、ハングルに似ているような気もします。

  これは拝殿です(写真)。

  拝殿の奥が本殿ですが、赤城神社の場合こんなに距離があります(写真)。

  これは本殿です(写真)。ごく質素な造りです。まあ、これが本来の姿なのでしょう。元々、自然崇拝で社殿は要らなかったものを仏教の影響を受けて神の住まいを作ったのですが、仏像のようなものを安置することはなかったのですから。

  この神社がすごいのは周囲の林です。

  これは本殿前の木です(写真)。県の天然記念物になっています。さすがに天然記念物だけのことはある堂々たるものです。

  他の木も大木で全体として荘厳な雰囲気を醸し出しています(写真亜法

  さて、0542時、参拝が終わりました。すぐに出発、国道353号線、県道78号線を走って群馬県みどり市にある岩宿遺跡に向かいます。

  0637時着。時間がかかったのは途中で石仏を探したのですが見つからなかったからです。

  さてこれが岩宿遺跡です(写真鵜押法

  最初に掘り出したのは相澤忠洋です(写真魁法戦後間もない1946年、熱心な考古学ファンだった相澤は自転車で納豆の行商をしながら研究を行っており、この地で打製石器を発見しました。その後、明治大学のチームが研究を進め、日本に旧石器時代があったことを証明しました。

  近くには岩宿遺跡の保護観察施設がありました(写真粥法

  これが岩宿遺跡です(写真21)。私はもっと山の中かと思っていましたが、普通の丘陵地でした。現在は市街地の中にぽつんと丘陵地が残されています。

  これは当時の発掘風景です(写真22)。

  これが発掘された石器類です(写真23)。

  これは解説です(写真24)。

  こうして大いに盛り上がった考古学でしたが、藤原という人物が石器ねつ造事件を起こし、せっかくの考古ブームに水を差しました。

  現在ではそのショックもさめ、歴女なども出現して人気を取り戻したようです。

  では、ここを出発、県道78号線を南下して群馬県太田市の大光院をめざします。

  続く

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    2009年5月3日 第6日目

  今、足利市の足利学校にいます。1615時、ここの見学が終わりました。北隣にある鑁阿寺に向かいます。

  これは大門通だと思われます(写真 法左手に山門が見えますが右手の蔵もなかなかのものです。

  これは山門です(写真◆法手前にある太鼓橋には唐破風のような屋根がありますが、山門とくっついているわけではありません。

  これは見取り図です(写真)。

  また、ここは室町時代に将軍家となった足利市の居館があったところとして史跡にもなっています。

  これは参道の途中にある鐘楼です(写真きキΑ法9颪僚斗彿顕什發任后

  これは本堂です。両側に露店が並んで賑やかです(写真Л┃)。本堂も国の重要文化財です。

  こうやって仰ぎ見ると、細かい装飾が施されているのが分かります(写真)。ぶら下がっているのは一般に鰐口と呼ばれます。神社の場合は鈴の方が一般的です。

  今年、中学生が初詣に行って鈴のひもを引っ張ったら鈴が落ちて大けがをするという事件が起こりました。まあ、神仏の霊験の解釈も難しいところですが、初詣に行くこと自体は神々の感じるところなので、決してめげないでください。

  これは境内の大イチョウです(写真)。解説では避雷針となって諸堂を守ったとあります。戦火か失火か類焼かそれとも落雷か、多くの神社仏閣がこれで失われました。全部残っていたらそれこそ文化財に埋もれる天国のような国だったことでしょう。

  次は多宝塔です(写真)。これは県指定文化財です。

  さて、こちらにも大きな建物があります。経堂で、これも国の重要文化財です(写真悪鵜押法

  さて、これで鑁阿寺の参拝が終わりました。1635時、駐車場に戻り出発、国道50号線、県道3号線と走って、1739時、昨日来た前橋市の粕川温泉元気ランドに再びやってきました(写真魁法

  一風呂浴びると、これも昨日泊まった粕川温泉の近くにある石造り三層の塔駐車場にやってきました。1820時着。今日もここで野営です(写真粥法

  本日の夕食はこれです(写真21)。私はお寿司が大好きなのです。長かった大旅行も明日は帰途につきます。疲れが出ているのですぐに寝てしまいました。

  続く

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