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2012年5月2日(水)
今、福島県南会津町にある奥会津博物館・南郷館にいます。
こういう展示になりました(写真①)。 この焼き物、半端ではありません。一番左が絵唐津と呼ばれる唐津焼、左から二番目は辰砂唐津、左から三番目は李氏朝鮮時代の焼き物、一番右は唐三彩です(写真②)。どれも名陶です。 これもそうです。左は唐三彩の武人像、中央は古瀬戸、右は高麗青磁です(写真③)。 次の古鏡はこれだと思います(写真④)。町指定文化財です。 これがその古鏡です(写真⑤⑥)。ご存じの通り、こういう鏡は裏側を見せるように展示しています。表面は、というともちろん金属を磨いたただの鏡です。 次は賑やかな展示です(写真⑦)。詳しく紹介しましょう。
財布です(写真⑧)。見ただけでは年代が分かりません。 少しぶれてしまいました。美しい簪、笄、櫛、要するに髪飾りです(写真⑨)。こういうもので日本髪の頭を飾れる時代、ある意味でいい時代でした。でも、簡単には洗髪ができない、枕も特殊なものでないと型くずれするという難点がありました。今の人ではこんな髪型ではとても生活できないでしょう。 櫛、手鏡です(写真⑩)。 秤です(写真⑪⑫)。昔は取引の現場で計量しながら商売をしたことが多かったのでしょう、こういう携帯用の秤はよく登場します。 鉄砲の火薬入れ、十手です(写真⑬)。十手は元々は武器で短棒術の一種ですが、時代劇で有名なように、江戸時代では奉行所の与力、同心などが持っていました。
これは矢立、携帯筆記具です(写真⑭)。 さて、これは古鏡です(写真⑮)。これだけのコレクションも珍しいです。一つ一つが立派な工芸品ですが詳しいことは省略します。 まあ、こういうものです(写真⑯⑰)。 続く
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第19回大旅行(2012年4月)
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2012年5月2日(水)
今、福島県南会津町にある奥会津博物館・南郷館にいます。
これは麻の繊維です(写真①)。 これも麻ひきふねです(写真②③)。ひきふねにひき台、一体何をするものでしょう。 工程を簡単に説明しましょう。次回で出てくる大桶でまずは採取した麻を煮ます。それを一旦乾燥させます。次に登場するのがこの麻ひきふねで、これに水を入れ、麻を朝夕2回、このふねの水に浸し横に寝かせムシロを掛けてあたため発酵させるようです。こうすると、表面の皮が剥がれます。
次にこの皮剥をした麻を麻ひき台に載せ、麻かきと呼ばれる道具でそうめんのような繊維に引いていくようです。この辺り、細かいところで多少違うかもしれません。 これが麻を蒸す道具です(写真④)。巨大な桶といったらいいでしょうか、大釜の上に乗せて麻を蒸します。
これが麻です(写真⑤)。 この押し切りは麻を切るのに使ったのです。鎌は麻を刈り取ったものと思われます(写真⑥)。 こういうように往時の作業の様子もパネル展示されています。なかなか充実していますから、近所を通った時は是非立ち寄って見学することをお勧めします。カイコと違い、麻の産地は多くありませんから(写真⑦)。 さて、展示が変わりました。こういう資料館は一般に歴史民俗資料館といいます。歴史も扱っているため、多くの資料館でこういうように地元の遺跡の出土品も展示しています。まあ、考古学に興味のない人にとってはただの石、瓦礫に見えますが、そこは解説を読むと違いが分かります。 考古学も以前は大いに人気があったのですが、例の藤原さんとか言う人の捏造事件で一辺に信用を落としました。考古学者って、人の好い非科学的な人ばかりだという印象も受けました。今はどうなっているでしょうか。
理研のエプロン姿のおばさんの壮大な捏造事件も思い出されます。それよりも韓国、中国による歴史捏造の方がはるかに害があります。よくよく注意してその都度声を大にして指摘しましょう(写真⑧)。ということで、出土品の紹介は終わります。
次はこれです。イタチ、テン、ツグミの剥製です。以前は剥製がよく作られました。19世紀までの博物館の展示品は主に剥製でしたし、日本でも捕獲した動物の剥製は各地で普通に作られ、飾り物になっていました。この展示は更に奇矯な形をした木を組み合わせ、芸術的とも言える出来栄えです(写真⑨)。イタチは結構どこにでもいます。 次は御当地、南郷の歌舞伎関連資料です。かつて歌舞伎は日本各地で行われました。今でも行われているところがありますが、後継者の問題を抱えています。 何と、南郷の歌舞伎資料は経緯指定文化財に指定されていました。読みにくいですが解説を紹介しておきます(写真⑩)。
