よねちゃんの車中泊旅行記

4月22日、はてなブログ「よねちゃんの花日記」に移行しました。車中泊旅行記もそちらで継続しています。

第19回大旅行(2012年4月)

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    2012年5月2日(水)
  今、福島県喜多方市の蔵通りにいます。
  先ほどからいわゆるランドマークが無くて困っていたのですが、観光案内図に出ている「馬車の駅」というところだと分かりました(写真①)。
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  写真①の左側の蔵です(写真②)。目の前のバス停の名からこのあたりが南小田付だとわかります。だから「おたづき通り」と言う名が付いていたのです。
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  この建物はことのほか豪勢でよく目立ちます(写真③)。看板から「大森家店蔵」と呼ぶことが分かります。
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  こういう防火扉が一番の特徴です(写真④)。江戸時代、火事が頻発しました。敷地の中に強固な蔵を作ったり、建物の二階の両端に「うだつ」というものを付けたりしていましたが、江戸末期から明治にかけて瓦葺き、漆喰塗り、防火扉付きという重装備の建物が軒を並べる様になりました。
  ここ喜多方の町並みも多くは明治中期にできたものです。この種のもので一番大規模で有名なのは川越の町並みですが、その川越にしても多くは明治26年の大火の後で建てられたものです。明治とはいえ、様式は江戸時代そのままだったので、現在では江戸の面影を色濃く残す町並みとされているのです。
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  これは観光案内図にも出ている小原酒造です(写真⑤)。
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  当たり前のことですが、防火扉というものは普段は邪魔者です。こうやって開けたままにしておき、いざ出火というときに急いで閉めます(写真⑥)。内側から閉めることはできないと思いますが、違うかもしれません。
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  初夏の風に暖簾が揺れ、青い杉玉がかかり、なかなかいい風情です。御承知のように杉玉は酒林とも呼び、日本酒を搾りめたときに店先に吊します。やがて、杉が枯れて焦げ茶色になるとおいしい熟成した酒ができたことが分かります(写真⑦)。
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  同じ小原酒造ですが、それにしても無粋な電柱ですねえ(写真⑧)。残念ながら喜多方ではこういう蔵は飛び飛びにしか無く、電線を地下に埋設するのは難しいでしょう。
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  小原酒造は酒蔵を見学できるようです(写真⑧の2)。行っておけばよかったですね。
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   文中にあった「仕込みの時にモーツァルトを聴かせる」と言うことで、こういう飾りがあるのでしょう(写真⑧の3)。
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  もしかすると、この水も仕込みに使っている名水かもしれません(写真⑧の4)。
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  この家は元々蔵だったところを改築か増築でもしたのでしょうか(写真⑨)。
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  小原酒造のあるこの辺りは壮観です(写真⑩)。
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  蔵のまち喜多方の解説です(写真⑪)。
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  さて、2分ほど移動したようです。喜多方ラーメンの店です(写真⑫)。店の格好が蔵というのもいいものです。
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  これはうるし美術館です。手前にかなりくたびれたハイエースとおぼしき車が止まっています。(写真⑬)。蔵の町観光センターのシャトルバスと書かれていますが、果たして現役でしょうか。
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  さて、これで蔵通りの散策は終わりです。蔵通りの南の端から西に向かって歩きます。喜多方東高校の北側の通りを過ぎて300メートルほど西にきました。
  田付川の東詰には市営西四ツ谷観光駐車場があります。市役所の東約200メートルのところにありますから、車で来るときはここを目標にするといいでしょう(写真⑭)。
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  これは田付川に架かる幸橋です(写真⑮)。
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  少し西に行くとラーメン館があります。後方のビルは市役所です(写真⑯)。
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  これが市役所です(写真⑰)。
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  さて、めざしているのはこの地図のふれあい通りです(写真⑱)。市役所の前を200メートルほど西に行くと一目でそれとわかるに愚や仮名通りがあります。それがふれあい通り、正式には県道21号線です。
  この地図で南北に延びるふれあい通りのほぼ中央付近の西側に最初に車を止めたリオンドールがあります。
では頑張って歩きましょう。
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       続く
 
