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2013年5月1日(水)
今、長野県安曇野市の堀金歴史民俗資料館にいます。道の駅アルプス安曇野ほりがねの里のすぐ隣にあります。
電気湯沸かし器がありました。昭和10年代のものです。下の台が電熱器になっていて、その上にポットを置くようになっています。現在のIHのはしりだと思われます。でも、電気料金は高く、囲炉裏、七輪など代安くて済む替品はいくらでもあった時代でした(写真①)。
往時の湯沸かしです(写真②)。色合いからすると銅製のように見えます。取っ手の部分に
植物のツル(蔓)を巻き付けています。現代の薬缶はこの部分に樹脂を使っていますが、これは熱による劣化が激しいのです。 これは鉄瓶ですが、蓋だけは木製のようです(写真③)。
黒光りする椀です。上等な客用で戦前まで使われました(写真④)。落とし蓋のようになっていますが現役の時もそうだったのでしょうか。
蓋付きの椀です(写真⑤⑥)。 椀の解説がありました(写真⑦)。現在は木地師はほとんどいなくなりました。樹脂製の安物素地に追われたのです。
本当は陶器などの焼きものより木製漆塗り蒔絵細工の什器の方が格上なのです。軽い、簡単には割れない、欠けない、熱くならないといった優れた特徴があります。
これから食器を買う人は樹脂製でも、本式でない塗りでもいいから漆器を揃えてみてはいかがですか。これをみているとそう思いました(写真⑧)。
しかし、こういう茶碗も捨てがたい魅力があります(写真⑨)。
特に皿となるとこういう細かい紋様を楽しむことができますからやはり陶磁器というなるかもしれません(写真⑩)。
これは昔の弁当箱です(写真⑪)。野良仕事、花見遊山などに用いました。明治から大正にかけて使われたものです。
箱膳と飯茶碗です(写真⑫)。これは家族の日常の食事に使うものでした。
簡素な膳です(写真⑬)。
実際の食事の様子です(写真⑭)。飽食肥満が社会問題になっている現代をどう考えたらいいのでしょう。白ご飯、味噌汁、香の物、まあ、これではいささか粗食かもしれません。タンパク質が足りないのでしょう。魚1匹でも肉一切れでも追加すればちょうどよくなる、そういう水準だったのかもしれません。
これは格式の高い膳で、祝い事、葬儀、酒宴などに使われたものです(写真⑮)。入りきらない料理は二の膳、三の膳などとして出すことも普通にありました。
これで什器は終わりです。次に行きましょう。
続く
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第21回大旅行(2013年4月)
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2013年5月1日(水)
今、長野県安曇野市の堀金歴史民俗資料館にいます。道の駅アルプス安曇野ほりがねの里のすぐ隣にあります。
少し欠けていますが大盃です。大相撲で優勝した関取が使っているのもこういう感じでしょうか。これは祝儀の席などで回し飲みするものでした(写真①)。
これも三つ重ね杯です(写真②③)。結婚式しか知らなかったのですが、色々な場合に使われるようです。飲み方注ぎ方には流儀があるようなので、もしこういうものが出て来る席に行ってしまった場合は、回りのやり方をよく観察しておきましょう。 これはとてもいい意匠の盃です(写真④)。
真っ黒なので何かと思ったら菓子鉢でした(写真⑤)。
これも菓子鉢です(写真⑥)。名札ばかりで本体がよく見えません。いい紋様なのですが。
こういう菓子皿も渋くていいですね(写真⑦)。
次は茶碗です(写真⑧)。いわゆるお茶を飲むものです。
これも茶碗です(写真⑨)。
水差しという名札が付いていますが、いささか水を差しにくいという感じがします(写真⑩)。
米壺ですが、少し小さいです(写真⑪)。
茶盆です(写真⑫)。大正から昭和に掛けて使われたものです。茶盆は今でもありますが、大半は樹脂製の素材を使っています。