指定書もありました(写真⑪)。田舎がどんなに素晴らしいところか、こういうものを見るとよく分かります。これが日本の底力なのですが、今は過疎が進み、こういうものが滅ぼうとしています。一億総活躍で、日本全国総活躍となって欲しいものです。補助金のばらまきだけが行政の行うべき事ではありません。 こういう張り紙もありました(写真⑫)。南郷村は2006年(平成18年)に合併して南会津町の一部になっています。県指定文化財と重複するものと思われます。地芝居、いわゆる田舎歌舞伎は昭和20年代まで行われたようです。 歌舞伎の衣装と思われます(写真⑬)。 天狗の面です(写真⑭)。長い鼻と頭の兜巾(ときん)、大きな目と眉毛、いずれも滑稽さを感じさせる様な面です。 これは歌舞伎衣装です(写真⑮)。 これは纏(まとい)ですが、何の纏か今となっては分からなくなりました(写真⑯)。 では次に行きましょう。 続く
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2012年5月2日(水)
今、福島県南会津町にある奥会津博物館・南郷館にいます。
これは紋付きの着物です(写真①)。紋付きですから普段着ではありません。こういう紺色、いい風合いです。今でも作業服の大半は濃紺、鉄紺などです。汚れを気にしなくていいし、色もいいからでしょう。 一番右は紋付きの着物、左3枚は麻の半纏です(写真②)。 刺し子の上着です(写真③)。とても美しい紋様です。上に見えるように「奥会津に麻織用具と麻製品」ということで県指定文化財になっていました。 中央から左はご存じ、モンペです(写真④)。多くは大正時代のものです。一種の袴で労働着でしたが、先の大戦中は女性の制服とされました。裾が絞られ、太股あたりはゆったりしているため、ジャージの体操服よりも動きやすく、今でも着ている人がいます。東北ではホームセンターでも売っています。当たり前ですか、モンペは東北出身ですから、江戸時代の絵図を見ると着物の裾をまくった姿の方が多いような気がします。 文化財の指定書がありました(写真⑤)。このほか、福島県では「カラムシ」も特産品になっています。 馬の尻掛けです(写真⑥⑦)。元々裸なのになぜこういうものを使ったのでしょう。何かの目印だったのか単なる飾りだったか、その辺はよく分かりません。 この写真の手前にあるのは投網のようです。奥には畳へり、白脚絆があります。箱は何の箱か分かりません(写真⑧)。
このあたり、袋やわらじのほか何に使うのか分からないものもあります(写真⑨)。 さて、ここから麻織用具が登場します。左側に腰当てがありますから使ったのは地機(じはた)でしょう(写真⑩)。 中央の長い棒は明治時代の綾棒(あやぼう)です(写真⑪)。どうも、これを織っている途中の糸の間に挟んで糸を整えるような使い方をするようです。余り見掛けるものではありませんから詳しくはインターネットで検索してください。 地機に使う道具です(写真⑫)。詳しいことは分かりません。この先、麻糸造りや麻織の話が続きますが、当ブログは門外漢なので詳しいことは分かりません。以後の記事に誤りがあってもご容赦ください。 この衣紋掛けのようなものは地機の杼(ひ)です。中に横糸が収納されていて縦糸の間を左右に往復して横糸を通します。シャトルというと漢字が分かるでしょう。スペースシャトル、シャトルバスも同じ動きをイメージしています(写真⑬⑭)。 よく見掛ける座繰りです(写真⑮)。一般にはカイコの繭を鍋で煮ながら糸を引き出し、指先で撚りを掛けながら糸枠に巻き取る道具ですが、ここでは麻織の道具でしょうから、束になった麻糸を糸枠に巻き取る道具かと思われます。
これは麻紡枠という名が付いています(写真⑯)。やはり織るための糸を準備する工程かと思われます。 麻引き台、糸車、おぼけと呼ばれる糸枠のようなものが列んでいます(写真⑰)。 左端は麻ひきふねです(写真⑱)。 この先の詳しいことは次回で紹介しましょう。 続く
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2012年5月2日(水)
今、福島県南会津町にある奥会津博物館・南郷館にいます。
昔の民家の囲炉裏のある部屋、今で言えば居間を再現した展示です(写真①)。 正面にいるのは鷲と熊です。鷲はイヌワシ、熊はツキノワグマでしょう。往時は飾り用に剥製がよく作られました。残念ながら、イヌワシは希少動物になっていて原則として剥製を作ることはできませんが、山で死んでいるのを見つけたら許可を得て作ることができるかもしれません。下手な作り物よりは余程見栄えがします。イヌワシがとまっている木も細工物です(写真②)。 囲炉裏です(写真③)。普通にある飾り気のない自在鉤です。 火格子です(写真④)。この上部に木製の大きな装飾的な鉤が付いていることもあります。 屏風に錦絵を貼ったものです。明治初期から中期にかけて描かれた絵でしょうか(写真⑤)。こういう錦絵は江戸時代の後期から詳細に、しかも美的に描かれ、往時の風俗を今に伝えています。 煙草盆、整理箪笥です(写真⑥)。 これが何だか分かりますか。大砲?、いえ違います。中央の突起物は男根、両側にあるのは睾丸です。つまり男性器をかたどったもので、解説によれば火伏せのお守りだそうです。まさか、おしっこで火を消そうとしたわけではないでしょうね(写真⑦)。実は真面目な解説があって、新築住宅の屋根裏に男根と女陰の一対を置いて、家内安全と子孫繁栄を願ったそうです。女陰の方は展示されていなかったような気がします。まあ、どうでもいいですが。 では次に行きましょう。これは板葺きの屋根の材料や道具です(写真⑧⑨)。一般に板葺きの内でこういうように木を小羽(こば)に加工して屋根を葺くのをこけら葺きといいます。葺いた上から桟と呼ばれる木を横に並べ、更にそれを石で押さえます。茅葺きよりも進んだ工法です。できあがりも極めて美しくなります。 次の展示になりました(写真⑩)。木摺り臼です。籾摺り機です。
