|
2011年5月4日(木)
今、奥州市前沢区の牛の博物館にいます。
いろいろな動物の角の生えた頭部が展示されています(写真①)。 角の解説です(写真②)。外的に対する武器、雄同士の争いなどに使われます。鹿は毎年生え替わるので有名です。 牛、プロングホーン、サイ、キリンの角です(写真③)。犀の角は犀角として古くから漢方で使われてきました。現在では犀は捕獲禁止なのですが、密漁や密貿易が後を絶ちません。薬効が無いことを照明できればいいのですが、多くの情報では薬効はあるとされています。 これは鹿の仲間の角です(写真④)。最初は袋を被っており、やがて角が露出します。1年経つと根元から自然に折れます。鹿は和歌にもたくさん詠まれた優雅な動物ですが、今は木の若芽の食害で迷惑な存在となっています。 日本にも狼がいた頃は、鹿の数も一定だったのですが、1905年頃に狼が絶滅すると鹿が増え出しました。和歌山県などで害獣として一定量を駆除し、それを食用にしようという試みが続いています。血の気が多くてものすごくうまいというものではありませんが、料理法によってはおいしく食べられます。
これが鹿の角です(写真⑤)。毎年生え替わるため、観光地の土産物屋でも売られています。百人一首に入っているのでことのほか有名です。 奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋はかなしき 猿丸太夫
花札の鹿はどうも角の形が違うようです。紅葉の時には繁殖期を迎えているので写真⑤のような角になっているのですが。
ニホンカモシカの話になりました。名前は鹿ですが、牛の仲間です(写真⑥)。 カモシカの分布図です(写真⑦)。地図にいるとなっていても、鹿と違い個体数も少ないですからどこにでもいるというものではありません。 顔つきや体つきは牛と言うより山羊という感じです(写真⑧)。これは剥製で、平成8年に御当地の沢筋で自然史の個体を発見、拾得したものだという解説がありました。 牛の胃は特殊な構造をしていて学校でも習いますから知っている人も多いと思います。この解説を読むと、第4胃が普通の胃で第1〜第3の胃は食べたものを柔らかくする胃です(写真⑨)。ホルモン焼き屋でセンマイと呼ばれるものは第3胃です。 胃の構造図です。ぶれてしまいました(写真⑩)。見て分かるように第1胃が全体の80%を占め、第2胃が5%、第3胃と第4胃が7〜8%と言うことです。第4胃が小さいのは意外ですが、胃が一つしかない大半の動物に比べると、第4胃に来る頃には前処理が終わって食べたものは細かく分解されているため、ここで強い消化作用をする必要がないからです。 これが牛の胃の模型です(写真⑪)。 これが牛の胃の実物です(写真⑫)。巨大なものであることが分かります。 さて、こういう展示に変わりました(写真⑬)。 これが牛糞です(写真⑭)。特殊な構造の胃、そこに住み着いている微生物によって食物繊維がよく消化されています。 牛糞は古くから有機肥料として使われてきました(写真⑭の2)。 観光馬車や祭に登場する馬などは歩いている途中でも糞をします。馬は胃が一つしか無く、完全には消化されていないというか、発酵途中というか、独特の臭いがします。しかし、微生物も多く、土壌改良には最適だそうです。
一方、牛糞は堆肥とされ、普通に肥料として使われます。肥料成分としては鶏糞の方が使いやすく、安価で、養分も多いと言うことで、当ブログでは鶏糞だけを使っています。 これは稲ワラを食べた牛の第1胃から第4胃までのそれぞれの内容物です。左上の第1胃と右上の第2胃はまだ稲ワラの形状が残っていますが、第3胃、第4胃となると細かく分解されているのが分かります(写真⑮)。 これは1億5千万年前のジュラ紀の恐竜の糞の化石です。形は牛糞によく似ています(写真⑯)。 さて、これは牛の第1胃にいる6種類の微生物の写真です(写真⑰⑱)。こういうものが牛の消化を助けているのです。 では次の展示に行きましょう。
続く
|
第17回大旅行(2011年4月)
[ リスト | 詳細 ]
|
2011年5月4日(木)
今、奥州市前沢区の牛の博物館にいます。
