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2011年5月4日(木)
今、奥州市前沢区の牛の博物館にいます。
インドネシアの話は続きます。 インドネシアスラウェシ島にすむトラジャ族の民家の妻壁飾りの解説です(写真①)。 再掲になりますが、トラジャ族の民家です(写真②)。 切り妻造りの一種ですが、庇が竹で編んだ庇が切妻の両側に伸び、横から見ると船のような格好をしています。その下の壁のことを妻壁と言っているようです。本来は三角形をした屋根の下の壁を指す言葉です。 確かに水牛の頭部の彫刻(カボンゴといいます)が妻壁に飾られています。首の長い鶏を象徴したカティックという飾りというのは、水牛の頭部の上に伸びている飾りのことです。更に前の柱には本物の角も置かれています(写真③)。実に見事で、我が国の山車の飾りも負けそうな雰囲気です。 これが何であるか、今となっては分かりません(写真④)。 実は日本にもトンコナンと同様の竹屋根なるものがあるそうです(写真⑤)。竹がいくらでもあるところなら使わない手はありませんよね。茅葺きの屋根は並べたカヤなどの茎で発生する毛細管現象で雨漏りを防いでいますが、竹は大きくて丸いから、半分に割って組み合わせれば屋根全体が樋のようになるわけです。 この図で見る限りで竹屋根は防水部であって、上に覆いがつくので一目見て分かるというものではないようです。これもみても埴輪の家そっくりです。
インドネシアの不思議の家の話はこれで終わりです。 こういう展示があります(写真⑥)「世界の牛と人との関わり」というテーマです。動物の内で人と一番関わりの深いのは犬、牛、馬、豚、鶏です。詳しいことは省略します。ぼつぼつ疲れてきました。 次は使用管理の道具です(写真⑦)。一番上は矯角器具です。どうも、一昔前まで牛の角をどういう道具をはめて矯正し、見栄えをよくしていたようです。 古語にも「矯角殺牛(つのをためてうしをころす)」というのがあります。なぜ牛の角を矯正したかは忘れ去られ、「わずかな欠点を直そうとして却って本体をだめにしてしまうこと、本末転倒」という意味だけが今も残っています。他は牛の爪切りです。
次は日本の野神祭です。豊作を祈る神事ですが、5月3日に男の子の祭として、麦わらで作った牛や馬を使い農作業を再現してその年の豊作を祈願します(写真⑧)。 これは祭に登場する麦わら製の牛です(写真⑨)。 祭の様子です。藁の牛に犂(すき)を付け、男の子達が牛を引っ張っています(写真⑩)。 京都の広隆寺で牛祭をやっているってご存じでしたか。解説です(写真⑪)。 中央が祭に登場する魔多羅神、周囲が赤鬼と青鬼です(写真⑫)。魔多羅神は牛に乗って登場します。 次は鹿児島県串木野市(現;いちき串木野市)のガウンガウン祭です。これも五穀豊穣を祈願する祭で、旧暦の2月2日、地元の深田神社で行われます。人が扮装した大きな牡牛が登場して大暴れし、やがて捕らえられて田仕事に就くという筋書きです(写真⑬)。 これが祭に登場する牛です(写真⑭)。 これは木鍬(きくわ)で、子供達が暴れる牛の足を引っかけて転ばします。転ぶ回数が多いほど豊作になるそうです(写真⑮)。 この写真はその様子ですが、牛がひとしきり暴れた後で取り押さえられ、テチョ(おやじの意味らしいです)が鼻を押さえ、太郎、二郎が牛に犂(すき)を付けて農作業の様子を滑稽に演じているところです(写真⑯)。 続く |
第17回大旅行(2011年4月)
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2011年5月4日(木)
今、奥州市前沢区の牛の博物館にいます。
インドネシアの話は続きます。トラジャ族を紹介しているのですが、インドネシア中部の鳥の骨格のような格好をした島、スラウェシ島(植民地時代はセレベス島)に住んでいる人たちです。 まずはテドンボンガです。スイギュウは灰色、白色、灰白色、斑(まだら)の4種類ありますが、斑のスイギュウをテドンボンガと呼びます。トラジャ地域には特に斑が他よりも多いそうですが、ここでは斑のスイギュウが他の色のスイギュウよりも高価なものと考えているため、人為選択が行われたそうです(写真①)。
