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2012年8月16日(木)
今、長野県木曽町の福島小学校の隣にある代官屋敷にいます。
資料展示室から移動しています。左側に書院の出っ張りがあります。この奥に床の間があるのでしょう(写真①)。
広間に出ました(写真②)。
前の庭はこうなっています(写真③)。
奥には安政年間の木曽地方の饗応料理言うのが展示されています。安政年間と言えば1854年から1860年までの間です。日本がかつて無いほどの危機に直面した激動の時代です。まあ、後で振り返ればそういうことだったということで、当時の人にはそれほどの悲壮感はなかったと思います(写真④)。
では今から150年ほど前のご馳走を見ることにしましょう。まずはこれです(写真⑤)。
詳しく紹介しましょう。名札は「御木皿」とあるだけで、上の魚が何か分かりません。アユの塩焼きだと思いますが違うかもしれません(写真⑥)。
これは「御平 おぼろとうふ 生姜あんかけ」と読むのでしょう(写真⑦)。
とはいえ、上から見るとこのとおり、どこが豆腐なのか、上の橙色なのがショウガなのかなどと考えるとよく分からなくなりました(写真⑧)。
湯桶です(写真⑨)。名札には「御湯斗 香漬大根」と書かれているように見えます。
次はまずお品書きを読んでおきましょう(写真⑩)。兜盛りの鯛、伊勢エビ、掻敷松、萬年竹、光琳梅となっています。松竹梅にエビとタイ、いわゆる縁起物ばかりです。
これがその料理です。掻敷松とはご承知のように器に盛る食べ物の下に敷く松の葉のことですが、ここでは後方の3個のうちのどれかかもしれません。タイもいわゆる尾と頭だけ、余りうまそうに見えません(写真⑪)。江戸時代、木曽地方で伊勢エビや鯛を生で出すのはそれなりに難しかったでしょう。
これもお品書きです。尾壺の中身はアワビの塩からです。茶碗蒸しは「貝柱、百合根、小芋。木耳」までは読めますが、右端の「焼き○○○」は読めません(写真⑫)。
これがその茶碗蒸しです(写真⑬)。まあ、このくらいの茶碗蒸しなら味はともかくとして具材はそろいそうです。
次はこのお品書きです(写真⑭)。キクラゲ、巻き湯葉は分かりましたが、右端は大板と読めます。大板とは何でしょう、カマボコの1種でしょうか。ちなみに火鉢は「松波千鳥文手火鉢」というものだそうです。
これがその料理です(写真⑮)火鉢も美しいです。キクラゲと湯葉は一目で分かります。例の「大板」というのは右端の物体で、焼き豆腐のようにも見えます。
お櫃です(写真⑯)。
ちなみに、江戸時代は中山道などの街道を通る大名は自前の料理人、具材、鍋釜を持参していたようです。風呂桶まで持ち歩いていたと言うから驚きです。ただし、大名行列でも臨時雇いの下々の方はその辺の旅籠で食事をしたと思いますが。
安政年間の木曽地方の木曽地方饗応料理の展示は続きます。
続く
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第20回大旅行(2012年8月)
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2012年8月16日(木)
今、長野県木曽町の福島小学校の隣にある代官屋敷にいます。ご当地の代官だった山村家伝来の品々が展示されています。
山水図です(写真①)。
多くの山水図ではどこかに人が描かれています。よく見ると下の方に漁夫がいました(写真②)。別に漁夫や木こりが仙人だということではないのですがよく登場します。小さいですがこういう人がいるのといないとでは山水画の印象が全く違います。
これは山村家第9代当主が模写した花鳥図です(写真③)。暇人の余技と思うか、身分制の時代でなかったら画家にもなれたと思うか人の自由です。
それにしてもこの鳥、一体何という名でしょうか(写真④)。
増山雪齋の竹の画です(写真⑤⑥)。増山は伊勢長島の藩主だったそうで、山村家とは懇意でした。
佑川信親筆の絵です(写真⑦)。上に賛が書かれていますが残念ながら読めません。下の方では中国風の人物がうたた寝をしています。何かの折に雨漏りでもあったのでしょう、ぼんやり見ているとこれも絵の一部に見えてきます。
このあたりは古文書ですが詳しいことは省略します(写真⑧)。
「拾遺都名所図会」なる本がありました(写真⑨)。
これはそのうちの京都・三条大橋です(写真⑩)。ここが旧東海道の終点でした。絵では三条大橋をどこかの大名行列が通過しています。
これは滋賀県草津市の追分、つまり東海道と中山道の分岐点です(写真⑪)。今も草津本陣のすぐ近くに似たような雰囲気で残っています。猿を操る男の足下には猪を閉じ込めた駕籠があります。 肩まで着物がずれた子供連れの女性、ワラジは入らないかと言っているようなタバコをくわえた男などが描かれています。
こう言っては何ですが、ミミズが這ったような書です(写真⑫)。
この後もしばらく古文書の展示が続きますが省略します。
助六の図柄の凧です(写真⑬)。凧自体は新しいものでしょう。江戸時代の図柄の多くは歌舞伎を踏まえていて、歌舞伎の知識が無いと何が描かれているか分からないこともあります。 こういうものもありました(写真⑭)。
では次に進みましょう。
続く
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2012年8月16日(木)
