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2012年8月16日(木)
今、長野県木曽町の興禅寺にいます。庭園の見学が終わりました。元の参道に戻ったようです(写真①)。
この寺は木曽踊り発祥の地だそうです。石碑がありました(写真②)。石碑の歌詞を読むと木曽節でした。要するに木曽節で踊るのが木曽踊りです。今ではすっかり有名な木曽節ですが、戦前の観光振興の大成功例とされます。
大慈殿です(写真③)。当寺は昭和になってからの大火事で全堂宇を焼失しており、現存するのはその後に建てられたお堂です。
これは何の木でしょうか。観光案内にあるシダレサクラでしょうか(写真④)。
さて、奥に木曽義仲の墓があるという看板に誘われてくると赤い鳥居の社殿がありました。稲荷神社に違いありません(写真⑤)。
稲荷神社の由来書がありました(写真⑥)。
稲荷神社の横のこの石段を登ると木曽義仲の墓です(写真⑦)。
墓は3基あります(写真⑧)。近くにあった解説では中央の宝篋印塔が木曽義仲の墓だということなので、この写真の中央がそれと分かります。
これは巴松です(写真⑨)。巴と言えば木曽義仲の妾だった巴御前のことでしょう。先代の松が枯れたので平成14年に植え替えたようです。近くに巴塚もあったと思われますが見落としました。
さて、興禅寺の奥に木曽福島郷土館があります(写真⑩)。どうもこの日は休館日だったようです。
郷土館の看板にすぐ裏に石仏群があるというので行ってみました。これが石仏です(写真⑪)。
こういう石仏、よく見かけますね。万延年間の建立と彫られていますから、1860年頃作られたものです(写真⑫)。
これは磨崖仏に近い雰囲気です(写真⑬)。文化3年(1806年)の作です。
「三界萬霊 地蔵講中」と大書したもので、文政年間の作です。1820年頃だと思います(写真⑭)。
字も読めなくなった石仏です(写真⑮)。
5基の石仏が並んでいます(写真⑯)。
にこやかなお顔の石仏です(写真⑰)。
屋根付きの石仏もおられました(写真⑱)。
一番奥の方に板葺きの家屋がありました(写真⑲)。こういう家は現在でも見かけることがあります。
さて、これで興禅寺参拝と木曽福島郷土館は終わりです。近くにある代官屋敷を目指します。
続く
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第20回大旅行(2012年8月)
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2012年8月16日(木)
今、長野県木曽町の興禅寺にいます。場所はJR中央本線木曽福島駅の北東約1.5キロのところです。
いよいよ、有名な庭園の近くまで来ました(写真①)。
これが宝物殿です(写真②)。庭園と共通券で入れます。
どこの寺の宝物殿もそうですが、空調設備があって寺のお宝を展示したり保存したりしています(写真③)。撮影禁止ということでもなかったので様子だけ紹介しておきましょう。
宝物館を出て奥に行くとこういうところに着きます。右手が看雲庭です(写真④)。
この右手が看雲庭です(写真⑤)。左側にある長いすでゆっくり庭を見るのもいいでしょう。
これが看雲庭です(写真⑥)。右端が屋根で隠れていますが、ここに石はありません。
京都の龍安寺の枯山水の庭もそうですが、庭が長方形、後方の引きもわずかなので全景を正面から写すことは出来ません。竜安寺とほぼ同じ位置から撮るとこうなります(写真⑦)。日本一の石庭と言うだけあって竜安寺の倍くらいの幅があります。残念ながら右側奥の建物が邪魔ですね。
中央付近から見るとこうなります写真⑧)。
この角度からの眺めもいいでしょうか(写真⑨)。
これが取れる範囲の全景です(写真⑨の2)。今度は手前の竹垣が邪魔になります。
解説もありました(写真⑩⑪)。この石の並びを見てよくこれだけのことが言えるものだと感服しました。禅寺は侮りがたい存在だと改めて思いました。
こういう解説もありました(写真⑪の2)。書かれているように禅寺の庭は修行のためにあるのであって単なる観光の対象ではないということも覚えておきましょう。
