よねちゃんの車中泊旅行記

4月22日、はてなブログ「よねちゃんの花日記」に移行しました。車中泊旅行記もそちらで継続しています。

第17回大旅行(2011年4月)

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    第17回大旅行最終回です
 
    2011年5月5日(金)
  今、宮城県栗原市にある孤雲屋敷にいます。全行程が終わりましたから帰途に着くのも一案ですが、かなり疲れています。すこしゆっくりしたいと思い、近くにある道の駅はなやまをめざします。国見峠から下ってくる県道に出て東進、国道398号線に合流して北西に向かいます。花山湖の北の端の湖畔近くに道の駅路田里はなやまがあります。
  1610時着(写真①)。この名前は「ロータリー」と呼びます。てっきり「みちたり」かと思いました。
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  看板があります。自然薯の館なのだそうです。山野に自生する山芋ですから栽培品種とは違う味がするかもしれません。広い駐車場です。車中泊向きの道の駅のようです。
  1600時を過ぎていますから人も車もまばらです(写真②)。
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  これが建物です。売店やレストランがあります。売っているものは山菜、きのこ、花き、野菜、要するに典型的な山村型の道の駅です。自然薯は秋となっていました(写真③)。
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  さて、当ブログは車中泊が看板ですからレストランなどで夕食は食べません。本日の夕食です。私はカツオのたたき(本当は生の方がたたきよりおいしい)をニンニクポン酢で食べるのが大好物です。とは言え、ハイエースでの車中泊ですから、制約があり、貝割れもタマネギもなく、チューブのニンニクをポン酢に溶かしただけのものです。昔はまな板、包丁菜などを積んで料理したこともあったのですが、後片付けが面倒でやめてしまいました(写真④)。
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  次はゆでだこを刺身醤油で食べます(写真⑤)。
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  これは豆腐のあんかけでしょうか(写真⑥)。
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  道の駅での夏場の車中泊について少し思うところを書いてみましょう。
  道の駅でテーブルや椅子を出して食事をする輩(やから)がいますが、マナー違反です。道の駅はオートキャンプ場ではありません。
  夏や冬にエンジンをかけたままというのもマナー違反です。とは言え、トラックが平気でエンジンを回していますからどうしようもありませんが。エンジンを切って発電機を回すというのもマナー違反です。
  対策として夏でもできるだけ早くエンジンを切って窓を開け、日の落ちるのを待てば結構涼しくなります。また、車中泊に出かける少し前から家のエアコンを使わないようにして体を慣らすのもいいことです。
  大きなクーラーボックスを氷で一杯にして隣に置いて寝るとそれなりに涼しいです。
  車内用扇風機もいいのですが、サブバッテリーがいること、口径が小さいので作動音が騒々しいのが難点です。
  まあ、昼間しっかり走って体を疲れさせておき、2,3杯焼酎でも飲んで寝れば結構何とかなります。ビールは早めに飲むのをやめましょう。夜中にトイレに行きたくなって目がさめます。
  さて、ここは奥羽山脈の山ふところ、涼しいですし、車もほとんどいません。いつの間にかぐっすり眠っていました。
 
    2011年5月6日(土)
  今、宮城県栗原市の花山湖の北の端の湖畔近くにある道の駅路田里はなやまにいます。昨日から車中泊でした。よく寝られました。
  0200時起床、道の駅で身支度をして0220時和歌山に向け出発です(写真⑦)。
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  国道398号線を東進、途中で国道4号線に合流して南下、築館ICで東北道に入りました。福島県の郡山JCTで磐越道に入り、0455時、五百川PA着。ここで休憩です(写真⑧)。
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  運がよければ、ここから真北の方角に安達太良山が見えそうなものですが、雲がかかり何も見えません(写真⑨)。
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  すぐに出発、途中から会津磐梯山が正面に勇姿を見せました。こういう事を想定して、あらかじめコンパクトカメラの電源を入れたままで用意していたのです(写真⑩⑪)。
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  0622時、磐越道磐梯山SA着(写真⑫)。ここからは会津磐梯山はよく見えません。すぐに出発、新潟で北陸道に入り南下、上越市の辺りで左手に妙高連山が美しい姿を見せます。
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  0930時、新潟県糸魚川市にある北陸道・連台寺PA着(写真⑬)。
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  ここにあるとん太でラーメン定食の朝食です(写真⑭)。今回の旅行で最初で最後のラーメンでした。
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  しかし、お腹が一杯にあると、朝の0220時から動き出して 7時間半ほど経ち、しかも500キロ近く走っています。つまりここが帰りの中間点です。暫時、仮眠することにしました。