スイギュウはのんびりと農耕をして天寿を全うしていると思ったら大違いでした。富の象徴で葬儀でたくさん殺されるのですから、安心して生きていられません。
こういう展示がありました(写真②)。珍しい話ですから詳しく紹介しましょう。 これはスイギュウですが、どこにでもいる普通のスイギュウ(ここでは、角が手のひらサイズのものを基本スイギュウと呼んでいます)に比べるとはるかに高価(5倍から20倍)で取引されるスイギュウだそうです。なるほど、角が大きくて体つきをみると納得します。いずれもテドンボンガの一種です(写真③)。 インドネシアの背負い籠です(写真④)。日本のものと大差ありません。 小物入れや椰子酒入れ(右)です(写真⑤)。 太鼓です(写真⑥)。 トラジャ族の兵士が戦の時に身に付けた装束です。今は儀式の時に使います(写真⑦)。 トラジャ族の風俗です(写真⑧)。 トラジャ族の民家です。さっきみた舟形の家と同じで、軒先が反っくり返り、高床式です(写真⑨)。 兵士の持つ盾です。スイギュウの皮でできています(写真⑩)。 これは灰色水牛です(写真⑪)。 これは灰白色水牛です(写真⑫)。 これは白色水牛です(写真⑬)。水牛には4種類あるという解説を紹介しましたが、肝心の斑色の水牛の写真がありませんでした。 水牛は文字通り、水を好み、沼地での行動にも適しています。粗食に耐え、肉や乳もとれ、経済的には牛よりも優れていて、湿田の多い東南アジアでは貴重な家畜です。 これは家の模型です。竹を編んだ庇が高く伸び上がっているのが特徴です。おまけに高床と言っても半端ではありません。(写真⑭⑮)。 しかし、何でこういう家になったのでしょう。風雨に弱く台風の多いインドネシアで大丈夫かと心配になります。
解説がありましたが。これを読んでも理由は分かりませんでした(写真⑯)。なお、この家はトンコナンと呼ぶそうです。 屋根材は竹をこのように組み合わせます。日本の本瓦にどこか似ています(写真⑰)。 左は民家の扉、右側は全体が神棚です(写真⑱)。 これはよく分かりませんが、民家の壁を飾る彫刻を施した板のようです(写真⑲)。 詳しくは次回で紹介します。 続く
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2011年5月4日(木)
今、奥州市前沢区の牛の博物館にいます。
明治時代に奉納された四季耕作図絵馬です(写真①)。左上の黒い牛が犂(すき)を曳いているところから始まり、時計回りに作業の様子が描かれ、左下の収穫で終わります。 花田植えの話です。まずは解説です(写真②)。ただ、場所は広島県千代田町の話で、地元の話ではありません。この種の祭で重要無形民俗文化財に指定されるとなると、どこにでもある祭ではないからでしょう。昔は全国で、形は違うにしても行われたと思います。 祭の様子です(写真③)。 これは祭の登場する飾り牛の衣装です(写真④⑤)。平成5年まで使用された本物です。 前回紹介しましたが、農耕に使う牛は調教する必要があります。これは昭和30年頃の調教の様子です(写真⑥⑦⑧)。碁盤の上に乗ったり、橋に見立てた狭い板の上を歩いたり、伏せの姿勢を取ったり、まあ牛も大変です。
昭和30年頃の牛耕の様子です(写真⑨)。
さて、展示が変わりました。インドネシアのスラウェシ島に住むトラジャ族の人たちが使う舟形の棺です。まずは解説です。みんなが入るわけではなく、「高貴な」人が乗る物のようです。男はスイギュウ型、女はブタ型だそうです(写真⑩)。この舟形の家、何かに似ていると思いませんか。そう、日本でも大昔に作られた家型の埴輪にそっくりです。 これがその棺です(写真⑪⑫)。次の解説で分かりますが、棺はスイギュウとブタの作り物で、大きな庇のあるものはトラジャの人たちが住む家をかたどったものです。 トラジャに済む人たちの解説です(写真⑬⑭)。住んでいるのは庇が反り返った高床式舟形家屋で、写真⑫と同じ格好なのでしょう。葬儀の時にはスイギュウが殺され、その肉が参列者に振る舞われます。このスイギュウは農耕には使わず、わざわざ葬儀のために育てられます。墓はなく、自然石をくり抜いた穴に風葬にされます。葬式の際は、舟形の家に棺を載せて家ごと担ぎ、穴まで運ぶようです。
