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2014年11月22日(土)
今、豊田市の旭郷土資料館にいます。場所は豊田市役所旭支所の北東約1.6キロです。
ご当地には上倉の桜という巨木がありました。世に巨木と言われる桜は大半がエドヒガンです。根回り5.5メートル、樹高12メートル、樹齢500年という堂々たるものでしたが、昭和46年の矢作ダム竣工の際に水没し、幹の一部を保管したようです(写真①)。
この写真の奥の幹がその上倉の桜の幹だと思うのですが(写真②)。
次は杉本の貞観杉です。胸高で11.7メートルあったといいますからさぞかし巨木だったでしょう(写真③)。 これが杉本の貞観杉の写真です(写真④)。 この解説では、杉を伐採したわけではなく、危険とされた枝を伐採したようです(写真⑤)。 これがその枝打ちしたものです(写真⑥⑦)。枝でもこれだけの太さ、貞観杉の大きさがわかります。 ご当地で神社の祭礼に使われる山車です(写真⑧)。今の山車はどんどん派手になっていますが、こういう素朴なものも味わいがあります。 なお、杉本の貞観杉は今も健在です(写真⑨)。樹高45メートルとはすごいです。立ち寄ればよかったと思います。 さて、展示室の様子です(写真⑩)。 嘉永4年(1851年)に奉納された扁額です(写真⑪⑫)。2本の巨木が天をつき、下の方にたくさんの馬が描かれているのがわかるでしょうか。これは千匹絵馬といいます。 勘定したところでは650頭ほど描かれているそうです。1851年に奉納されたものです(写真⑫の2)。 昔懐かしいだるまストーブです(写真⑬)。 延享元年(1744年)に奉納された扁額です(写真⑭)。昔の人が見たら図柄、旗印、わずかな詞書きでどんな人物がすぐにわかったでしょうが、現代人の一般的な知識ではわからないでしょう。 棟札です(写真⑮)。特に文化財の建物の場合、棟札は建築年代を確定する重要な証拠になります。棟札自体も文化財ということもあります。 往事の看板と思われます(写真⑯)。 続く |
2014年旅行記録
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2014年11月22日(土)
今、豊田市の旭郷土資料館にいます。場所は豊田市役所旭支所の北東約1.6キロです。
少し暗いので分かりにくいですが大きな2枚羽のプロペラだと分かるでしょうか(写真①)。
近づいてみると字が書かれていました。大きな字は読めませんが、左端に「山本五十六書」とあるのが読めます。あの山本五十六海軍大将です。 山本は1930年(昭和5年)ごろから海軍航空本部技術部長を務め、航空機の強化を推し進めていたのです(写真②)。
プロペラの解説がありました(写真③)。海軍九十式水上偵察機のプロペラで、昭和四年製だということです。山本五十六の在任期間と重複するので署名の意味も理解できます。 これは海軍九十式三号水上偵察機の勇姿です(写真④)。エンジンは500馬力、最大速度は185キロで当時でも高性能とは言えませんでした。先の大戦に実戦投入されたのは後継機の九四式水上偵察機でした。 さて、ご当地を流れる矢作川の上流には矢作ダムがあります。1962年(昭和37年)に着工して1970年(昭和45年)に竣工しています。 実は水没に伴う補償交渉は難航したのです。田舎だから交渉くらい簡単だろうというのは大間違い、共産主義の中国とはわけが違います。これは水没地域の記録です(写真⑤⑥⑦)。
これは水没地区の内、牛地と本郷です(写真⑧)。 これは水没地区の内、小滝野です(写真⑨)。 本郷での写真です(写真⑩)。 同じ本郷の川遊びの様子です(写真⑪)。 水没地区にあった生駒小学校の学芸会の様子です(写真⑫)。どこかのバンドを呼んできたようです。 生駒小学校の運動会の時の写真です(写真⑬)。正装した年寄りがたくさんいますから、これで最後の運動会だったかもしれません。 役場も水没したと思われます(写真⑭)。 火葬場も水没しました(写真⑮)。 矢作ダム建設に伴う水没の話は一旦終わりです。後でもう一度登場します。 続く
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2014年11月22日(土)
今、豊田市の旭郷土資料館にいます。場所は豊田市役所旭支所の北東約1.6キロです。
往時の電気製品が並んだところに来ました。
手回し式の蓄音機です。音はどうやって出したのでしょう。まだ電蓄ではないようです(写真①)。
大正から昭和初期に掛けて使われたラジオです(写真②)。
これはナショナル製でUA645という型番が分かります。昭和30年代に使われた真空管ラジオのようです(写真③)。長波と短波がついています。 昭和20年代から30年代にかけて使われたソニー製のテープレコーダーです。オープンリールなので使う人は限られました。1967年(昭和42年)にカセットテープが発明されるとテープレコーダーは一気に普及します(写真④)。 ナショナル製のテレビです(写真⑤)。カラーテレビでしょうか、スピーカーは2個ついています。 こういうテレビ、ありましたね。14インチだったでしょうか。U局のチャンネルもあります(写真⑥)。 東芝製のテレビです(写真⑦)。昨今は東芝、シャープといった慣れ親しんだメーカーがゆれています。こういうように国内メーカーがテレビで競い合っていた時代が懐かしくなりました。 サンヨー製のテレビです。サンヨーも2004年の新潟地震後から経営がぐらつきだし、その後、事業再編という名の空中分解で跡形もなくなりました。寂しい限りです(写真⑧)。テレビ一つ見ても世の浮き沈みを感じます。 NEC製の文豪ミニ7SUです(写真⑨)。ご承知のように1980年代に急速にワープロ専用機が使われるようになりました。 このミニ7は1990年代の初め頃のものです。2000年代になるとワープロは急速に姿を消していきます。ワープロ専用機の使い勝手はよかったのですが、拡張性も互換性もないのはどうしようもありませんでした。