さて、現在位置が分からなくなりましたが、看雲庭から万松庭に移動しているところです(写真⑫⑬)。
右奥に何やら庭園らしきものが見えてきました。万松庭のようです(写真⑭)。
これが万松庭です(写真⑮⑯)。
庭の手前はこうなっています(写真⑰)。
続く
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2012年8月16日(木)
今、長野県木曽町の興禅寺前にいます。場所はJR中央本線木曽福島駅の北東約1.5キロのところです。白い塀のような門があります(写真①)。
解説です(写真②③)。堂宇は昭和2年の大火で焼失し、その後再興されたものです。江戸時代に金森宗和が造った万松庭、昭和37年に重森三玲が造った看雲庭があります。
白い門をくぐると参道が有り、その向こうに勅使門があります(写真④)。
今日は8月16日、仰ぎ見ると大木が茂っています(写真⑤)。
これが勅使門です(写真⑥)。勅使門などというと一般の参拝では通れないところも多いですが、ここは普通の山門と同じように通ることが出来ます。
勅使門をくぐった左側に庭園に続く門があります。ここからが有料です(写真⑦)。
では庭園に向かいましょう。敷石の道が続きます(写真⑧)。
昇龍の庭という解説がありました(写真⑨)。3体の龍が滝上に、下にはこれから龍になろうとする鯉魚石があるというのですが、さて、凡俗の眼にそのように見えるでしょうか。
場所からするとこのあたりが昇龍の庭なのですが、目をこらしてもよく分かりません(写真⑩)。
少し角度を変えて同じ場所を見ています(写真⑪)。場所を間違えているときはご容赦の程を。ちなみにここは妙心寺派の禅寺です。凡俗の身で簡単に分からなくても不思議でも恥でもありません。え?、禅寺の坊主の方が自己満足の世界に住んでいるって・・・。仏様に使えている「偉い」お坊様にそういう罰当たりなことは考えるべきではありません。
さて、夏の色濃い庭を奥に進みます(写真⑫)。
次は須弥山の庭と言うところに来ました(写真⑬)、この解説をよく読んでから庭を見ないと何も見えないかもしれません。「九の山を石組みで、その周りを砂で九山八海を表現した」と書かれていて、これ自体もかなり難しいです。
このあたりが須弥山の庭のようです(写真⑭)。
この左側の石組みが九山らしいと思うのですが、これもよく分かりませんでした(写真⑮)。
では先に進みましょう。
続く
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2012年8月16日(木)
今、長野県木曽町の道の駅木曽福島にいます。
0515時起床、山手に霧がかかっています(写真①)。
今日は近場なので、まずは朝食です(写真②)。昨日の残りの助六寿司とカップうどん、結構行けます。
さて、朝食後、すぐに出発、県道20号線に入り、王滝村を目指します。
0604時着。これは王滝村役場です(写真③)。人口は800人ほど、平成の合併の際も自主自立を貫き現在に至っています。でもかなり小さい村ですね。 ここから県道256号線に入り北上しますが、段々道が狭くなって身の危険を感じ始めました。今回の旅行も今日が7日目、疲れもあってもう無理もしたくないので途中で撤収することにしました。御嶽山の勇姿を遠望するなら一つ北側の国道361号線に入った方がいいかもしれません。
その後、どう走ったか分からなくなりましたが、国道19号線に戻り北上、木曽町福島の市街地道路に入り、0830時、福島関所駐車場着(写真④)。 駐車場のすぐ裏手に旧福島関所があります。この坂を登っていきます(写真⑤)。まだ0830時ですから関所資料館は開いていないでしょう。そこで、対岸の興禅寺に参拝することにします。
これは近くの上町交差点の道です(写真⑥)。旧国道だったかもしれません。
これが橋の上から見た木曽川です(写真⑦)。あの大河もこの辺では普通の川です。手前が下流です。
少し行くとこういうところがありました。福島宿と書かれています。ここは旧中山道の37番目の宿場だったところです。ただし、町並みには宿場の面影はほとんどなさそうです
(写真⑧)。 その先に権現水がありました(写真⑨)。