これは明治5年に描かれた但馬牛の姿です(写真①)。細かく書かれているのは養牛の法です。ちなみに但馬というのは京都府北部、現在の豊岡市近辺のことです。 これは鎌倉時代の1310年に牛の図鑑の一部の模写です。御厨(みくりや)牛という牛が描かれています(写真②)。御厨というのは肥前・御厨で、肥前の国で現在の佐賀県と長崎県が入ります。 脊椎動物の骨格の解説です(写真③)。 牛の骨格です(写真④)。 ドブネズミ、鳩、フナ、ヒキガエルの骨格標本です(写真⑤)。 牛の歯の話です(写真⑥)。牛には上あごの前歯が無いことをご存じでしたか。 ヒトと牛の歯の比較です(写真⑦)。本数は同じですが、牛は下あごの前歯が8本あること、奥歯は上下1本づつ多区なっています。なお、分数の数字は上下あご、本数は左右の半分の本数を示しています。 牛の頭部です(写真⑧)。 これはイノシシの頭部です(写真⑨)。鋭い犬歯が目につきます。 何だか怖そうな感じですが、アメリカビーバーの頭部です(写真⑩)。いかにも咬み切れそうな爪切りという感じです。 ピューマの頭部です。ピューマはアメリカ大陸に生息していますが、ヒョウやトラ、ライオンの親戚ではなく、家猫やヤマネコの親戚とされます。頭部を見てもそんな感じです(写真⑪)。 牛の下あごです(写真⑫⑬)。 これはマンモスの歯です。何とも巨大な歯です。象は、片側6本ある奥歯を一本ずつ生やして使います。堅い葉を食べて一本が摩耗すれば、次の歯に生え替わります。6本全部使うとものが食べられなくなるのでそのときが死ぬときと言うことです。仮に入れ歯を使ったら何年生きるのでしょうか(写真⑭)。
これは恐竜のティラノサウルスの歯の複製です(写真⑮)。 牙というか、槍の穂先と言う感じですが、これでかみつかれた方も大変だったでしょう(写真⑯)。 牛の下あごの前歯です(写真⑰⑱⑲)。人と同じで最初は乳歯です。1歳6月頃に乳歯が抜けています。18歳になるとかなり痛んでいることが分かります。牛は元々肉用牛なので短命なのですが、牧場などで天寿を全うするときは大体20年くらいといわれます。まあ、歯もそのくらいと言うことなのでしょう。 続く
|
|
2011年5月4日(木)
今、奥州市前沢区の牛の博物館にいます。
牛の品種のトゥルー・タイプという展示がありました。品種改良をして生産能力が高まった牛について登録を行い血統を明らかにしていますが、登録協会がその品種の理想型を文書にし、同時に模型を作って公表していますが。その模型が展示されているのです(写真①②)。 世界の牛の解説です(写真③)。牛は13億頭もいるのですか。馬と大変な差がついてしまいましたね。アフリカには元々牛がいなかったそうです。
さて、展示が変わり、日本の牛の話になりました。まずは和牛の原産地の解説です(写真④)。日本で作られた牛の品種は黒毛和種、褐毛(あかげ)和種、無角和種、日本短角種の4種類です。 とはいえ、日本に元からいた牛ではありません。これを見ると、元々いた農耕用などの役牛に明治以降の外国品種を交配させて改良された牛であることが分かります(写真⑤)。 牛の体型です(写真⑥)。乳牛、肉牛、役牛とあり、現在普通に見る牛は背中が平らで尻が直角になっていますが、戦前まで普通にいた役牛は肩が盛り上がっています。 これは黒毛和種の模型で手前が雄、奥が雌です(写真⑦)。なるほど、この体型では鋤は引けません。 これは明治36年発行の種牛図譜です(写真⑧)。もう役牛の面影はどこにもありません。 これは明治14年に撮られた南部牛の写真で西洋種との雑種化が進む初期のものです(写真⑨)。南部牛は元々役牛ですが、この写真では肩の盛り上がりが消えています。足は長く、尻も直角ではなく、役牛だった頃の面影がまだあるような感じです。 これがその解説です(写真⑩)。この系統は現在の日本短角種として品種化されています。 偶然にも生き残った純粋の日本の牛が現存します。見島牛と口之島牛です。どちらも離島にいて西洋種との交配を免れました。こうなると逆に大変貴重な存在になります(写真⑪)。 場所はここです(写真⑫)。 これは口之島牛です。やや小柄で、腹部に白い斑点があります(写真⑬)。 これは見島牛です(写真⑭)。かなり小柄です。 見島牛は、現在では国の天然記念物に指定されています(写真⑮)。 どうもこれが見島牛の骨格標本ではないかと思います(写真⑮の2)、 和牛の起源です(写真⑯⑰)。ヨーロッパやアジア北部で飼われていた牛が朝鮮半島経由で日本に来たと言うことです。 続く
|
|
2011年5月4日(木)
今、奥州市前沢区の牛の博物館にいます。
今でも野生の牛がいます(写真①)。よく知られているところではスイギュウ、バイソン、ヤクなどです。一番多いのは親戚のヌーでしょうか。 これはインドガウルという野生の牛です(写真②)。牛の仲間では最も大柄だそうです。 これは野生のアジアスイギュウの頭部です(写真③)。 アジアスイギュウの化石の解説です(写真③の2)。現在の家畜化されたアジアスイギュウの祖先種です。 これはアジアスイギュウの家畜化されたものです(写真④)。写真③と見比べると野生とは角の形状が違い、小さくなり、水平になっています。 家畜化されたアジアスイギュウの解説です(写真⑤)。しかし、アジアのスイギュウは食用ではなく役牛ですから昔の日本の牛と同じです。大切に扱われ、人に食べられることもありません。ちなみにスイギュウはどんな味がするでしょうか。話としては、牛と比べるとまずいということです。 先ほども登場したオーロックスの解説がありました(写真⑥⑦)。現在の家畜牛の先祖です。 さて、家畜化の話です(写真⑧)。
