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2013年5月2日(木)
今、長野県千曲市の稲荷山宿・蔵し館にいます。場所は千曲川に架かる国道403号線千曲橋西詰の北西約800メートルのところです。この辺りは江戸時代は善光寺街道の稲荷山宿があったところです。
商家の暮らしという解説がありました(写真①)。
これは火消し壺です(写真②)。
行火です(写真③)。文字通り簡単に動かせる火鉢で、布団の中に入れて使いました。今の感覚なら火事、ガス中毒、低温やけどの恐れがありとても使えないでしょう。そうそう、湯たんぽも低温やけどの危険があることを知っていましたか。
火鉢です(写真④)。
こういう解説もありました(写真⑤)。
さて、展示室の様子です。ここにあるものは全て紹介しました(写真⑥)。
ここは幕末から明治に掛けて御当地を拠点に栄えた松林家の商家を修復再現したものです。往時はこういう感じのところに人や荷が集まっていたことでしょう。いまは静かな時間が過ぎています(写真⑦⑧)。
さてここの見学は終わりです。外に出ました。かつての稲荷山宿の賑わいを描いたところがありました(写真⑨)。
電柱などを気にしなければこういう感じの家並みが続いていたことでしょう。永遠に過ぎ去った昔の様子です(写真⑩)。
さて、これで今回の大旅行の全行程が終了しました。
1440時、駐車場に戻り和歌山に向け帰途につきました。すぐに国道403号線に入りました。南下すると長野道の姥捨山SAにETC専用のスマートインターチェンジがあるという表示があったのですが、入り口を見逃したようです。やむを得ず国道403号線を延々と走り、麻績ICから長野道に入りました。 1555時、長野道梓川SA着(写真⑪)。
少し休憩してすぐに出発、長野道から中央道に入りひたすら和歌山に向け走ります。とは言え、今日は5月2日、このまま走っても東名阪の四日市辺りで大渋滞になるかもしれません。それに当ブログの看板は車中泊なので、どこかで泊まることにしました。
中央道土岐ICで国道21号線に降りを少し北上すると道の駅志野・織部です。 1827時着。ここは和歌山から3時間半から4時間ほどなので往路で復路でもよく泊まるところです(写真⑫)。
こういうように運転席を塞ぐとにぎやかでいいですね(写真⑬)。
外から見るとこういう感じです(写真⑭)。
さあ、明日は早く出発して家に帰りたいです。急いで一杯だけビールを飲み、夕食になりました(写真⑮)。昼間どこかのスーパーマーケットで買った寿司です。いつ食べてもおいしいですね。
連日の疲れでいつの間にか寝ていました。
2013年5月3日(金)
0107時起床、身支度をして0130時出発です(写真⑯)。
この先約4時間で和歌山に着きます。ノンストップでひたすら走り、0530時、無事和歌山の我が家に着きました(写真⑰)。
なかなかいい旅行でした。
一週間以上いなかったので花壇が心配だったのですが、ちゃんと水やりをしてくれたようです(写真⑱)。 完
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第21回大旅行(2013年4月)
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2013年5月2日(木)
今、長野県千曲市の稲荷山宿・蔵し館にいます。場所は千曲川に架かる国道403号線千曲橋西詰の北西約800メートルのところです。この辺りは江戸時代は善光寺街道の稲荷山宿があったところです。
左から密閉式煙突付きの進化したかまど、コークスを使う移動式のかまど、右端はいわゆる七輪です(写真①)。コークスや練炭は大変火力が強かったのです。
往時の柱時計です(写真②)。毎日ゼンマイを巻かないといけませんでした。電池で2〜3年動く時計に慣れっこになると何と不便なとと思うかもしれませんが、花に水をやるのと同じで毎日しないといけないとなると何の苦にもなりません。
下駄スケートです(写真③)。大正時代に日本で発明されたものでスケートの普及に大いに貢献しました。
真空管ラジオです(写真④)。
手鏡です(写真⑤)。
往時の蛇腹大判カメラの前の部分です(写真⑥)。今はデジタル時代、余りにも手軽に写真が撮れるのも愛想がないですね。こういうカメラは三脚を必要とします。
最近、「写るんです」というフィルムカメラが人気だそうですが、使う理由が分かるような気がします。
