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『古事記』によれば、天照大神は出雲の支配権を譲るように使者を派遣しましたが、二人の使者はその使命を果たしませんでした。『古事記』では、次のように書かれています。
「天照大神は地上の国も高天原の管理下にあるべきであるとして、地上を支配していた大国主神のところへ、天菩比神(アメノホヒ)を派遣し支配権を譲るよう交渉させました。ところが天菩比神は大国主神にうまく丸め込まれてしまい、三年たっても復命しませんでした。
そこで天照大神は次に、天若日子(アメノワカヒコ)を地上に派遣しました。ところが天若日子は大国主神の娘の下照比売(シタテルヒメ)と結婚してしまい、八年たっても復命しませんでした。」とあります。
有名な国譲り神話の前史となります。では、天孫族の天若日子の妃となった下照比売とはどのような比売でしょうか。
下照比売は、大国主命の娘で、味鋤高彦根(アジスキタカヒコネ)命の同母妹、そして、天若日子の妃です。下光比売とも書かれ、あかる姫とも呼ばれます。さらに、下照比売の姉妹に高照比売(タカテルヒメ)という方もおられ、こちらは事代主(コトシロヌシ)命の同母妹にとされています。
つまり、大国主命には、味鋤高彦根命と事代主命という二人の母を異にするお子神がいて、そのそれぞれのお子神に、下照比売と高照比売という妹がいたことになります。国譲り神話では、もう一人、建御名方(タケミナカタ)命が登場しますね。
ところが、出雲で天若日子の妃となったはずの下照比売は、不思議なことに大和の葛城の地でも「葛城の長柄神社」に祀られているのです。しかも他の三人も、味鋤高彦根命が「葛城の高鴨神社」に、事代主命が「葛城の下鴨神社」に、高照比売が「葛城の中鴨神社」にと、すべて葛城の地の重要な神社に、別々に祀られているのです。そしてその地理的配置は、平行四辺形状に並んでいるとされます。
葛城は大和の中でも古くから繁栄した地で、鳥越憲三郎先生や門脇禎二先生は、「葛城王朝」の存在を指摘されています。また、「葛城の下鴨神社」は京都の「上賀茂、下鴨神社」の源流ともいわれ、さらに、味鋤高彦根命は「賀茂大神」とも呼ばれています。こうしたことから、これらの神々はもともと大和の神だという説が出てくるのでしょう。
そこで、謎が湧いてきます。
1.なぜ、葛城という大和を代表する地に、大国主命のお子神が祀られているのでしょうか。
2.なぜ、四人のうち三人は「鴨(カモ)」のつく神社なのでしょうか。
3.なぜ、別々に祀ったのでしょうか。
4.そして、四つの神社が、平行四辺形状に並んでいるのには何か意味があるのでしょうか。
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ということは、京都の「上賀茂、下鴨神社」も出雲と関係がありそうですね。
2007/7/15(日) 午後 1:51 [ mar*co1*71 ]