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2014年11月22日(土)
今、豊田市の旭郷土資料館にいます。場所は豊田市役所旭支所の北東約1.6キロです。
紙漉きの話になりました。伝統的な手法で作られる和紙の産地がたくさんありますがご当地にも森下紙がありました。主として傘紙に使われましたようです。残念ながら昭和35年頃には和傘の需要減により途絶えたようです。(写真①②)。
各地で明治以降に途絶えた色々な技術の復活が試みられていますがご当地はどうでしょうか。
不鮮明で申し訳ありませんがこれが森下紙です(写真③)。
和紙の多くは楮(こうぞ)を原料としています。刈り取った楮をまずは蒸して皮を剥ぎます(写真③の2,③の3)。
その皮をこの「はそり釜」で煮ます(写真④)。
煮た楮はこの桶で水にさらします(写真⑤)。
これは「いかけ」といい、水にさらしたあとでゴミを取るために楮の繊維をこのザルに通します(写真⑥)。
次はこの棒ではひたすら楮の繊維を叩きます(写真⑦⑧)。
少し省略して紙漉きです(写真⑨)。
これは舟です(写真⑩)。テレビでも紙漉きの工房が紹介されることがあるので見たことがあるでしょう。
これも御存知でしょう。漉きコテと呼ばれる枠に竹簀をはめ込んだもので舟の水をすくい、中の繊維を漉し取っていきます(写真⑪)。
各種竹簀です(写真⑫)。
これは紙板です(写真⑬)。できた紙を貼って天日干しにします。
完成した紙を裁断する台と紙切り包丁です(写真⑭)。
以前はこういう提灯が森下紙で作られたそうです(写真⑮)。文中の一色町は2011年に愛知県西尾市の一部になっています。
往時の傘作りの様子です(写真⑯)。
では次に行きましょう。
続く
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2014年旅行記録
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2014年11月22日(土)
今、豊田市の旭郷土資料館にいます。場所は豊田市役所旭支所の北東約1.6キロです。
林業の道具です・大ツル、トビは御存知でしょう。皮むき鎌というのは裏方なので見る機会は少ないと思います(写真①)。
木挽鋸です(写真②)。浮世絵にもよく登場する鋸で製材用の縦挽き鋸です。
江戸時代の林業の道具です(写真③④⑤)。形状と名を見ればおよその用途の見当がつきそうですが、中には分からないものもあります。
さて、この辺りから川漁の話になったでしょうか。笠です(写真⑥)。編み方が一種独特という感じです。
籠です(写真⑦)。
こういうように補強されたものの方が丈夫という感じです(写真⑧)。右に見えるのは破れたタモです。
ウナギ猟ののときに使った籠のようです(写真⑨)。
御存知、カーバイトライトです(写真⑩)。今でも現役です。別名をアセチレンランプといい、炭化カルシウムに水を掛けて発生するアセチレンガスを燃やして発光します。
ご当地で「いしゃんこ」と呼ばれるヨシノボリ(ハゼの仲間です)をすくう網です(写真⑪)。
残念ながらピンぼけになりました(写真⑫)。箱眼鏡です。テレビのダッシュ島ですっかり有名になりました。
銛(モリ)です(写真⑬⑭)。解説によると銛は投げるもの、ヤスは手に持って使うものとなっています。
この先は色々な魚籠が並んでいます。これは運搬用の魚籠です(写真⑮)。
これは珍しい形状の魚籠です(写真⑯)。名札には「ハヨ用腰籠」とあります。ハヨとはハヤと呼ばれる魚のことと思います。
では次に行きましょう。
続く
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2014年11月22日(土)
今、豊田市の旭郷土資料館にいます。場所は豊田市役所旭支所の北東約1.6キロです。
往時、ご当地にあった製材所の工場規定です。まずは就業時間です(写真①)。早朝0630時に始業、1830時に終業、休憩時間は正午に1時間、午前と午後に30分、かなりの長時間でした。
従業員は近隣の人が多くて通勤時間がさほどかからない人が多かったでしょう。
就業者心得です(写真②)。
まだ道路が十分整備されていなかった頃、材木を運送するのに筏を組むことが多かったのですが、その際に使った櫂(写真③)。
今も観光用の筏流しが行われていますが、乗りたいとは思いません。観光用とは言え筏はやはり危険ですから。
これは「はびろ」といい、文字通り刃の幅が広く作られています。斧(おの)と鉞(まさかり)の違いは難しいのですが、こういうように刃の幅が大きいものは鉞と呼ばれることが多いようです(写真④)。 上は「輪尺」、つまり直径を測るもの、下は曲尺です(写真⑤)。
左端は何でしょう、荷鞍でしょうか。右の棒は頸木(くびき)です(写真⑥)。頸木とは牛馬に付けて犂や車を連結する道具ですが、これは牛用です。
筏流しの筏です(写真⑦)。
この解説を読むと、舵(かじ)を持っている方が筏の先端、竿を持っている方が最後尾ということでしたした(写真⑧⑨)。そうなると写真⑦の左端が先頭です。普通の舟だと舵は最後尾にあるのですが。
これは先端の舵取りです(写真⑩)。
ここがその最後尾です(写真⑪)。この竿で尻尾が岩に当たらないようにしたと言うことです。
こういう解説もありました(写真⑫⑬)。 筏に組む材木の量は水の流れの量で決まったそうです。ダムができても筏流しは行われましたが、ダムを放流しないと筏が進まないため、いろいろと面倒なことが起こりました。