往時の幻灯機、いわゆるスライドです(写真⑦)。
ピンボケになりましたが顕微鏡です(写真⑧)。ほぼ同時代に生まれた望遠鏡と違い、顕微鏡は人の健康増進に大いに貢献しました。病気の原因の一つが細菌によるものだと突き止めたのです。犯人さえ分かれば対抗策はなんとかなります。
往時の枕です(写真⑨)。日本髪を結っていた頃に使われました。寝返りがしやすいように底が舟形になっているのが分かるでしょうか。 練炭は余り使った記憶がありません。これは練炭を発火させる道具です。現在販売されている練炭は着火剤が装着されてるそうですが、これはそうでない練炭を入れて何かの火で着火させたようです(写真⑩)。
煙草盆です(写真⑪⑫)。刻み煙草時代の必需品でした。
石油ランプです(写真⑬)。
これは仏具の一種で灯芯台と言います・中に植物油を入れ、灯芯を浸して点火したのです(写真⑭)。
行灯です(写真⑮)。
提灯です(写真⑯⑰)。
続く
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2013年5月2日(木)
今、長野県千曲市の稲荷山宿・蔵し館にいます。場所は千曲川に架かる国道403号線千曲橋西詰の北西約800メートルのところです。この辺りは江戸時代は善光寺街道の稲荷山宿があったところです。
御当地、稲荷山祇園祭に登場する四神の続きです。再掲ですがこれがその四神です(写真①)。
詳しく紹介しましょう。まずは青龍です(写真②)。
青龍の解説です(写真③)。なぜ、東で青なのか、全ては中国の五行説に基づきます。万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からなっているという古代の思想です。
とにかく世の中のものをすべて5で割りきるという中国人独特の荒っぽい思想ですが、現代の日本にも深く浸透しています。詳しくはインターネットで調べてください。
木は東、青などとされます。青龍は東を守護する霊獣です。春は青いという連想もあるでしょう。 火は南、赤などとされます。
次は朱雀です(写真④)。現存する鳥ではどれが一番これに近い格好をしているでしょうか。赤いのは夏の暑さから来ています。
朱雀の解説です(写真⑤)。
次は剣龍です(写真⑥)。五行説で言う土にあたり、中央に位置します。土は黄色だから黄だということで、剣龍は黄色または金色をしています。土が中央にあるのは万物を育てるからです。
剣龍の解説です(写真⑦)。
五行説の金は収穫の秋の色とされます。なぜか色は白とされますが秋だからということでしょう。そこで登場するのが白虎です(写真⑧)。
残念ながら白虎の解説は取り損ねました(写真⑨)。色々なことが連想連想で広がっていくのはいいことですが、つまらない迷信を産む元凶でもあります。
次は玄武です(写真⑩)。五行説では水、色は黒、季節は冬、方角は北とされます。これを見たら派手なガメラだと思う人もいるかもしれません。
玄武の解説です(写真⑪)。亀と蛇の合体神ということです。茅葺きの家が普通だった頃、そこに住み着くアオダイショウなどは家の守り神とされました。まあ、四神は守り神なのでそれぞれ人を助けてくれます。
では次の展示に行きましょう。明治期の教科書や読み物です。まずは解説です(写真⑫)。小学読本と言っても侮りがたいですよ。国語力がかつてないほど衰えている現代の危機的状況がこれを見れば体感できます。
中央の馬に乗っている女性は「早瀬の局」だそうですが詳細は不明です(写真⑬)。
トランクです。今、こういうものを持って歩いていると何かの密売人か銃砲刀剣の不法所持と疑われるかもしれません(写真⑭)。まあ、本当の犯人はこんな目立つものは持たないでしょうが。
書見台です(写真⑮)。ちゃぶ台でもミカン箱を裏返しても本は読めるのですが。こういう立派なものをのを「権力の象徴」などと吹聴するのが今の左系のマスコミです。
炬燵がありました(写真⑯)。これは炭火式と思われます。
続く
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2013年5月2日(木)
今、長野県千曲市の稲荷山宿・蔵し館にいます。場所は千曲川に架かる国道403号線千曲橋西詰の北西約800メートルのところです。この辺りは江戸時代は善光寺街道の稲荷山宿があったところです。