  高速のSAやPAで寝るのはそれなりに大変です。トラックはエンジン掛けっぱなし、隣でドアを開閉する音、人の話し声などなど。そこで登場するのが車中泊用扇風機と耳栓です(写真⑮⑯)。これに濃いめの色のタオルでも用意して目にかぶせると結構熟睡できます。
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  起きたのは1055時、1時間近く寝られました。これで元気回復です。すぐに出発、ひたすら北陸道を南西に走ります。
  1355時、福井県敦賀市にある杉津PA着(写真⑰)。
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  トイレ休憩が終わり出発、この年の連休最後の土曜日でしたが、大した渋滞もなく、1716時、無事和歌山の我が家に着きました(写真⑱)。
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  第17回大旅行は無事に終結しました。この旅行で撮った写真は14156枚、その内約7千枚を紹介しました。単一の旅行記の記事としては最高の385回、今までは第16回大旅行の334回でした。2014年4月26日に第一回が始まり、1年2ヶ月超掛かってやっと旅行記を書き終えました。
  さて、第18回大旅行は既に掲載済みなので、次回からは2012年5月に行った第19回大旅行の紹介に入ります。よろしくお付き合いください。
                              完
    2011年5月5日(金)
  今、宮城県栗原市にある孤雲屋敷にいます。
  座敷側から板敷きの間を見たところです。土間からこの板戸を見たときは、中央に明かり障子があると思ったのですが、こちらから見ると別の板が張ってあり、飾りだとわかりました(写真①)。
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  刀がありました。備前長船で、千葉周作が当地から江戸に向かうとき、佐藤孤雲が送ったものの模造品です(写真②)。
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  これはどの辺りでしょうか、天上はなく小屋組が丸見えです。茅葺き屋根の小屋組のまま銅板葺きにしたことが分かります(写真③)。
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  さて、奥の2部屋は前座敷(左)と正座敷です(写真④)。ここは紙のふすまで仕切られています。
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  前座敷です。次の間とか二の間と呼ばれるような位置にある部屋です(写真⑤)。
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  これが正座敷です(写真⑥)。上座の男が刀を与えているようです。
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  これを読むと事情が変わります(写真⑦)。正面にいるのは佐藤孤雲、刀はさっき紹介した備前長船、受け取っているのは15歳の千葉周作です。このときは周作の父が子供を連れて江戸に行く決心をし、周作を連れて挨拶に来たのです。
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  感動的な場面です。ここからあの千葉周作が生まれたのです(写真⑧)。
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  床の間に掛け軸が掛かっています。
   夫剣者瞬息
      心気力一致
      六十老 成政観自賛
      つまり、成政は千葉周作であり、描かれている人物も千葉周作であることが分かります(写真⑨)。
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  模造刀ですが、大小の刀です(写真⑩)。
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  茶の間にやってきました(写真⑪)。特に何もありません。
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  小壁に槍が掛かっていました(写真⑫)。
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  自然光で見た囲炉裏です(写真⑬)。左側、つまり家の裏が輪の開口部が小さいので暗く感じますが、まあ、往時は家の中は薄暗かったのです。
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  主屋のけんがくはこれで終わりです。これが主屋です(写真⑬の2)。
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  さて、これは最初に通った長屋門ですが、中に何か展示されています。見学しておきましょう(写真⑭)。
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  中は農具でした(写真⑮⑯)。
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  何かイベントをやったのでしょう(写真⑰)。
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  さて、見学が終わりました。1557時になりました。これで全行程終了、後は和歌山で帰るのみです。とは言え、ここから一番近い東北道の築館ICまで20キロ、そこから磐越道、北陸道経由で和歌山まで980キロ、つまりちょうど1千キロあります。昼間の疲れもあるので、近くの道の駅で車中泊をして、明日早朝から走ることにしました。もう夕食も確保していますし。残念ながら温泉はありません。
  ここから山一つ北の花山湖畔にある道の駅はなやまをめざします。
  続く
    2011年5月5日(金)