経験を積んだ年寄りが先頭で櫂を操り、最後尾では小僧が竹竿を使ったということです。小僧といっても3年ほど経験を積めば独立することもできたようです。
材木は陸路でも運びました。筏のある所でも川までは陸路で運ばないと行けません。そのときの道具が木馬(きんま)です(写真⑭)。
少しぼけましたが木馬の解説です(写真⑮⑯)。こういう重量物を積んだソリをコロを敷いた道を滑らせて移動するのですから危険極まりない仕事でした。
続く |
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2014年11月22日(土)
今、豊田市の旭郷土資料館にいます。場所は豊田市役所旭支所の北東約1.6キロです。
また、往時の写真です。興業共進会の展示即売会のようです。現在の道の駅の多くももこの伝統を引き継いだと思われます(写真①)。
昭和27年、小学校で児童が苗木の手入れをしています(写真②)。
昭和28年、炭焼き窯の築造講習の様子です(写真③)。
シイタケ栽培の講習です(写真④)。このまま、山の幸を作り続けることができたら今の過疎化の問題は起こらなかったのですが。
五平餅を作っているところです(写真⑤)。五平餅はご当地の郷土料理です。うるち米を粒が残る程度について串につけ、醤油か味噌味のタレを塗って焼き上げます。香ばしくてとてもおいしいです。
昭和32年頃に撮られた製材所の写真です(写真⑥)。これができると林業も一気に近代化しました。しかし、電動丸鋸は手や指を飛ばす危険と隣り合わせでした。 「シシロウ」という名札が付いた柵です。恐らくイノシシを捕まえる罠だったと思います。しかし、強度は大丈夫だったでしょうか。イノシシのと戦いは今も続いています(写真⑦)。
中央は伐採用の横挽き鋸です。手前の方は鞘に入った状態です(写真⑧)。
これは広葉樹から切り出した板でしょうか(写真⑨)。写真では名札の字が読み取れません。天板か置物として使ったと思います。
ワラ製の簑です(写真⑩)。雨具ですが防寒具にもなりました。
これはシュロ製の簑です(写真⑪)。ワラ製よりも軽く。耐水性もありました。
中央左は馬の沓(くつ)、真ん中は牛の沓、その右は人用の雪沓、右端の金具は牛馬の爪切り包丁です(写真⑫)。
馬の荷鞍です(写真⑬⑭)。
半ソリという宇名札が付いた道具です(写真⑮⑯)。かなり小さめです。接地面に金具が装着されていて雪道専用ではなかったかもしれません。
これに人が腰掛ける部材を付けると子供のいいオモチャになりました。
続く
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2014年11月22日(土)
今、豊田市の旭郷土資料館にいます。場所は豊田市役所旭支所の北東約1.6キロです。
こういう展示になりました(写真①)。例によって詳しく紹介しましょう。
鳥籠です(写真②)。地面に伏せて使いました。時代劇を注意して見ると農家の庭先で見かけます。時代劇がある種、文化の継承に役立っていると言われる所以です。
背負子です(写真③)。荷物をくくりつける部分に枝を残した木を使っていてなかなか便利だったでしょう。「朝鮮しょいこ」という名札が付いています。
日本で普通に見かけるのはこちらの背負子です(写真④)。
鳥籠です(写真⑤)。日本では戦後、野鳥を飼うことが厳しく制限されました。最近までメジロだけが辛うじて認められていましたが、これも禁止になるようです。
この籠、展示の並びからしてトリモチ猟に使ったものかもしれません。
かすみ網です(写真⑥)。これも戦後は研究など特別な許可を持つ場合以外は禁止されています。かすみ網を使った密猟はもう行われていないでしょう。
箍(たが)です(写真⑦)。
炭焼きで、炭を掻き出す道具です(写真⑧)。
左端からカンナ、小さいのは「けびき」、右は「ちょうな」です。ちょうなというのは台カンナより前の時代のカンナですが、古い時代の文化財の修復などでは今も使われわす(写真⑨)。
大工用のカンナです(写真⑩)。
墨壺です。古代エジプトに起源があり、日本では法隆寺建立の際に使われたという由緒ある大工道具です(写真⑪)。
鋳掛け屋の道具入れと鞴(ふいご・右)です(写真⑫)。
鋳掛け屋という言葉も死語に近くなりました。鋳掛け屋は鍋、釜などの鋳物製品の修理・修繕を行う職人なのですが、いわゆる「流し営業」をしていたのです。注文がかかればその場で鞴を使って火をおこし、道具箱に入った道具で修理したのです。鞴が小さいのはこのためです。
現在では鋳造技術が向上して穴もひび割れも少なくなり、金属自体も貴重品ではなくなったため、壊れたら粗大ゴミになるでしょう。 鋳掛け屋の仕事はなくなりましたが、鋳掛けの技術自体は必要な技術です。古い巨大な釜などを治さないといけないからです。
鍛冶屋のふいご(鞴、吹子)です(写真⑬)。鍛冶屋は工場を構えて仕事をしますから鞴どんどん大きくなります。これはまだ小型の大です。
小学4年生の体験用に作った背負子です(写真⑭)。重かったでしょうね。昔ならこれくらいの年で幼い弟や妹を背中に背負って子守をした人もいたのですが、現代の小学生もその苦労の一端が分かったかもしれません。
大八車です(写真⑮)。
写真⑮の大八車にはもう一台、リヤカーのようなのが連結されていました。こういうものは初めて見ました。金属製の連結器があるので実際に使われたものと思われます。
人力だったので重量物を積んだときや坂道で動かすのは難しかったでしょう(写真⑯)。
続く
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