江戸末期から明治の頃の皿です。中央に描かれているのは鷹の仲間でしょうか(写真⑬)。
杯受け台です(写真⑭)。人用ですから三方と違い4面全てに大きな穴が開いています。
蒔絵細工と思われますが妖しい緑色に光る菓子盆です(写真⑮)。
茶壺です(写真⑯)。指物、つまり箱だと思われます。
続く
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2013年5月1日(水)
今、長野県安曇野市の堀金歴史民俗資料館にいます。道の駅アルプス安曇野ほりがねの里のすぐ隣にあります。
これは木製の小皿、奥は飯茶碗です(写真①)。
木の方は椀といった方がよかったですね(写真②③)。
アルミ製の弁当箱です(写真④)。
こういう弁当箱もありました。風通しがいいことが特長ですが、いささかかさばりました。それなりの重労働をする人のための弁当箱だったでしょう(写真⑤)。
これは曲げ物と呼ばれるもので「めんぱ」という弁当箱です(写真⑥⑦)。
大皿です(写真⑧)。美しい紋様です。
丼です(写真⑨)「賞 豊科倉庫繭絲部」という文字が入っています。
大平椀です(写真⑩⑪⑫)。煮物などを入れました。江戸時代から大正時代にかけて使われたそうです。
昔はこういう盃をよく見ましたね(写真⑬)。
三枚重ねの杯というのも普通にあったと言うことでしょう。結婚式専用化と思っていました(写真⑭)。
これも盃です(写真⑮)。
三三九度に使うような杯はこんな感じだったでしょうか(写真⑯)。
中央に寿と書かれた杯です(写真⑰)。何かの引き出物か記念品だったかもいしれません。
杯の展示は続きます。
続く
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2013年5月1日(水)
今、長野県安曇野市の堀金歴史民俗資料館にいます。道の駅アルプス安曇野ほりがねの里のすぐ隣にあります。
昔はこういう提げ鞄(かばん)が普通に使われました。外来語だとトランクと言うようですが「さげかばん」というちゃんとした和語もあります(写真①)。
「手提げ」という名札の付いた物体です。恐らく常時携帯する小物入れだったでしょう(写真②)。今なら何と呼んでいるでしょう。
「小提げ袋」という名が付いたものです。信玄袋を小さくしたようなものです(写真③)。正式には「巾着(きんちゃく)」の一種だと思われます。
これは優れものです。機械式自動蝿取り器です(写真④)。左端のネジでゼンマイを巻き上げると後は自動で蝿を誘って捕まえます。動力が電気ではないということも含めてすばらしい機械でした。
そのときどきの時代の需要がその当時の先見的な能力を持つ人を刺激し、自由な社会の中でその成果が市場経済に乗ると世の中は激変します。こうした波が共産主義国を滅ぼしてきました。
日本にまだいる共産主義者はそもそも時代遅れのアナクロニズムにとりつかれた亡者なのです。今回の衆議院選挙で日本共産党のコイケとか言う人の話を聞いていささか気の毒になりました。100メートル競走なのにスタートしてすぐにつまづいて前に進めない走者のようです。
これは信玄袋だと思われます(写真⑤)。こういうアオダイショウという蛇のような紋様、結構好まれますね。アオダイショウは家の主とも呼ばれます。昨今の住宅では住めなくなりましたが、本州に住んでいる蛇は大半が人の盟友ですから無用に怖がらないようにしましょう。
これも渋い色の旅行鞄(かばん)です(写真⑥)。明治から大正にかけて使われました。
これも手提げカバンですが、バスケットと呼んだ方が分かりやすいでしょうか(写真⑦)。
日本語のカタカナが余りにも優秀な表音語だったことは却って不幸をもたらすかもしれません。それはテレビを見ればすぐに気がつくことです。それもタレントではないですよ、意味不明の演説をする政治家やテレビのコメンテーターなる人たちが連発しています。おっと、当ブログもカタカナ文字ばかりになりました。
キセルです(写真⑧)。さすがにキセルもテレビドラマでしか見なくなりました。