  今、宮城県栗原市にある孤雲屋敷にいます。
  台所にいます。これは粉をこねる鉢です(写真①)「こねる」と言う言葉と「ごてる」と言う言葉が混同して今の「ごねる」と言う言葉になっています。不平や不満をくどくどと言ったり、自分の思い通りにしょうと文句をつけることをさします。
  この鉢を見ていると、辻本とか言うおばさんや民主党の岡田君を思い出しました。安保法案を戦争法と呼んでみたり、徴兵制に直結するなどと言う意味不明のレッテル貼りや論理をこねて、ひたすら引き伸ばしのためにごねています。さそかし、この鉢程度の浅い思考しかできないのでしょう。こういうのをステレオタイプ人間と言います。時代の流れに付いていけない化石人間とも呼びます。
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  染め付けの皿です。手前のは「さはち大」という名が付いていますが、広いものは大きくても皿、深いものは小さくても鉢ですから、両者の中間ぐらいというような意味でしょう(写真②)
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  円形のの高足御膳です(写真③)。元々は右端にある盆に足が付いたものを膳というのですが、多くは方形、つまり角形です。丸いのは初めて見ました。
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    手前左は注ぎ口の付いた酒つぎ、中央は枡に取っ手の付いた酒つぎ(銚子というようです)。手前右は片口です。後方の赤いのは角樽で、婚姻などの祝い事に使われました。持ち運びのいいように樽に取っ手が付いているのですが、今はたおやか、つまり、ほっそりしてしとやかな花嫁も年月がたてば寸胴で角が生えているような女になるという暗示かもしれません。まあ、考えすぎですね。「結婚詐欺」というのは男からも女からも言えることですから(写真④)。
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  片口、昔の剃刀、漆掻き、飯櫃、炭火アイロンです(写真⑤)。子供の頃、炭火アイロンは子供のオモチャにもなりました。舟に見立てたのです。見立てというのは江戸時代以来の日本の文化です。広汎なことに通暁していないと分からない一種の謎かけのようなところがあります。今や、その文化も失われつつあります。教養と想像力が減退していて、見立てが成立しないのです。
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  蔵燭台は名札だけで実物はありませんでした。テンつきという棒のようなものもありましたが詳細不明です。秤や甕もあります。この甕は梅を漬けるものだったようです(写真⑥)。
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  紹介したのはこれでした。下は水屋です(写真⑦)。
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  さて、台所から奥を見たところです。板戸の色合いを何と言ったらいいでしょうか。暗い赤銅色とでも・・・・、え?、腐りかけのワインだって?。中央に明かり取り用のはめ殺しの障子があります(写真⑧)。
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  長柄の刺股と袖がらみです(写真⑨)。いずれも捕り物用の武器です。怪我はするかもしれませんが致命傷は与えません。学校や役所にも供えておくといいです。ごく少数ですが危険な人間がいますから。
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  笠と道中合羽です(写真⑩)。時代劇でも有名なものです。
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  おやおや、ここでも大国様(左)と恵比寿様(右)が祀られていました(写真⑪)。
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  さて、各座敷は展示室になっています(写真⑫⑬)。
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  北辰一刀流の系譜です。明治になってからもしばらく命脈を保ちましたが、この流派自体が現代剣道の礎の一つなので、その流れに組み込まれていきます。ただ、北辰一刀流の看板を掲げる道場は現存するようです(写真⑭)。
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  千葉周作は色々な作家によって本になっています(写真⑮⑯)。ちなみに北辰とは北極星、北斗とは北斗七星を指します。赤銅鈴之助の顔も見えます。
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  これは北辰一刀流の組太刀です(写真⑰)。竹刀で斬り合う剣道ではなく、古式の演舞のようなものですが、流派の至妙というものが秘められています。ここまで来るとやはり「剣道」という「兵法、道」です。単なる喧嘩取っ組み合いの類から一段昇華した世界なのですが、これが理解できない隣人もいるようです。
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    続く
 
    2011年5月5日(金)
  今、宮城県栗原市にある孤雲屋敷にいます。
  奥から入り口側を見たところです(写真①)。広い土間に囲炉裏が大きくはみ出しています。
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  これが囲炉裏です。太い縄で吊った大きな火格子、竹の筒を使った自在鉤、細長い炉、弁慶や吊った唐辛子もあります(写真②)。
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  板敷きの間に上がりました(写真③)。