    2012年5月2日(水)
※都合により写真⑪は欠番です。
 
  今、宮城県角田市の旧佐藤家住宅にいます。ここを出発、長駆、国道4号線、国道113号線、国道13号線、国道121号線とひたすら走り、山形県米沢市の西の外れの山間にある道の駅田沢にやってきました。
  1036時着(写真①)。まだ山には雪があって寒いです。
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  そうは言っても米沢の市街地は春たけなわ、上杉祭というのをやっているようです。見てくればよかったと思いました(写真②)。
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  さて、再び国道12号線を南下、1123時、福島県喜多方市の市街地にあるスーパーマーケットのリオンドール着(写真③)。
  ここは喜多方市役所の西約200メートルにあります。まあ、余り混んでいないのでここに車を置いて歩くことにします。最初、近くに観光客用の駐車場は見つかりませんでした。喜多方市役所まで行ったら車を止められたと思いますが、どのみちここで昼食と夕食を買いますからまあ、いいと言うことに。
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  御承知のようにここ喜多方は蔵とラーメンの町として有名です。どんなことになるでしょうか。
目の前の道を北に歩きます。ここは何でも昔の古い家並みがあるとか。この写真の左奥は国道459号線の三叉路交差点です。北から来た459号線が東に曲がります(写真④)。
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  途中にラーメン屋がありました。名高い喜多方ラーメンです(写真⑤)。当ブログの住んでいるところにも和歌山ラーメンがありますが、それと比べるとこの喜多方ラーメンはまずまずでした。本来だと自転車で移動するつもりだったのですが、仙台市内で変速機を壊してしまい、歩くしかありません。そのため、喜多方の蔵を全部見るつもりがほんの少ししか見られないことになりました。
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  さて、また歩きます。三叉路交差点を東に曲がり、国道459号線を200メートルほど東進すると喜多方郵便局前の交差点です。この写真は南側から郵便局を見ています(写真⑥)。大きな看板があって、ここを東に進むと観光駐車場があります。
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  郵便局前から国道459号線を東に進むとずっと先に国道121号線との交差点があります。ここを直進すると会津磐梯山の北側に出ます。南に曲がれば会津若松に行きます(写真⑦)。
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  特別珍しいものではありませんが、昭和の頃はこういう町並みがどこにでもあったような気がします(写真⑧)。一番手前に自転車店がありますが、こういう自転車店がなくなりつつあります。パンク修理にも困るほどです。
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  これは酒屋ですが、まだ瓶ビールをケースで売る需要があるようです。多くの酒店は自動販売機だけで生きている感じです(写真⑨)。
  
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  理髪店もピンチです(写真⑩)。1回1280円というような店が現れると、こういう店は大変でしょう。
  
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  さて、そもそも何でこういうところに来たかというと、この地図を見れば分かります。国道121号線の交差点の一つ手前の交差点の南北の通りが「おたづき蔵通り」であることが分かります。わざわざ宮城県角田市から長駆、喜多方市までやって来たのは、ラーメンの他にこの蔵通りを歩くのが目的でした(写真⑫)。どうも喜多方郵便局の東隣に観光案内所があり、そこでもらったようです。
  
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  交差点を南に曲がり、蔵通りを歩きます。(写真⑬)。
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  しばらく歩くとそれらしくなってきました(写真⑭)。
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  これが地図に出ていた金忠です(写真⑮)。
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  こういう店もあります(写真⑯)。
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  これも蔵です。古峯神社の石灯籠があります(写真⑰)。
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  看板がありました(写真⑱)。
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  では先を急ぎましょう。
    続く
    2012年5月2日(水)
 
 
 