これは見覚えのあるパソコンです。下はNEC9801VXです。1986年に発売されています。上のディスプレイはサンヨー製のようです(写真⑩)。 これはNEC8801MKⅡです(写真⑪)。これは1988年頃に発売されているようです。 パソコンで一番原形をとどめているのはキーボードでしょうか(写真⑫)。 初期の印刷機は使い勝手が悪かったような気がします。USB接続で本体につなげば何の設定もせずに動き出すいうものではなかったのです。 今は写真をプリントしても専門店の写真に負けないくらいになりました。(写真⑬)。昨今はネットプリントというものもできて、印刷物が少量ならこちらの方が経済的でしょう。
パソコンが乗っていたのはレコードプレーヤーとカセットデッキがついたステレオでした。まあ、これで昭和50年代までは十分使えました。 今はこういう大型のステレオはほとんど見かけなくなりました。市街地では大きな音は出しにくいし、重低音では家が揺れるし、場所は取るしというようなことでしょうか。ミニコンポは結構使い道があります(写真⑭)。
奥にあったテレビです。上に乗っているのはビデオカセットレコーダー、右端の小さいのは不明です(写真⑮)。ビデオカセットレコーダーができてからテレビの見方も随分変わりました。
ビデオに撮るとCMなどの見たくないところを飛ばせる、放送時間に拘束されない、何度でも見られるということになったからです。
こういう記録メディアの変遷という展示もありました。よく知られていることなので詳細は省略します(写真⑯)。 続く |
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2014年11月22日(土)
今、豊田市の旭郷土資料館にいます。場所は豊田市役所旭支所の北東約1.6キロです。
この先見たことのない機械が登場します。まずはこれ、何かの織機かと思ったらろうそくを作る機械でした(写真①②)。これだけ見てもどうやって作るかは分かりません。たくさんの穴があることが分かります。
これは紡錘機です(写真③)。要するに糸車の進化型なのですが、見ての通り多くの糸巻き機を同時に動かすことができ、生産能力は飛躍的に向上しました。西洋の技術により作られたものと思います。 これがなんだか分かりますか。番傘の骨作り機です(写真④⑤)。使われたのは昭和20年だから30年代とあるのでかなり新しいものです。 これは番傘の骨の穴開け機だというのですが、これも見ただけではどうやって使うのか分かりません(写真⑥)。 ちなみにこれが番傘です(写真⑦)。
往時の柱時計です(写真⑧)。 ご当地の旭町役場の絵です(写真⑨)。旭町ができたのは1967年ですからその頃の姿でしょうか。ご承知のように旭町は2005年に豊田市に編入されています。 これは大正時代を中心に使われた乳母車です。童話によく登場します(写真⑩)。 往時のステレオです。テレビもそうですがこういう家具調のものがよく売れた時代がありました(写真⑪)。足がついているのも特徴です。 古い写真です(写真⑫)昭和34年の写真で、バスの丸いお尻、左端の給油機、頑丈そうなフレームの単車、奥の商店の大売りだしなど懐かしい雰囲気です。 昭和26年の写真、落成した立派な農業倉庫があります。前にある三輪車はまだオートバイの面影を残しています。道が悪かった頃は取り回しがよくて荷物も載せられて、使い勝手がよかったでしょう(写真⑬)。 昭和9年の写真です。貸し自動車というのがもうあったようです(写真⑭)。 往時の鯉のぼりです(写真⑮)。田舎に行くと今でも大型の鯉のぼりを見ることができます。各地で古い鯉のぼりを集めて川の上を泳がせる行事が行われていますが、壮観だと思います。 津島神社と大書された幟です(写真⑯)。津島神社と言えば愛知県津島市にある神社のことで、その末社がご当地にあったのでしょう。 続く |
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2014年11月22日(土)
今、豊田市の旭郷土資料館にいます。場所は豊田市役所旭支所の北東約1.6キロです。
川漁の話になりました。ご当地は矢作川の上流域、いい漁場だったことでしょう。鮎釣りの様子です(写真①)。
鮎釣りに使った竿です(写真②、②の2)。 鮎は琵琶湖産のものを放流していたようです(写真③)。 矢作川に作られた鮎を捕る「やな」です(写真④)。 さらに詳しい話です。やなは株を持っている人だけが仕掛けられるものです(写真⑤⑥)。 今も解禁日を待っている人も多いでしょうね(写真⑦)。 矢作川の川漁の解説です(写真⑧⑨)。いろいろなやり方がありますが、友釣りが代表的です。 「うげ」と呼ばれる竹籠の仕掛けを設置する漁も行われました。ウナギが入ったらうれしかったでしょうね。 ウグイやハヤのようなコイ科の仲間は鮎のようなサケ科の仲間に比べると味は落ちますが、囲炉裏で弁慶と呼ばれるものを使って燻製にすると結構おいしく食べられました(写真⑩)。
動物となると捕まえるのは容易でありませんが、川の魚は簡単にとれるので往時は貴重な食料になったでしょう。それは全国どこでも同じことです。
昭和27年に完成した寿橋です(写真⑪)。まだ木造の橋です。 昭和32年に竣工した両国橋です(写真⑫)。もう鉄の橋になっています。両国橋というのは、このあたりが昔、尾張国と美濃国の国境だったところからついた名です。現在の県境は少し北にずれています。 さて、屋根の話になりました。山村の代表的な屋根は茅葺きと板葺きですが、ここでは茅葺きが優勢だったのでしょう。明治30年頃の民家です(写真⑬)。
茅葺き屋根の葺き替え作業です(写真⑭)。 続く |