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  仕切りはなく囲炉裏のあるところにつながっています(写真④)。
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  唐辛子と弁慶です。弁慶は藁製の筒に竹の串を刺すもので、川魚を串に刺して燻製にするのに使います。ハヤなどの川魚は一般に水っぽくてまずいのですが、こうすると美味になります(写真⑤)。
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  自在鉤に使われている竹は根元の部分まで細工して美しい曲線を描いています。いわゆる留め具は普通の木ですが、魚の形をしたものも多いです。鍋を引っかける鉤には細長い金属の棒が付いていて、竹筒の中を通っており、横木と呼ばれる木で締め付けて鍋と火との距離を調整するのです。火箸、鉄瓶、火消し壺などもあります(写真⑥)。
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  囲炉裏の向こうは今で言う台所です(写真⑦)。
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  展示されているものを紹介しましょう。羽釜、鉄鍋です(写真⑧)。羽釜はかまどで、鉄鍋は木の落とし蓋付きで囲炉裏に掛けて使います。
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  左の太身の鋸は製材用の木挽鋸、右2つは伐採用の横挽き鋸です。刃が飛んでいるので「窓鋸」などといいます。刃が飛んでいるのはおが屑が外に出やすいようにする工夫です。手前中央は移動式のかまどに載った釜です(写真⑨)。
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  蒸籠(せいろ)です(写真⑩)。昔は蒸す事が多かったのですが、今は煮る、焼く、炒めるが主流で蒸籠の出番は少なくなりました。
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  「水舟」、つまり、昔の流しです(写真⑪)。見た感じでは近くの沢などから竹の樋で引いた水を掛け流しにしたようです。山奥ではこういう装置を利用することができ、今の水道と変わらない感覚で水仕事ができました。井戸から水汲んで水瓶に溜めるのは大変な重労働だったのです。水道が止まったときは今の人も経験できますが。
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  左端は口付き鍋、中央3個は鉄瓶、右端は灯火用の油壺です(写真⑫)。
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  左上にちょっと見えるのは鉱山用のカンテラです。光源はロウソクではなく植物性の灯油だと思われます。水瓶、臼、火消し壺、羽釜もあります(写真⑬)。
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  燭台です(写真⑭)。今風の感覚だと目を刺しそうで怖いです。光源は高い方が明るく感じるのですが、倒れて火事になる危険も増えます。
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  いもかてきり(芋糧切り)、焙烙です(写真⑮)。さて、どんな芋を切ったのでしょう。考えられるのはジャガイモ、サツマイモ、里芋ですが、一番ありそうなのは1735年にあの青木昆陽が八代将軍徳川吉宗の命を受けて栽培を始めたサツマイモでしょう。ジャガイモの普及はそれから100年ほど遅れました。
  一方、里芋の方は椰子の実と同じように黒潮に乗って東南アジアのタロイモが縄文時代に日本に入っていますからこれかもしれません。右端は「焙烙(ほうろく)」で、今も現役です。
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  これは大根糧切りです(写真⑯)。食べる米が確保できなかった場合に大根を切って米に混ぜて総量を増やした貧困層の食べ物ですが、米しか食べない上流階級の人たちが脚気というビタミンB1欠乏症候群によくかかったのに対し、大根の混ぜご飯を食べた人は元気という皮肉な結果にもなっています。もちろん、大根飯なんか米のご飯に比べれば格段にまずいです。
  田舎住まいで大根飯ばかり食べていた侍が何かの折りに江戸に出ると、米のご飯が余りにもおいしくてそればかり食べるようになりますが、しばらくすると体に異変が起こります。足がむくんだりしびれたりするのです。
  心不全や末梢神経の障害が起こるようになり、江戸の奇妙な風土病とまで言われました。江戸の庶民は、蕎麦が好きで常食としていましたが、蕎麦にはビタミンB1が含まれるため、脚気にはなりませんでした。
  明治に入っても脚気は続き、あの皇女和宮も脚気で若くして亡くなっています。旧陸軍では田舎出身で米の食えなかった兵士が多く、親心で、せめて軍隊にいるときくらい米を飯を食えと言うことになったのですが、これが仇となり、脚気が多発し死者も出ました。
  一方、旧海軍は創立当初から大英帝国海軍の指導を受けていました。英国海軍は大航海時代以来の経験でいろいろなものを一緒に食べると病気にならないことを経験的に知っていて、これを旧日本海軍に伝習したため、旧海軍では一人も脚気にかからなかったのです。
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  これは臼堀道具です(写真⑰)。石臼ではなく、木の臼を作るのに使ったと思います。
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  さすがというか、木刀もありました(写真⑱)。
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    続く
    2011年5月5日(金)
  今、宮城県栗原市にある孤雲屋敷にいます。