  今、宮城県角田市の旧佐藤家住宅にいます。
  土間から囲炉裏を見たところです。囲炉裏は部屋の真ん中に作るときとこういうように土間に接して作られる場合があります。土間に作るのは、恐らく、他の作業をしながら火の番をするのに都合がいいからだと思われます(写真①)。もしかしたら灰を掻き出すのに便利だったからかもしれません。
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  板敷の間です。現在は一般の民家でもフロ−リングの部屋が増え、こういうようにゴザを敷いてその上に座布団を敷くというのが当たり前の時代になりました。今だと恐らくカーペットを敷くでしょうが、カーペットはただのゴミになり、捨てるのが大変です。ところがこれは元はただのワラ、使えなくなれば切って堆肥にします。戦前は糞尿も肥料になるなど、結構な循環型社会だったのです(写真②)。
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  この四角い金属製のものも五徳というのでしょうか。囲炉裏の火は年寄りが一日中番をしていて常に少しずつ火を焚き、小さな鉄瓶に湯が沸いていました。今どきの人なら灰だらけの湯と思うかもしれません(写真③)。
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  できる範囲でおしゃれをしたいのは今も昔も同じです。可愛い草履(ぞうり)です。今はワラが簡単に手に入りにくくなったので布で作ることが多いようです(写真④)。
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  囲炉裏の上部です。四角い火格子が架けられ、藁製の弁慶がぶら下がっています(写真⑤)。弁慶は藁製の筒で、これに竹櫛を刺し、ハヤなどの川魚を刺して燻製にしたのです。まあ、アユやアマゴのようなサケ科の魚と違い、ハヤなどは水っぽくてまずく、普通では食べられないのですが、こうして燻製にすると香ばしくおいしくなるから不思議なものです。
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  座敷側から土間を見たところです(写真⑥)。作業場だということが分かります。雪深いところではここが仕事場になりました。
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  囲炉裏のある部屋は、ここの解説では「ひろま」となっていますが、普通には、居間とか茶の間と呼ばれるような部屋です。そう言うところにはこのような大きな水屋があります(写真⑦⑧)。食器以外にも色々なものを入れました。
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  衝立です。家の中は基本的に開けっ放し、そこでこういうものが活躍しました。要するに移動式の間仕切りで、平安時代の帳(とばり)と同じ役目のものです。自立性が高く、屏風よりも安定しますから使い勝手がよかったのです(写真⑨)。これは障子貼りですが、凝り出せば国宝の衝立にもなるような装飾性がありました。
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  これは「なかま」と呼ばれる部屋です。この家屋で唯一畳敷きです。畳は一種の「モジュール」で、これが敷いてあると広さがすぐに分かります。これは見てのとおり8畳間です。これは縁(へり)がありません(写真⑩)。縁の畳が下級品だということではありません。畳の敷き方だとか、縁を踏んではいけないだとか、そういう「文化」も一部の人以外には常識では無くなりました。畳自体が無くなっていく時代、普段接することがないだけに「作法」として覚えるのも大変になりました。
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  8畳間に火鉢一つ、しかも、江戸時代は現在よりも平均気温が2〜3度寒い小氷期でした。今思えば、よくこれだけの暖房具でご先祖様達は生き延びたものです。え?、狭い部屋で身を寄せ合って寝れば寒くないって・・・、きっとそうだったに違いありません(写真⑪)。
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  一番奥の納戸です(写真⑫)。物置のようですが、実際にも物置や寝室として使われました。開口部は無く、暗いのですが他の部屋よりも暖かかったと思われます。
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  皇子の箪笥、炬燵です(写真⑬)。この箪笥、本物の板で造られ、しかも金具で補強されています。今どきの接着剤の張りぼてではありませんから長く使うことができました。炬燵の熱源は、炭火、練炭、豆炭など、今使えば中毒死したかもしれませんが、往時は隙間の多い家でしたから大丈夫でした。
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  こうやってみると、結構明るいことが分かります(写真⑭)。テレビもパソコンもなく、個室もなく、たった一つの囲炉裏に寄り添って暮らしていた時代、今とどちらがよかったか分からなくなりました。まあ、長短色々と言ったところでしょうが、失ったものも大きいと思います。
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  さて、旧佐藤家住宅の見学はこれで終わりです。折角ですから春爛漫の高倉公園を歩いてみましょう。
  桜の絨毯の上に咲くスイセンです(写真⑮)。
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  桜と山吹です(写真⑯)。
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  ここも美しいです(写真⑰⑱)。
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  さて、0800時になりました。これで宮城県の見学は終わりました。ここを出発、まずは国道4号線に出て南下します。白石市で国道113号線に分岐し西進、山形県高畠町に入り、国道13号線に入りました。しばらく南進して米沢市の市街地の手前で国道121号線に分岐し西進します。
  取り敢えずめざすのは米沢市の西の外れにある道の駅田沢です。ここを更に進むと福島県です。もう二度と当ブログが青森、秋田、岩手、宮城、山形の東北5県に来ることはできないかもしれません。さようなら、約20年間にわたりいろいろありがとうございました。
   続く
    2012年5月2日(水)
  今、宮城県角田市の高倉公園にいます。高蔵寺阿弥陀堂に参拝、隣にある旧佐藤家住宅
に行くところです。
  これが旧佐藤家住宅です(写真①)。
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  正面に回りました(写真②)。屋根は葺き替えしたばかりなのでしょう。煙出しが面白い位置にあります。
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  まずは解説です。竣工は江戸末期、重要文化財に指定された後、ここに移築復元されたものです(写真③)。間取りを見れば分かりますが、半分近くは土間です。面積は土間を含め120平方メートルです。
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  さっき参拝した阿弥陀堂は昔からあの位置にあるため、この建物が重要文化財になったときここに移築し、併せてこういう公園も整備したものと思われます(写真④)。
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  屋根は茅葺き寄せ棟造りです(写真⑤)。
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  中に入りました(写真⑥)。広い土間です。壁を支える柱とは別に梁を支える柱が土間の中に立っています。いろいろな農具が置かれています。