かつては刻み煙草が多かった時代がありました。タバコ入れに刻み煙草を詰め、キセルで吸うということです。火種にはいささか困りました(写真⑨)。
矢立です(写真⑩)。江戸時代の携行用筆記具です。
煙草盆です(写真⑪)。小さい方の鉢だったでしょうか、火の付いた炭を埋めておいてキセルの煙草に火を付けるときだけ掘り出していました。
これも煙草盆ですが、かなり大きなものです。手あぶりを兼ねていたかもしれません(写真⑫)。
煙草盆の解説がありました(写真⑬)。
剣山です。普通は針の山という感じですが。これは穴ぼこです。余り見たことがありません(写真⑭)。解説がぼけてしまって読めないのですが、こういう形状で生け花にする方がよかった花もあったのでしょう。
ささらというのは各地で使われる楽器です(写真⑮)。踊る人がこれを持って拍子を取りながら踊ります。
続く
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2013年5月1日(水)
今、長野県安曇野市の堀金歴史民俗資料館にいます。道の駅アルプス安曇野ほりがねの里のすぐ隣にあります。
髪飾りの続きです。
櫛には2通りあります。 髪飾りとしての挿し櫛と今でも普通に使われる梳き櫛です。これは梳き櫛です(写真①)。実用品なので飾りはありません。 簪(かんざし)にはこういうヘアピンのような形状のものもありました(写真②)。
これも簪です(写真③)。珊瑚色のものが美しいですが、もちろん本物の珊瑚です。こういうややくすんだ朱色は古風という感じがして昔の温かさを感じます。
往時の手鏡と刷毛です(写真④)。
これは金属鏡です。別々の鏡の裏側(左)と表側(右)を展示しています。(写真⑤)。現在のガラス鏡の基本的な技術が発明されたのは1835年、日本で普及したのは明治の中頃でそれまではこの金属鏡が長く使われました。
この展示は髪飾りの他理容美容器具も展示しています。これはバリカンです(写真⑥)。現代の電動バリカンと違い音や振動がないのが魅力的です。
お歯黒道具もありました(写真⑦)。
さて、なぜかカメラが登場しました(写真⑧)。つい20年前まで日本にカメラメーカーはたくさんあったのに、今はニコンでさえ経営難という時代です。
これはレンズから「コニシロクヘキサノン」と分かります。現在のコニカミノルタの前身です。往時はごく当たり前のように頑丈な造りのカメラカバーが付いていました。
右はエルニカ35というカメラです。1972年に発売されたリコー製です。(写真⑨)。レンズもリケノン、つまりリコー製です。
当時はリコーはいわゆる二流でした。今でもカメラの分野ではニッチという感じですが長年の技術が結集されているので性能は一流です。かつてのペンタックスも2011年にリコーの完全子会社になりました。まあ、この方がよかったですね。私の大好きなペンタックスカメラも当分は生き残りますから。
これは水晶の原石だそうです(写真⑩)。あの美しい水晶がこういうものから生まれてくるとは何とも不思議です。
さて、これでこの辺りは終わりです。続いてこのコーナーを紹介しましょう(写真⑪)。生活用品です。
これは蝿取り器です(写真⑫⑬)。蝿、蚊、蚤(のみ)、虱(しらみ)は長く日本人の敵でしたが、蝿と蚤は余り存在を気にしなくなったでしょう。でも、今でも蝿はたくさんいます。試しに腐りかけの肉を外に出しておくとすぐにどこからともなく蝿が寄ってきます
昔は汲み取り式便所だったので蝿はそれこそ一杯いました。それを何とかしようとしたのがこの道具です。
これは今でもあるでしょう。貴重品を入れておく小箱です(写真⑭)。しかし、泥棒が入れば持って行ってくれと言わんばかりの存在でもあります。手持ちの荷物はできるだけ減らす、捨てられる物は徹底的に捨てる、これが人生を不安なく生きる最大の知恵だと思われます。
往時の栓抜きと缶切りです(写真⑮)。最近、出番がとても少なくなった道具だと思います。ペットボトルが普及し、缶詰は本当の災害時などの非常食になったようです。
続く
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