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2014年11月22日(土)
今、豊田市の旭郷土資料館にいます。場所は豊田市役所旭支所の北東約1.6キロです。
ご当地に戦国時代から伝わる武術を基礎にした郷土芸能の「棒の手」の一派、起倒流は昭和46年の大阪万博にも出場しました(写真①)。構えは槍であることがわかります。
これを見ると起倒流は小太刀、二刀、十手などを使い分けるようです(写真②③)。 これを見ると棒の手の得物の大体のことがわかります(写真④)。中心はやはり槍、それに鎌、薙刀、棒、刀、太刀、十手、ムチが加わります。 ご当地の棒の手の流派の解説です(写真⑤)。 これも棒の手の写真です(写真⑥)。 これが棒の手で使う小太刀でしょう(写真⑦)。写真を見た限りでは二刀流で使うようです。 展示が変わりました。坪崎の火きり神事です。まずは解説です(写真⑧)。ここで言う津島神社は愛知県津島市にある津島神社から勧進した地元の神社と思われます。 これが解説にあった「火錐杵を火錐臼に揉み、発火・・・・」というところです(写真⑨)。 その後、小豆飯を炊いて食べるくところまでが写った写真です(写真⑩)。 これは坪崎の火きり神事に使う道具で、県指定文化財になっています(写真⑪)。 写真⑨で火を起こすときに男たちが使っていたのはこの道具でした(写真⑫)。 火口(ほくち)です。火打ち石の場合、火打ち石と火打ち金で起こした火花を受けて燃えがらる燃料を火口と言いますが、ここでは木と木の摩擦熱で火口を発火させます(写真⑬⑭)。 ホクチアザミの葉を乾燥させたものだそうです。過日、どこかの河川敷のアスファルトの上でゴルフクラブを振っていたら火花が飛んで枯れ草が燃えたという話がありましたが滅多に起こることでは無いと思います。火をおこすのは簡単ではありません。よく燃え上がったものだと思いました。
続くこれがホクチアザミです。どうも裏側の綿毛を火口として使うようです(写真⑮)。話としてはお灸に使うモグサと同様の製法のようです。 |
2014年旅行記録
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2014年11月22日(土)
今、豊田市の旭郷土資料館にいます。場所は豊田市役所旭支所の北東約1.6キロです。
有名な慶応4年3月に発布された太政官告示です。この年の9月8日に明治と改元され、1月1日にさかのぼって適用されたため、今でも少し混乱があります。前年の慶応3年に大政奉還、王政復古という大改革があったので、この告示は朝廷の古い官職である太政官で発布されています。明治新政府になるのはもう少し先です(写真①②)。内容はごく当たり前のことでした。
地券というのも学校で勉強したでしょう。私的所有権を認めるとともに地租を課することになりました。本当はどうやって税金を取るかの方が大事だったのでしょう。土地の公証制度が整備される明治22年まで続きました(写真③)。 さて、こういうところにやってきました(写真④)。 ここに祭り装束の人形がいました(写真⑤)。愛知県棒の手保存会という幟を持っています。どうやら「棒の手」なる行事があるようです。 先にこの解説を紹介しておきましょう(写真⑥⑦)。戦国時代に戦闘にかりだされる農民の訓練として、つまり武術として発展したようです。
江戸時代以降は次第に郷土芸能となったということです。郷土芸能と言っても武術の面影を色濃く残しています。古武術の演舞を神社の祭りで奉納すると言ったらいいでしょうか。
これが棒の手です。棒は棒ですが槍や薙刀と同型です。鎌のついたものもあったようです(写真⑧)。 棒の手の写真です(写真⑨)。 この写真を見ると薙刀という感じでしょうか(写真⑩)。郷土芸能と言うより本気の試合という感じです。 これもすごい迫力です(写真⑪)。列の左側が警棒のようなので右側の6尺はあろうかという長い棒に立ち向かっているように見えます。右端の帽子の男がいなければ江戸時代さながらです。 この流派は先端に鎌状の刃をつけたものを使うようです(写真⑫)。 これを見ると祭りには違いなく、流派は大坪起倒流で、「祭 大坪連」という旗印を先頭に行進しています(写真⑬)。 槍のような長尺棒に小太刀のような短棒で立ち向かうのが大坪起倒流ということでしょうか(写真⑭)。 明治42年の免許授与式です(写真⑮)。 これは昭和35年の旭村合同研修会です(写真⑯)。 これを見ると短棒は2本持っていたようです(写真⑰)。一般に集団では槍が絶大な威力を発揮しますが、一対一となると小回りがきく短棒にも勝機があるのでしょう。 昭和30年代から次第に年に人口が集中し、山村の過疎が始まります。その入り口付近の時代の写真です。