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  手前から俵織機、糸車、むしろ織り機などです(写真⑦)。
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  これは田舟と呼ばれるものです(写真⑧)。昔は湿田が多く、苗、肥料、農具、食糧を運ぶのに使われました。
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  土摺り臼です(写真⑨)。精米機ではなく、籾摺り機です。
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  手前には手押し式ポンプがあります。大正時代に普及したものです。奥には唐箕があります(写真⑩)。
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  大きな木の道具のはむしろ織機、他にはもっこ、背当て、簑、馬鍬、押し切りなどがならんでいます(写真⑪)。
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  土間の上部です。解説にも藩の命令で天井は作れなかったとありましたが、普通、茅葺きの家では土間の上に天井は作りません(写真⑫)。
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  頑丈な梁が屋根を支えています。こういうように縦に二本針が通っているのは比較的珍しいです(写真⑬)。
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  こうやってみると壮観です(写真⑭)。
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  左側にぶら下がっているのが馬の草鞋(わらじ)です(写真⑮)。日本で蹄鉄が普及したのは明治になってからで、それまでは馬も草鞋を履いていました。もっとも、時代劇では草鞋を履いた馬など見たことがありませんが、あれは現代の馬を使っているので蹄鉄を履いているに違いありません。
  時代劇では必ず時代考証が入りますが、不自然でないところはそのまま通すようです。昨今のNHKの大河ドラマが時代考証的にかなりめちゃくちゃになったようで失笑を買ったというか、年輩の人はそもそも見る気がしなくなったというような話もあるようです。
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  自然光で写した家の中です。現代と比べると格段に暗いことが分かります(写真⑯)。まこれから家を建てる人にお勧めしますが、特に一階は窓は2枚までで柱を建てましょう。4枚だと間口が広すぎて大地震の時に倒壊しやすくなります。
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  ストロボを使うとこうなります(写真⑰)。家を建てるときに6畳でもいいから土間を作っておけばよかったと後悔しています。ゴミの出るような作業もできますし、客の応接間にもなります。
  これから家を建てる人には他が狭くなってもいいから土間を作ることをお勧めします。こういう家を見れば使い勝手がいいことは一目瞭然です。夏にゴザでも敷いて土間に寝ると涼しくていいですよ。まあ、背中は痛いでしょうが、万一の災害の時の訓練にはなります。
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    続く
    2012年5月2日(水)
  今、宮城県柴田町の船岡城址公園にいます。ここの見学が終わり出発、県道50号線、国道113号線と走り、柴田町の南隣の角田市の西の端近くの山奥にやってきました。ここに高蔵寺があるのです。
  駐車場に車を置いて参道を歩きます(写真①)。
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  少し字が小さいですが、解説がありました(写真②)。阿弥陀堂は1177年の建立で重要文化財です。ご本尊の阿弥陀如来座像も同時代の作で、これも重要文化財になっていますが、写真は撮れないでしょう。
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  これが見取り図です(写真③)。かつては堂宇が軒を連ねていた様子が分かります。なお、重要文化財である旧佐藤家住宅もあるようです。
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  桜の向こうに屋根が見えるのはその内に佐藤家住宅のようです(写真④)。
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  阿弥陀堂に向かう参道はこれです(写真⑤)。
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  美しい桜に彩られた参道が続きます(写真⑥)。
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  杉の暗い木立の奥に茅葺き宝形造りの屋根が見えました。あれが阿弥陀堂に違いありません(写真⑦)。
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  これがその阿弥陀堂です(写真⑧)。
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  傍らにこういう石碑がありますが、全部は読めません。横に小さく「宝暦」と書かれていますから江戸の中期、1750年代のものでしょう(写真⑨)。
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  階段を上りきりました。何の音もしない静かな森の中にひっそりと建っています(写真⑩)。
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  斜めから見たところです(写真⑪)。組み物などの装飾のほとんど無い造りです。
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  これも読みにくいですが、解説です(写真⑫)。中に安置されている阿弥陀如来座像は像の高さ2.7メートル、光背は4.1メートルだそうですからかなり大きなものです。
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  少し離れたところから見たところです(写真⑬)。恐らく、写真の正面が北向きなのでしょう。茅葺きの家は北向きの方から苔が生えて劣化していくのが一般的です。
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  境内の巨木は御神木として崇められているようです(写真⑭)。
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  上の方に「南無阿弥陀仏」とあり、下には湯殿山を中心に羽黒山と月山の字が刻まれています。出羽三山の信仰の石碑です(写真⑮)。こういう穏やかな神仏習合の信仰心を砕いたのは明治政府でした。
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  これもそう言う石碑と思われますが、字は読めませんでした(写真⑯)。
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  では阿弥陀堂を後にして隣にある旧佐藤家住宅に行きましょう。後を振り返ると阿弥陀様が見送ってくれているような気がしました(写真⑰)。
  まあ、いずれは、観音菩薩と様と勢至菩薩様をお迎えに来てくれることでしょうが、それはまだ少し先のようです。それまで、しっかり生きることにしましょう。
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    続く

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