商家の暮らしの内の衣服という展示になりました(写真①)。今でも商家は制服が普通になっていますが往時も同じで、店の名の入った半纏、前掛けを着けていました。「おしきせ」という言葉は現在では「押しつけ」と同義のようでいい意味には使われませんが往時はそうでは無かったようです。
これは背中を向けているのでよく分かりませんが半纏だと思います(写真②)。
嫁入り道具の解説です(写真③)。昨今は子供が遠隔地にいることが多くなり、また新婚当初は賃貸マンションというのも当たり前になったためか嫁入り道具という概念自体が薄れてきたという感じです。
これがその嫁入り道具の一部で、小間物や髪飾りです(写真④)。
左は扇子、右は筥迫(はこせこ)です。和服を常用する家庭なら今でもあるかもしれません(写真⑤)。
櫛、簪です(写真⑥)。
笄(写真⑦)です。
行李がありました(写真⑧⑨)。元々は名前の通り移動用の箱状の容器です。柳や竹で作られました。
これは頭巾だと思います(写真⑩)。現代の目出し帽ににています。
笠がありました(写真⑪)。
これは旅装でしょうか。丸いのは三度笠です(写真⑫)。元々は女性が顔を隠せるように作られた笠ですが、やがて飛脚が使うようになって大阪と江戸を月に三度往復したことからこの名が付きました。後に顔を見られたくない渡世人もかぶるようになったようです。
さて、御当地、稲荷山祇園祭の四神が登場しました。まずは解説です(写真⑬)。
四神です(写真⑭)。剣龍は中央なので四神に入っていません。朱雀、青龍などはお馴染みの神々です。元々、中国の五行説に基づくものですからどうしても5柱いないといけないのです。
別の解説もありました(写真⑮)。相応の基礎知識がないと分かりにくいかもしれません。 こういう看板もありました(写真⑯⑰)。 これが四神です(写真⑱)。今どきは霊獣ではなく怪獣に見えるかもしれません。
詳しいことは次回で紹介しましょう。
続く
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2013年5月2日(木)
今、長野県千曲市の稲荷山宿・蔵し館にいます。場所は千曲川に架かる国道403号線千曲橋西詰の北西約800メートルのところです。この辺りは江戸時代は善光寺街道の稲荷山宿があったところです。
うどん打ちの様子です(写真①)。昨今は手打ちを看板にするうどん屋もたくさんありますからそう珍しいものではありませんが、往時は農家の主婦もうどんをこねたのです。
これは小麦粉に水を入れて練った鉢と思われます。こね鉢の一種です(写真②)。 箱膳がありました(写真③)。私も小学生の頃、信州の山奥に住んでいて昭和30年代の終わりまで箱膳を使っていたという記憶があります。
重箱という名札が付いていますが、中央の大小の箱を重ねたものは特に切り溜めといわれることが多いようです。見ての通り大きさが違う「入れ子」と呼ばれる構造なので収納に便利です(写真④)。
貧乏徳利です(写真⑤)。なぜ貧乏な徳利なのかは諸説あるようです。通い徳利という別名があり、量り売りに使ったということです。
この壺は梅の枝をあしらった図柄で美しいです。手前は醤油差しでしょうか(写真⑥)。
大きなまな板です(写真⑦)。これは木製ですが、水を吸うという難点があります。一般家庭では抗菌性のある樹脂製を使うことが多くなったでしょう。
製麺機がありました(写真⑧⑨)。これがあれば自分仕様のうどんを作ることができます。製麺機は今でも売られています。もちろん、外観も現代的なものになっています。うどんやパスタなど簡単に作れるようなので麺好きな人は試してはいかがでしょう。
名札によればこれは味噌漉(こ)しということです(写真⑩)。味噌漉し機は今でも売られています。
これは見たことがある人も多いでしょう。味噌豆潰し機です(写真⑪)。
往時の鉄鍋です(写真⑫)。弦が付いていて囲炉裏の自在鉤に吊して使うことが多かったと思います。蓋は落とし蓋を使いました。こういうものでぐつぐつ煮た猪や熊といった山肉鍋、おいしかったですよ。根菜類とは特に相性がよかったと思います。
蒸籠です。丸いのは曲げ物の技術で作ったもの、四角いのは指物の技術で作ったものです。今も現役で市販されていますが、普段の料理法としては蒸すというのは出番が少なくなったでしょうか(写真⑬⑭)。
電子レンジの普及が影響したのかもしれません。電子レンジも登場した頃は、こんなバカ高い機械、一体何に使うのだという議論もあったのです。
続く
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