今、長野県木曽町の福島小学校の隣にある代官屋敷にいます。
江戸時代、木曽は尾張藩の一部でした。当時は木を無断伐採すると首が飛ぶ時代でした。その対象となる木はヒノキ、サワラ、ネズコ、ヒバ、コウヤマキで、木曽五木と呼ばれました。結果的に美森は守られ、現在に伝えられたのです(写真①)。
これが木曽五木の標本です(写真②)。なぜか杉が入っていません。スギは水っぽくて狂いが大きく、当時は用材としては下等だったのでしょう。サワラ、ネズコ、ヒバはヒノキの仲間で、ヒノキの誤伐を防ぐために五木に入ったようです。コウヤマキは姿容も美しく霊木でもあったからでしょうか。
代々、ここの代官を世襲した山村家に伝わる資料です(写真③)。簡単に紹介しておきましょう。
ご存じ、竹林の七賢図です(写真④⑤)。こういう生活も良さそうですね。え?、蚊に刺されてジカ熱にかかるだけだって・・・。
往時の木曽の草花根木皮類の標本です(写真⑥⑦)。江戸時代の中期から日本中の有用植物の調査が行われ、薬草などの博覧会まで行われていて、この分野では驚くほど精緻な情報がありました。
漆塗りに金蒔絵の煙草盆です(写真⑧)。もちろん高級品です。今はタバコも吸わなくなり、家にあった分厚いクリスタルガラス製の灰皿も無用の長物になりました。クリスタルガラス、見た目はごついという感じですが、捨てようとして金槌で叩くと、まるで豆腐のように簡単に割れることが分かりました。鉛が張っているから普通のガラスよりも柔らかいのだと思います。
黒漆蒔絵の硯箱です(写真⑨)。
次はこういう展示です(写真⑩)。ここにもお宝があるようです。詳しく紹介しましょう。
貝合せです(写真⑪⑫⑬⑭)。トランプのいわゆる神経衰弱と同じ遊び方ですが、道具としては凝った造りで高価なものでした。
入れ物も優雅なものでした(写真⑮)。
ご存じ百人一首です(写真⑯)。私が高校生の頃は冬休みの宿題で小倉百人一首の丸暗記というのがあったので、今でもある程度は覚えています。
テレビに出てくる百人一首競技は超人的で何をやっているのか分からないくらいですね。札を置く面積を今の4倍くらいにするともう少しは札を取るところがよく見えて面白くなるかもしれません。
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2012年8月16日(木)
今、長野県木曽町の福島小学校の隣にある代官屋敷前にいます。
これが入り口です(写真①)。2012年8月16日(木)
往時の雰囲気を思わせるようなところです(写真②)。
玄関に入って外を見たところです(写真③)。
建物の中はこうなっています(写真④)。
ご当地の代官を長く務めた山村氏所蔵の鞍です(写真⑤)。
これも同じ馬具です(写真⑥)。
左は陣笠と裃、右は鎖帷子です。右手の刀は室町時代作の備前長船則光です(写真⑦)。
左は具足、右は具足の下に着る下着です(写真⑧)。こんな厚くて重いものを着て夏や梅雨の時期に戦ったら、今の人なら戦う前に卒倒するでしょう。
こういう解説もありました(写真⑨)。古代ギリシャ時代から続いた重装歩兵の最後の姿と言ったらいいでしょうか。幕末の鳥羽伏見の戦いでは最新式の銃を持った軽装歩兵が登場して甲冑は過去の遺物となります。
ご当地は旧中山道37番目の宿場町でした(写真⑩)。残念ながら市街地にはほとんど面影は残っていません。
幸せを呼ぶ繭花だそうです(写真⑪)。繭を色づけして餅花のように仕立てています。
江戸時代に世襲でご当地の代官を勤めた山村家で使われた食器類がありました。膳、椀、お櫃です(写真⑫⑬)。美しい漆器です。丸に一文字の家紋が付けられていますがこれは山村氏の家紋です。
皿、鉢です(写真⑭)。
天目台です(写真⑮)。
続く
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2012年8月16日(木)
今、長野県木曽町の興禅寺にいます。興禅寺の参拝とその奥にある木曽福島郷土館近辺の石仏群の見学が終わり、山を下ります。福島小学校の隣にある代官屋敷を目指して歩きます。
やがてこういうところに着きました(写真①)。手前は井戸、奥は福島小学校の校庭の石垣です。
代官清水というところでした(写真②③)。
こういう解説もありました(写真④)。ここには代官屋敷の門があったのですが、石2個だけが昔のまま残されたと言うことです。
実物はこれです(写真⑤)。こういう石垣の石でさえ、これだけしか残らないのです。
さて、これが代官屋敷です(写真⑥)。
解説です(写真⑦)。ここにあった福島関所と木曽の山林を守備する役目の代官様でした。権力は強大で隣接する福島小学校の敷地も含めて壮麗な屋敷と庭園があったようです。
代官屋敷とされる構えです(写真⑧⑨)。
こういう解説もありました(写真⑩)。
代官屋敷見学の受付はこの奥にあります。左手に稲荷神社、右手に休憩所があります(写真⑪)。
これは稲荷神社です(写真⑫)。
これを読むと往時は世襲の代官だった山村氏の守り神だったことが分かります。現在では地域の守り神になっています(写真⑬)。
さて、稲荷神社から代官屋敷の裏を通る杉並木です(写真⑭)。意外にに距離があります。
これはこのあたりの案内図です(写真⑮)。車を置いて時間を掛けて歩いても面白いところです。
では次回で代官屋敷を見学しましょう。
続く
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