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播磨国風土記の特徴は、土地の古老に聞いた話をそのまま載せている素朴さにあると言われています。几帳面な『出雲国風土記』とはおおいに趣が異なります。
ところが、播磨国風土記には、数多く大国主とおぼしき神様が登場します。そして、出雲の神々がたくさんの逸話を残しています。
例えば、“葦原志挙乎命は、この客の神(天日槍命=あめのひぼこ)の霊力のさかんな行為に畏れをなして、先に国を自分のものにしようと思い川をさかのぼった。その途中、小山で食事をしたがご飯粒をこぼしてしまった。そこで、ここが粒丘(いいぼおか)となり、揖保(いいぼ)の郡名がついた・・・”「揖保郡」の伝承。
“大汝命(おおなむちのみこと)と少日子根命(すくなひこねのみこと)が生野の岑からこの山を望み見て、「その山には、稲種を置くべきである」と言った。そこで稲種を送って、この山に積んだ。山の形もまた、稲積に似ている・・・”「稲種山」の伝承。
“大汝命(おおなむちのみこと)が俵を積んで天に昇るはしごをつくった。山の石がはしごに似ている。そのはしごが觜崎の屏風岩で、山が鶴觜山である・・・”「鶴觜山」の伝承。
“大和三山の畝傍、香山、耳成が争っていると聞いた出雲の阿菩(あぼ)大神は、仲裁するために船で大和をめざしてきたが今の神岡まで来て争いが終わったと耳にした・・・”「神阜(かみおか)」の伝承。
“伊和大神が出雲の国からやって来たときに、嶋村岡を腰掛けとして座り、筌(うえ)を川に仕掛けた。ところが魚が捕れず、替わりに鹿が捕れた・・・”「嶋村岡」の伝承。
葦原志挙乎命(あしはらしこお)、大汝命(おおなむちのみこと)は明らかに大国主ですね。そして、出雲の阿菩(あぼ)大神は大和の国の争いを仲裁するくらいですから大国主かそれと同等の神格を持った神様。宍粟市一宮町の伊和神社の祭神は、大国主神(大己貴神)ですから、伊和大神=大国主ではないでしょうか。
そこで謎です。
1.播磨は大国主が治める領域だったのではないだろうか?
2.いや、大和と出雲を結ぶ通り道だったので、出雲の神の多くの逸話が残っている?
まだまだ、いろいろ考えられますね。
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揖保というと、そうめんを思い出します。
2007/7/13(金) 午後 11:31 [ mar*co1*71 ]
近くに出雲そば屋の安来って店があるんだけど
夏にそうめんも出します。揖保の糸らしいです。
2008/6/13(金) 午後 11:34 [ 与那国 ]
与那国さん>えっ、どこですか?よろしくお願いします。
2008/6/14(土) 午後 1:14 [ shigechanizumo ]
葦原志挙乎命、る大汝命はスサノオとオオクニヌシと思われますがどちらも出雲の神であることは間違いないようです。どちらかというとスサノオ系の東部出雲王朝が出雲街道をつかって播磨に影響を与えていたのではと思います。
2019/7/7(日) 午前 1:22 [ まるも ]