何だか、色々な要素が複雑に入り混じった葬儀のようです。これが葬送儀礼の解説です(写真⑮)。インドネシアの山奥だからみんな平等になんて思っていたらそれは幻想です。王族、貴族等々の階級があって格式によって葬送の仕方も違うと言うことです。
日本に住んでいるとむしろ奇異に思われます。こんなに大きな差はありませんから。スイギュウは死者の魂を天国に導くのだそうです。我が国では、阿弥陀如来が観音菩薩と勢至菩薩を始め諸菩薩を率いてわざわざ出迎えに来てくれますから、スイギュウなどを用意する必要はありません。普段から善行を心がけて陰徳を積んでいれば自然に天国に行けます。
副葬人形というのもあります(写真⑯⑰)。 聖なる布というのもありました(写真⑱)。スイギュウとマァ・トラジャという布がトラジャの人たちの貴重な財産です。
これをみると地機(じばた)の一種であることが分かります(写真⑲)。 これも地機の一種ですが、写真⑲よりは改良されたもののように見えます。織られているのは死者の棺を覆う布です(写真⑳)。 この話はこれで終わりです。 続く
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2011年5月4日(木)
今、奥州市前沢区の牛の博物館にいます。
さて、肩の凝らない話に戻りました。世界の牛の鈴です。馬の鈴は聞いたことがありますが、牛にも鈴をつけたのですね(写真①②)。 さて、前回で名前の出た口之島牛が登場しました。離島にいたため、明治以降の西洋種との交配を免れ、2種類しかいない我が国個体の在来種の一つです。まずは解説です(写真③)。 口之島は鹿児島県トカラ列島にある離れ小島、大正年間に別の島から家畜牛を仕入れますが、人の管理が行き届かず、牛は山に逃げ込んで野生化しました。そのため、外国種との交配もなく、貴重な日本古来主として生き残ったのです。
これが口之島牛の剥製です(写真④)。
この牛の由来です(写真⑤)。名古屋大学からここに来て天寿を全うし剥製になって保存されたと言うことでしょう。 臼が犂(すき)を曳いています(写真⑥)。 この鋤は長床犂(すき)と呼ばれるものです(写真⑦)。 牛に農具をひかせるためには調教が必要です(写真⑧)。調教の様子は後で紹介します。 さて、牛、馬、羊、山羊などの家畜は乳を利用してきました。それを大規模に行うのが牧畜です。まずは解説です(写真⑨)。 これは色々な牛乳缶です(写真⑩)。 この写真の手前の容器が搾乳桶です(写真⑪)。 これはバター造りの道具です(写真⑫)。 バター造りの解説です(写真⑬)。 牛乳から加工されるものの解説です(写真⑭)。昔はコンデンスミルクが大好きだったのですが、今は牛乳も滅多に飲みません。しかし、色々なものができるのにはびっくりしました。 さて、有史以来人と牛は色々と関わってきました。人は牛から多くの恩恵を受けたのです。次はこれらのことの紹介です(写真⑮)。 これは牛耕用の犂(すき)です(写真⑯)。人が手作業でやるよりもはるかに早く深く耕すことが出来、作物を多く実らすことができました。飯を食える人が劇的に増えたのです。 これはセネジェムの墓壁画です。エジプト第19王朝の頃ですから。有名なラムセス1世がいたころのものです。日本では余り有名ではありませんが、保存状態は非常に良好だそうです。上から3段目に牛に犂を曳かせている様子が描かれています。下2段は果樹園でしょうか(写真⑰)。 解説です(写真⑱)。 これは牛の頸木や尻当てです(写真⑲)。 鞍や犂(すき)です(写真⑳)。 これは2頭用の頸木でしょうか(写真21)。 これは実際の牛耕です。2頭が同じ頸木につながれ犂を引っ張っています。インドネシアのバリ島の様子です。日本出はもう見られなくなった風景がインドネシアにはありました。 バリ島の牛たちは日本の牛よりも幸せでしょう。人と一緒に仕事をし、本来の力を発揮できます。狭い牛舎で食われる日を待つ牛に比べれば・・・。後でそうでもないことが分かりますが(写真22)。
