|
『日本書紀』には、天皇家と出雲の神の祟り(神威)についての興味深い記述がいくつかあります。
その代表的なものは、祟神天皇六年の条です。それによれば、「国内に疫病が流行り多くの人が死に、農民らは土地を離れたり、背いたりしました。困り果てた天皇は、占いにより神託を得ようとしました。
この時大物主が現れ、自分を祀ることを祟神天皇に命令しました。さっそく、この神を祀りましたが験(しるし)がありません。もう一度大物主に伺いを立てると、国がよく治まらないのは大物主の意志であることを告げました。
そして、“もし大田田根子なる人物をもって自分を祀らせれば、おのずから世は平らぐ”、とのことでした。さそっく、大田田根子を探し出し、大物主を祀らせたところ、世の中は平静になった」とあります。
次に興味を引くのは、垂仁天皇の時代に、「皇子ホムチワケノミコトは、三〇歳になっても声を出してものを言わない。ある日、白鳥(クグイ)が宮中に飛んできた時“あれはなんだ”と皇子が発声された。
そこで、天皇はユカワタナというものに、その白鳥を採って来るように命じられた。その白鳥は諸国をめぐって出雲でようやく捕まえることができた。皇子は白鳥と一緒に遊び、ついにものを言われるようになった。」とあります。
この話は『古事記』にも載っており、そこでは、「皇子は捕らえられた白鳥を見られたが、何も言われないので天皇は深くご心配された。すると、ある夜、神のお告げがあり“わたしの宮を天皇の御殿のように作ったら、皇子がものを言うようにしよう”という出雲大神のおさとしでした。
そこで、天皇は皇子を出雲大社へ参拝させると、出雲のキヒサツミという人が斐伊川の川の中に仮の宮を設け川下には皇子のための酒盛りの場所を作りました。すると皇子はものを言われるようになり、大喜びされた天皇はすぐに出雲大社を立派なものにするように命じられた。」とあります。
これらの話のはるか以前、国譲りの折に「静かに隠れましょう」といって身を引き、出雲大社を造らせたはずの大物主、出雲大神が、なぜ、後代に突如として神威を発揮するような形で登場するのでしょうか。・・・・・・謎ですね。
|