続く |
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2014年11月22日(土)
今、豊田市の旭郷土資料館にいます。場所は豊田市役所旭支所の北東約1.6キロです。
さて、展示が変わりました。中央に小さめの竿秤と分銅があります(写真①)。
矢立といい携帯用の筆記具のうちの墨壺です(写真②)。絵の部分には筆を収納します。 携帯用日時計なるものがありました(写真③)。晴れの日でないと使えないのが難点です。 江戸時代から明治にかけて色々な信仰が盛んで講もたくさん存在しました。これは「奥山半僧大権現」と言う掛け軸です(写真④)。 顔は大天狗、服装は僧侶です。修験道の行者と山岳修行の密教僧が合体したような感じのお姿です。
これは明治時代の掛け軸で描かれているのは善光寺です(写真⑤)。 これは明治から昭和にかけて養蚕が空前の活気を呈したときに使われた養蚕大権現の掛け軸です(写真⑥)。 青い体の神様に見覚えがあるでしょう。庚申様です(写真⑦)。今でも全国津々浦々にと言っていいほど立派な庚申塔が建てられていてその信仰の篤さを今に伝えています。 とはいえ庚申信仰の教義は荒唐無稽なところがあり、明治政府が迷信と宣言すると急速に衰退していきました。
さて、こういうところに来ました。仏壇の前にあるような道具が並んでいます(写真⑧)。 これは提灯です(写真⑨)。
おや、結納箱なるものがありました(写真⑩)。なぜここに結納箱があるか、それはこの展示が人の一生という主題だからのようです。まずは人が結婚しないと始まりません。 こういう子供の服、見覚えがあります。今はこういうのは流行らないでしょうか(写真⑪)。 初詣の時の絵馬と矢です(写真⑫)。 寡聞にして「一つ身」とか「四つ身」とか言った区分があることを初めて知りました。これは一つ身です(写真⑬⑭)。 裁ち方の違いに由来するそうです。世の中、いくつになっても知らないことで一杯ですね。だから毎日が楽しいのでしょう。
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2014年11月22日(土)
今、豊田市の旭郷土資料館にいます。場所は豊田市役所旭支所の北東約1.6キロです。
半鐘がありました(写真①)。これだけ見るとお寺のものか消防のものか区別がつきませんが。資料の並びからすると消防用です。見分ける特徴があるのでしょうか。
ご存じ、手押し式の消防ポンプ車です。さすがにポンプの部分は金属製ですが、手押しという点では江戸時代から少し進化したという程度です(写真②)。 ここにも手押しポンプ車がありました。当時の住宅地の道路事情にも合っていたのでしょう。 今も各地に道の狭い住宅地がたくさんありますが、ホースをつなげば火元に放水することはできます。ただし、放水までに相応の時間が経過し、その間に丸焼けになることもあります(写真③)。
地元の旭中学校消防クラブの団旗です(写真④)。この時分から消防に興味をもって活動するのは素晴らしいことです。地元の消防団で作る連合会から表彰されたようです。 おやおや、渡小学校の少年消防クラブ所属の消防車までありました(写真⑤)。現在、子供神輿が全国各地で行われていますが、こういう少年消防クラブを結成して、神輿の行列に加わるのもいいでしょう。 そういうときこそ、資料館でほこりをかぶって寝ている旧型車の出番です。