権現水の解説です(写真⑩)。
権現水は水車小屋のような風情です(写真⑪)。
興禅寺に向かう途中に豪勢な民家がありました。唐破風の付いた屋敷、見越の植木、電柱がなければもっといいのですが(写真⑫)。
0840時、興禅寺に着きました(写真⑬)。
周辺は環境保全地域です(写真⑭)。
あの有名な現代の作庭家の重森三玲の造った枯山水の看雲庭があるようです(写真⑮)。これは見ないわけにはいきません。
では参拝しましょう。
続く |
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2012年8月15日(水)
今、長野県南木曾町の福沢桃介記念館にいます。JR中央線の南木曽駅の西約200メートルの天竜川に近いところにあります。ここは元々、福澤諭吉の婿養子である福沢桃介の別荘でした。
こういう展示室がありました(写真①)。中に家紋らしきものがたくさんあるのが分かります。
この人の作品が展示されています(写真②)。趣味で家紋を彫ったとか、世の中には余人にまねの出来ない趣味を持つ人が結構いるものです。
家紋の解説です(写真③④)。まあ、現在では家紋を意識する人生の場面もほとんど無くなりましたが。
これはすべて木彫りの家紋です(写真⑤⑥)。
地元の小学生の寄せ書きがありました(写真⑦)。
そのうちの一つです(写真⑧)。こんな山中でダムの工事や水利権を巡って暗闘が行われたことが分かります。まあ、この手の物を作ると大抵の場合反対運動が起きるのでどうやって事業を進めるか、周到な根回しと確固たる信念が必要です。
民主党の鳩山君のようにあそこもいい、ここもいいなどというようにふらつくと必ず空中分解します。民進党の議員はここに来てこの作文を読んだらいいと思います。
え?、もう二度と政権などと言う重たい物を担ごうとは思っていないから、行かないって・・・、そうでしょうねえ。万年野党でキャンキャン吠えていた方が余程気楽だと分かったでしょうから。
さて、館内を移動します(写真⑨)。奥に畳の部屋があります。 洋館の中にあっていささか違う雰囲気の部屋です(写真⑩)。
この絵は木曽川と桃介橋です(写真⑪)。
さて、記念館の見学はこれで終わりです。木曽川沿いの天白公園から上流を見たところです。奥に架かっているのが桃介橋です(写真⑫)。
左が天白公園、右が桃介橋の西半分です(写真⑬)。今日は8月15日、確かこの日に南木曽町の花火大会がここで行われて、桃介橋の西半分を使ってナイアガラの滝という仕掛け花火をやると思うのですが、今回はもう何度も見たと言うことで見学しなかったようです。今思うと残念です。
なお、ナイアガラの滝を見るときは桃介橋のすぐ下流に架かる三留野大橋の西側半分から桃介橋を見るといいでしょう。
ちなみに2008年の第12回大旅行の帰途の際撮ったナイアガラの滝の写真はこのとおりです(写真⑬の2)。 ということで、南木曽町とはこれでお別れです。とは言え、まだ夕食を確保していません。南木曽町は木曽川の東側にしか市街地がありません。それも国道19号線ではなく駅の裏側の旧道が走っている辺りです(写真⑭)。
国道から旧道に入りのに少し迷いましたが、やっとスーパーを見つけました。これで車中泊が出来ます(写真⑮)。この道は県道264号線だと思われます。国道19号線とJR中央本線に挟まれた場所にあります。
1450時になりました。ここから国道19号線に戻り北進、木曽郡木曽町福島にある道の駅木曽福島にやってきました。なお、ここは元々木曽福島町でしたが、2005年に周辺の3つの村と合併して木曽町と名称が変わっています。
翌日の早朝に撮った写真ですが、これが道の駅木曽福島です(写真⑯)。すぐ横を国道19号線とJR中央本線が走っています。 少し早いのですが本日の夕食です(写真⑰⑱)。8月10日の夕方に和歌山を出てからずっと昼は写真を撮りまくり、夜は車中泊の生活です。長野県の日程は明日で終わり、明後日は和歌山に帰ります。ゆっくり飲んでいる内に夜となり、疲れもあってぐっすり寝ました。明日も元気で頑張りましょう。
続く
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