  中を見学しましょう。これは長屋門です(写真①)。本来は武家や公家、豪農の一部などにしか建築を許されていなかった形式の門です。江戸末期はこれがゆるみ、明治になると農家がこぞってこの格好の門を作りました。こちらの方は江戸時代のものと区別して納屋門と言うこともあります。
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  これが主屋です(写真②)。元々は茅葺きだったのを小屋組をそのままにして銅板葺きにしていますから、元の茅葺きの面影もわずかに残っています。
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  主屋の中に入りました。大きな土間があり、土間に張り出す格好で囲炉裏があります。
誰かがお茶を飲んでいると思ったら、模型でした(写真③)。
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  横を見ると板敷きの間があり、機織り機が展示されています(写真④)。この頃の農家なら必ずと言っていいほどあったものです。
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  花山村の歴史というパネルです(写真⑤)。この辺りも前九年の役の舞台になりました。江戸時代は仙台藩の西の端、奥羽山脈の栗駒山を挟んで秋田藩と国境を接する所となり、国境警備の関所もありました。御承知のように2005年に栗原市と合併し、花山村は消滅しました。
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  北辰一刀流剣術指南所という看板がありました(写真⑥)。千葉周作ゆかりの家と言うことでこういうものもあるわけですが、多分、観光用に作られたものだと思います。千葉道場が栄えたのは「北辰一刀流」という名の付け方がよかったのだという話も聞きますが、まあ、まるで間違いでもないでしょう。
  しかし、千葉道場は前にも話のあったとおり、今の剣道に通じる現代的な稽古を取り入れており、上達も早く、それで人気が出たというのが本当のところです。
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  花山村と千葉周作というパネルがありました。詳しく紹介しましょう。
  周作が花山村で生まれたというのには異説があります。鎌倉時代の豪族、千葉市の流れをくみ、周作の祖父も剣術の達人でいずれも「北辰」を冠する流派でした。周作の父も剣術を教えていたそうです(写真⑦)。
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  その周作とこの家の主、佐藤孤雲との関係です(写真⑧)、孤雲は元仙台藩士で病気のため職を辞し田舎で隠遁生活をしていました。教養人で、周作の父とも親交があり、それが縁で周作も教えを受け、そのことが心技一体の剣の道の礎になったとされます。
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  江戸に出た周作のその後です(写真⑨)。まずは道場で修行し、その後、諸国武者修行の旅に出ます。この頃には北辰一刀流を名乗っていますが、故郷の流派の「北辰」と江戸での流派の「一刀流」を組み合わせたものだと分かります。
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  29歳の時に北辰一刀流の道場「玄武館」を解説しました。教授法は合理的で実践的、たちまち門下生は増え、名声も高まって、水戸藩の剣術師範を務めるようになりました(写真⑩)。これが現代の剣道に受け継がれたと言うから、千葉周作は時代の一つ先を行く傑出した人物だったことが分かります。
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  この解説を読むとその経緯がよく分かります(写真⑪)。
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  千葉周作自身は幕末の1856年に死去していますが、時は激動の時代、周作の門下生の多くが活躍の機会を得たのです(写真⑫)。このころの剣術師範で名が残っているのは千葉周作くらいのものですが、やはり、その名にふさわしい仕事をしていたのです。
  
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  千葉周作の画像というパネルがありました(写真⑬)。しかし、肝心の肖像画の写真がありません。そもそもここになかったか、借り物なので撮影禁止だったのかのどちらかです。まあ、大男でかなりの男前だったことは文から分かります。
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  千葉周作の人間像です(写真⑭)。弓の稽古をしているところで、行きがかり上、木刀で弓を受けることになり、成功したというのです。まあ、弓を本当に木刀で払うことができるかどうか、やってみないと分かりませんが、いささか作り話のような気もします。そのくらい強気の人だったということでしょう。
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  文武両道でもありました(写真⑮)。和歌、俳句、狂歌などを詠んでいますからかなりの教養人だったと思われます。
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  巨大な顕彰碑がありました。原本ではないと思われます。昭和33年に建てられたもので、東条一堂という儒学者と千葉周作とを顕彰したものです。東条一堂の瑤池(ようち)塾と千葉周作の玄武館は神田於玉ヶ池にあり、何と隣同士だったのです(写真⑯)。
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  さて、この話はこのくらいにして、孤雲屋敷を見学することにしましょう。
    続く

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