いずものこころ

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徐福一行は何隻もの船で出雲に到着しました。この船は復元想像図でもわかるように、いわゆる準構造船で、帆も持っていました。当時の日本では考えられない船です。もちろん、どのような材質を持った木で作るものかさえも知っていませんでした。

ところで、『日本書紀』には、船とスサノヲその子供イソタケルらについての記載があります。「韓郷の島には金銀がある。もしわが子の治める国に、船がなかったらよくないだろう」とスサノヲは言います。そこでひげを抜いて放つと杉の木になり、胸の毛を抜いて放つと桧(ひのき)になり、尻の毛は槙(まき)の木になり、眉の毛は樟(くすのき)になりました。

そして、「杉と樟、この二つの木は船を作るのに良い。桧は宮を作る木に良い。槙は現世の国民の寝棺を作るのに良い。そのためのたくさんの木の種子を皆播こう。」と言ったとされます。スサノヲの子のイソタケル・オオヤツヒメ・ツマツヒメが協力して種子を播き、日本は青山になったとあります。今もこのお子神たちは、材木の神・植林の神・造船・建築の神として祀られています。

スサノヲはもとより、その子のイソタケル・オオヤツヒメ・ツマツヒメは皆出雲系の神です(今も、島根県大田市にそれぞれの神社があります)。なぜ、出雲系の神が、突然船のことを持ち出し、その材料になる木の種子を播いたのでしょうか。もちろん、徐福一行が準構造船の帆船を持ち、その造船技術もあり、材料となる木の種子を出雲に持ち込んでいたからに違いありません。徐福伝説では、徐福は作物の種や木の種なども乗せて出発したとあります。

準構造船を作ろうとする。その技術者は徐福一行の中にいるが、その材料がない。しかしその材料の種子はある。そこで、植林をしたのです。このことをよく考えると、古代日本の造船は、ある日突然思い立たれたもので、少しずつ改良が重ねられて成立したものではないことがわかります。

ここでも、徐福一行の出雲到来による、突発的な中国の技術移入が見られるのです。そして、それらはスサノヲ・その子のイソタケル・オオヤツヒメ・ツマツヒメといった出雲の神が下支えをしたのです。『日本書紀』が、スサノヲと船のことを記載したのは、それも出雲発の特筆すべき事項だったからなのです。

鳥取県で発掘された弥生時代の土器に、不思議な船が書かれています。徐福の船なのではないでしょうか。

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