これが木摺り臼の解説です(写真⑪)。しかし、直径1メートルともなると材料を調達するのが大変です。 そこで考案されたのが土摺り臼です(写真⑫)。見ての通り竹籠に土を詰めたものであることが分かります。動かすとなるとこちらの方が重労働だったようです。 箕です(写真⑬)。籾と殻やゴミを選別するための道具ですが、小振りで使い勝手がいいため今も健在です。 中央は「せんでい」、両側は千石通しです(写真⑭)。 どちらも籾の選別機ですが、「せんでい」の方が古いようです。寡聞にして「せんでい」なるものを初めて見ました(写真⑮)。 奥はご存じ、唐箕です。右は明治44年に作られた千石通しですが、下の部分は最近修理されたかもしれません(写真⑯)。 左から馬の尻掛け、各種枡、千歯こきなどです(写真⑰)。 往時の農作業の様子です(写真⑱〜21)。田植え体験とか収穫体験とかいろいろありますが、中腰の姿勢を続けないといけないなど本当に重労働です。 続く
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2012年5月2日(水)
※都合により写真⑯は欠番です。 今、福島県南会津町にある奥会津博物館・南郷館にいます。
これは手網です(写真①)。 実際の漁の様子です(写真②)。 上の方は魚籠(びく)です。ここでは「ハケゴ」という名が付いています(写真③)。童話に出てくる漁師も腰にこういうものをぶら下げていますからご存じの方も多いでしょう。浦島太郎君もそうでした。 ガンドウです(写真④)。解説では「夜突き用の照明具」となっています。御承知のように内部のロウソク立てが回転式になっていて本体をどちらに向けてもロウソクを直立して消えないという仕掛けを施しています。光は開口部からだけ出るようになっていて、今の懐中電灯に似ています。 これも仕掛けです。「石倉どう」と言う名が付いています(写真⑤)。 これはかなり小振りですが、「どうじょうどう」、つまり泥鰌用の仕掛けです(写真⑥)。泥鰌もおいしいのですが、もう長いこと食べたことがありません。 「かじかどう」や「ざこどう」です。カジカはかつて日本全国にいましたが水質汚染やダム建設で生息域は減っています。現在では放流も行われていて漁期や捕獲制限もあるほどですが、昔は子供でもヤスで捕れるくらいいました。見かけは不細工ですが結構美味でした。雑魚はハヤなどを指しているのでしょう(写真⑦)。 別嬪のおばさんが案内してくれています(写真⑧)。 往時、実際に日常的に的に使われていた食器類です(写真⑨)。
これもそうです(写真⑩)。日本でアルミなどの金属製食器を使っているのは学校の食堂くらいのものですが、隣の国ではレストランでも金属製食器を使っているそうです。「我が朝鮮が元祖の焼き物や漆器」と胸を張っても自分の国ではそういう伝統が廃れつつあるようです。この間日本で言う「人間国宝」に指定予告された人が日本の技術を使ったという理由で取り消されたとか。いい物はいいでは済まない国のようです。阿部首相に昼飯を出さなかったりもして、器が小さいお国柄ですね。そんなことだから国が衰えるのです。 この写真の上段は、左から水筒、弁当箱、中段は左から香炉、お歯黒の壺、丸弁当、右端は酒徳利、下の方の2個は箱膳と椀です(写真⑪)。 こういう展示もありました。膨大な量の遺跡からの出土品です(写真⑫)。大半のものは壺や鍋の割れたものです。まあ、これはこのくらいにしておきます。他にもありますから見に来てください。 こういう展示になりました(写真⑬)。 詳しく紹介しましょう。まずはこれです(写真⑭)。左は煙草盆、右は富山焼です。徳利と言ったらいいでしょうか、花瓶と言ったらいいでしょうか。明治18年頃に地元の人が窯を作ったのですが、5年ほどでやめたそうです。富山とは御当地にある地名のことで、富山県とは関係がありません。 これは大皿、徳利などです(写真⑮)。こういうもので皿鉢料理でも作ってこの徳利で地酒でも飲んだら最高ですね。この写真で、徳利の格好をしたものに「すず」という名札が付いています。方言だと思います。他に土瓶、水差しがあります。 上段のものと下の左端のものは「すず」、右二つは甕(かめ)です(写真⑰)。壺と甕の違いは難しいのですが、口が小さいのが壺、大きいのが甕です。 徳利、壺、「すず」です。徳利は壺かの一種かというと、さて、と言うことになるでしょう。そうそう、徳利は酒器専用です・・・、これも間違いかもしれません。まあ、余りこだわらないようにしましょう(写真⑱)。 では次に行きましょう。 続く
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