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遺跡保存か否かで話題をよんだ松江市の田和山遺跡は、弥生時代前期末から中期後半にかけて(紀元前2〜1世紀)の遺跡です。宍道湖をのぞむ標高約48mの山の山頂部分を、濠と土塁で囲んでおり、3重の壕に取り囲まれたところには、2間×2間の9本柱の建物と1間×1間の5本柱のもの大小1つずつの建物と、柵の跡と思われる300もの柱穴列などがみつかっています。

遺物としては土器・サヌカイト製や黒曜石製の石鏃(石のやじり)180以上・環状石斧・石ツブテ約3000個・銅剣形石剣などが見つかっています。
遺構としては3重の環壕、その内側からは総柱建物跡・柵列・加工段があり、外側からは住居跡・焼土などが見つかっています。

遺跡の継続する時期は青銅器が大量に出た神庭荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡とほぼ同じであるとされています。ふつう環壕集落や高地性集落にみられるような住居址などが認められず、逆に環壕の外から見つかるという点が、全国的に見ても類例がないものだとされています。

丘陵の南半分には田和山1号墳があり、近くの平坦地には、友田遺跡や欠田遺跡があり、友田遺跡からは四隅突出型墳丘墓が検出されています。

ところで、この遺跡について佐古和枝教授は、「内部にある大きい方の掘立柱建物は、出雲大社の本殿と同じ構造だということで注目を集めました。その後、これは建物跡ではなく、柱穴が偶然そういう配置になっただけとか、中央の柱とそれを囲む柱などという意見もでています。いずれにしても、この濠と土塁で囲まれた内部は、一般の人々の生活の場ではなく、特別な意味をもつ空間であると考えられます。たとえば聖地のような場所・・・」といっておられます。

以上を見ると、田和山遺跡は、

1.環濠があるのに、その内側に人が住んでいなかったと思われること(なぜ?)。

2.たくさんの武器と思われる遺物が見つかったこと(なんのために?)。

3.サヌカイトの石鏃で判るように、遠方との交流があったと思われること(どこと?)。

4.荒神谷遺跡・加茂岩倉遺跡と同時代のものであること(それらとの関係は?)。

5.山頂部の9本柱の建物は、特別なものではなかったかと思われること(どうして?)。

といった謎が出てきます。詳しくは稿を改めて紹介することにします。

閉じる コメント(3)

そうそう、なぜ壕の外側に住居跡があるのか。興味深いですよねぇ。壕で囲まれた場所ということは、防衛するだけの価値があるものがその内側にあったということだけは確かですよね。。。

2005/11/27(日) 午後 0:40 佐々木斉久

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佐々木さん>私は、田和山が野白川(忌部川)の出口にあることが重要だと思って、他との関連で調べています。また報告します。

2005/11/28(月) 午前 9:10 [ shigechanizumo ]

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のしらかわはかなり面白いいしがでた。子どものころ、回りは貝塚だらけ、川には、不思議な石を、たくさんひろった

2019/7/7(日) 午後 10:20 [ あかは ]


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