測量用の三脚と台です(写真⑥)。 江戸時代までは2本の棒に鎖をつないだもので測量するのが原則でした。それから150年あまり、こういう光波の測量計が登場するなど夢にも思わなかったでしょう(写真⑦。 これは「明治38年12月(と読める!)」に発行された幼年画報の正月号の付録です(写真⑧)。ただし、明治38年は巳(み)年、次の明治39年は午(うま)年ですから、日付の読み間違いと思われます。 発行年は不明、婦人世界新年号付録の「家族旅行 日本名所双六」です。昭和40年代まで多くの雑誌の正月号の付録に道中双六がついていたと思われます。結構楽しかったという記憶があります(写真⑨)。 これも何かの付録で「初夢双六」です(写真⑩)。もう少し精細な写真を撮っておけばよかったです。見た感じでは明治の終わりか大正の初め頃と思われるのですが。 これは大正5年1月1日発行の「子供の友の」の付録双六です(写真⑪)。 写真⑪の双六のうちの1枚です(写真⑫)。いささか説教臭さが目につきますが、昔はこれで当たり前だったのでしょう。 今の親はどうでしょう。放任するかほとんど虐待のようになるかという事例が目立つような気がします。まあ、ちゃんとしつけている親が大半だからこういう事例が際立つのでしょう。
それにしてもこの双六どうやって遊ぶのでしょう。
往時の雑誌です。有名な家の光です(写真⑬)。農村女性の啓発、地位向上、ひいては農村の近代化に絶大な貢献をしました。今でも郵送で手に入れることができます。 婦人生活というのも見たことがあるでしょう(写真⑭)。主婦の友、婦人倶楽部、主婦と生活とともに戦後四大婦人雑誌と呼ばれた雑誌です。 婦人生活は1986年に、主婦の友は2008年に、主婦と生活は1993年に、婦人倶楽部は1988年に廃刊、または休刊になっています。主婦とか婦人というくくりがわかりにくくなった時代になったのでしょう。
こういう学習雑誌、今もあるでしょうか。旺文社の蛍雪時代は1年間買って読みましたね(写真⑮)。 続く |
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2014年11月22日(土)
今、豊田市の旭郷土資料館にいます。場所は豊田市役所旭支所の北東約1.6キロです。
平成7年度末で閉校した旧旭中学校の校章です(写真①)。
消防士がかぶる帽子です(写真⑨)。金属製の鉢と錣(しころ)でできています。現代のものはもっと軽くなっているでしょう。
お寺のお堂にぶら下がっている鰐口です(写真②)。 1994年に愛知県で開催されたわかしゃち国体の時のマスコットです(写真③)。 給食容器です(写真④)。昭和40年頃から昭和50年頃まで使われました。 これは給食で牛乳を入れた容器だと思います(写真⑤)。山奥の子は牛や山羊の原乳を飲んで育つことが多く、学校の牛乳はまずかったと思います。 古びた赤いランドセルです(写真⑥)。平成に入って過激なフェミニストたちが女の子に赤いランドセルを背負わせるななどと声高に叫んでいましたが、多くの親たちはその主張に違和感を感じました。 これは蝦蟇口です(写真⑦)。普通の財布と違い180度を越えて口が開くので小銭を払うときはとても便利でした。 これは大正11年9月25日に撮影されたものです(写真⑧)。左右の端に28馬力のガソリンポンプ車があります。これを地元の消防団が買ったときの記念写真です。 去年から今年にかけて全国でたくさんの火事がありました。現在の消防力をもってしても火元の家は言うに及ばず、数件の類焼も防げない状況です。何よりも火の用心を心がけましょう。 消防用の筒先です(写真⑩)。放水時に大きな反作用が働くので軽いものでは支えきれません。
筒先は重い真鍮製なのですが、普段は倉庫に入れたままなので、訓練の時に開けてみると筒先だけ盗まれていたという事件が多発しました。このまま転売すると目立つので地金にする輩が一味の中にいるのでしょう。将に現代の盗賊団です。
続く自警団の法被です(写真⑪)。自警団は1923年以降に全国的に組織化されたもので、正規の組織である消防組や警防団と重なる存在でした。 これは消防団の制服です(写真⑫)。現在もある消防団は1947年に発足しています。 江戸時代から消防の装備とされた纏(写真⑬)。どこの組が出動しているかの目印となり、現場で指揮を奮い立たせるものでもありました。 これも消防の装備ですが浅学にして何かわかりません(写真⑭)。 江戸時代からあった竜吐水です(写真⑮)。威力は弱く、消防士の防火服を濡らす程度の役にしか立たなかったでしょう。 一番簡単な消火法は燃えるものを撤去することです。破壊消防が大規模火災を鎮圧するのに有力な方法で、こういう道具で家を壊し防火帯を作ったのです(写真⑯)。 消防の観閲式です(写真⑰)。去年、殉職者が出ました。消火は危険な作業です。どうか安全を心がけてください。 |