家畜化されると野生種とは違った体になっていきます。これはイノシシと豚の例です(写真⑨)。解説では、変化は数千年掛かるとされていますが、最近では数世代でおこるとされているようです。イノブタがいい例です。 これは頭骨の展示です(写真⑩)。左がイノシシ、右がブタです。これでもイノシシの雄とブタの雌を掛け合わせるとイノブタが生まれます。まあ、家畜状態ではブタに近いですが、野生ではイノシシ同然になります。 しかし、人に対する警戒心の違いは歴然としています。イノブタの方が警戒心が弱いのです。
え、なぜイノシシの雄とブタの雌かって、今はどうか知りませんが、かつては実際の性交でやっていたため、ブタの雄は気の荒い猪の雌とは交尾できなかったのです。
これは大英博物館にある紀元前1700年頃の古代エジプトの家畜牛の検査の様子です。といっても何がどうなっているかよく分かりませんが、どうもまだ十分に家畜として改良されていないので毛の色角の形がバラバラだと言うことのようです(写真⑪)。 家畜化の段階の解説です(写真⑫⑬)。 世界の家畜牛の分布です(写真⑭)。気候の違いによって飼われる牛も違うと言うことです。要因は気温と湿度の組み合わせで4種類に分けています。
さて、飼養地の違いによる家畜牛の体型の違いが模型で説明されています。 まずはヨーロッパ系の牛です(写真⑮⑯)。 中間系の牛です(写真⑰⑱)。
アジア系の牛です(写真⑲⑳)。
続く
|
|
2011年5月4日(木)
今、奥州市前沢区の牛の博物館にいます。
二階展示室にあがりました(写真①)。暗くて静か、おまけに向こうの方で牛のような骸骨がこちらを睨んでいます。 牛はいつ人と出会ったかという話です(写真②)。8000年ほど前に、ある人が野生の牛を捕まえ家畜化したようです。牛は人のために働き、糞を肥料としてもたらして農耕の発展に大いに寄与しました。肉も乳も皮も役立ちました。 これは有名なラスコー洞窟の家畜牛の祖先種の絵です(写真③)。 オーロックスの写生図です(写真④⑤)。オーロックスは家畜牛の祖先でその血筋の牛が現在でも世界中で飼われていますが、野生種としてのオーロックスは1627年に最後の一頭が死んで絶滅しました。これは、まだ生きているときに描かれた絵で、教科書にも載るそうです。 オーロックスの下あごの骨です(写真⑥)。第4期更新世のものと言いますから1万年以上前のもの、化石としてはごく新しいものです。
さて、牛はどうやって牛になったのでしょうか。その進化の過程の話です。 これが牛が属する有蹄類の進化図です。根元のところで偶蹄類と奇蹄類に分岐しています(写真⑦)。牛は偶蹄目、馬は奇蹄目に属します。 偶蹄目の進化の解説です(写真⑧)。地球の環境の変化に応じて新しい種が現れ爆発的に拡散していくようです。直接の牛の祖先が現れたのは700万年前以上前と言うことです。 日本にも野牛がいました。その一つがハナイズミモリウシ(花泉盛牛)です。2万年前、まだ大陸と陸続きだった日本列島に渡ってきた種類で、バイソンに近い仲間だそうです。日本にもバイソンの仲間がいたんですね。でも、バイソンが生き延びるには日本は狭すぎたでしょう(写真⑨⑩)。 これがハナイズミモリウシの頭部の複製です(写真⑪)。
ハナイズミモリウシが生きていた頃、日本は縄文時代(16500年前から)のまだ前の旧石器時代でした。石器の武器を持って狩猟採集生活を送っていた頃とされます。これが旧石器時代の石器です(写真⑫)。こんな武器で闘牛も顔負けの狩りをしていたことになります これはその解説です(写真⑬)。ちなみに縄文時代は土器を持った時代ですが、旧石器時代は土器を持っていません。かつては、この時代を岩宿時代と呼ぼうと言う話もあったのですが、藤原とか言う詐欺師の出土品捏造事件によってどこかに吹っ飛んでしまいました。 さっきからこちらを睨んでいたのはこの牛の骨格模型でした(写真⑭)。 この解説を読むと、野牛はアジア大陸で誕生したようです。1万年前までにはアジアの野牛は全部人に食べられたようです。環境の変化も影響していました。縄文人も野牛のステーキを食べたと思われます。そりゃあ、うまかったことでしょう(写真⑮)。 野牛の頭部です(写真⑯⑰)。今の闘牛でも迫力があるのに、こんな角で構える相手に先端にとがった石を結びつけただけの槍で立ち向かうわけですから、狩りは命がけだったでしょう。子牛をうまく捕まえられたら飼い慣らして家畜にできたと思います。犬と同じで、後は性格が穏和で従順な個体を見極めて掛け合わせれば、何世代かですぐに野生種とは違う牛や犬が成立したはずです。 続く
|