続く |
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2011年5月4日(木)
今、奥州市前沢区の牛の博物館にいます。
牛と言えば、牛乳ですが、これは牛の乳が出る仕組みです(写真①)。乳頭への刺激が脳に伝えられ、脳の下垂体後葉でオキシトシンというホルモンが分泌されます。これが血液を経由して乳房に運ばれ、乳が出ると言うことです。 これは見たことのある写真です(写真②)。アフリカや中国で行われている原始的な搾乳法だそうで、母牛の生殖器に人が口で空気を吹き込んでオキシトシンの分泌を促し乳搾りをするのだそうです。しかし、この少年、かなり痩せていますね。アフリカの飢饉の時のポスターに使われていたような気がします。 搾った牛乳を入れる容器です。1日に36キロ出すとはさすがに牛です(写真③)。 さて、BSEの話になりました。1986年に英国で発見された牛の伝染病で、牛海綿状脳症といい、牛の脳が海綿状にある病気です。2000年くらいから日本でも飲食店などをも巻き込む大騒ぎとなり、果ては貿易障害として国際問題にまで発展しました。 病気の原因も対処法もわかり、2009年以降は日本では発症例が無く、現在では、限りなく安全とされています これが牛海綿状脳症の解説です(写真④⑤⑥)。 これがBSEの原因とされるプリオンタンパクです。正常なものはありふれたタンパク質なのですが、何かの原因で構造が変成し異常プリオンとなります(写真⑦)。
我が国も素早く対応し、牛肉の安全性を確保するのに全力を挙げました。これにより、牛肉の安全性を確保しています(写真⑧⑨⑩)。しかし、肉骨粉という牛の残り物の骨などを粉末にして本来なら稲ワラを食べるはずの草食動物に共食いを強要していたとは驚きでしたね。もとはと言えば汚染牛を肉骨粉の原料にしたことが病気を蔓延させる原因でした。今ではちゃんと検査もし、特定危険部位も手間をかけて取り除いているので牛肉も信頼を取り戻しました。
まあ、BSEの話はこのくらいにしましょう。
さて、次は男性としてはいささか失笑せざるを得ない話です。人工授精の話です(写真⑪)。 まずは解説です(写真⑫)。自然交配ではどうしても実際にやらせないといけません。日本では大正時代から始まっていました。人工授精、精液冷凍保存、受精卵移植、受精卵分割、体外受精、受精卵クローンと進んできたと言うことです。最後に出てくる体細胞によるクローン技術というのはいささか不気味な話ではあります。 この姿を見ると雄牛も気の毒だなあと思えます(写真⑬⑭)。こういうのは余り変わりようがないので今も似たような方法で行われているのでしょう。まあ、人の体外受精も元をたどればこんなことになるのでしょう。余りやりたいとは思いません。 人工授精を行うには優れた雄牛の精液を保存しないといけません。その解説です(写真⑮)。
この解説中に出てくるハトというのはこれです。伝書鳩に精液の入った箱を背負わせて飛ばすのです(写真⑯)。傍らにあった新聞記事では9年間で3700頭の牛の子供が生まれたそうです。冷凍保存という方法だと半永久的に保存できるようです。この間、大阪市の病院で離島精子を勝手に廃棄したと言ってもめていましたね。 これが液体窒素による冷凍保存の様子です(写真⑰)。 これがその道具です。右側が精液凍結保管器、左の四角い箱は輸送用の容器です(写真⑱)。この先も人工生殖の話は続きますが、省略します。でも、こんなことをしていて本当に大丈夫だろうかという不安は抱きました。 続く |






