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徐福一行と出雲との関係が推測されるのに、なぜ出雲には、日本の他の地域に見られるような徐福伝説が存在しないのでしょうか。あるいは、なぜ古代出雲の人たちは、誇らしげに徐福の伝承を残さなかったのでしょうか。
これには、深い理由があると考えられます。結論を先にいうと、徐福一行のもたらしたものが、あまりに大きいことに気づいた古代出雲の人たちが、わざと徐福一行の出雲定住を隠し、さらに、すぐには先進技術や文化を、そのままの形では流出させなかったからなのです。
文化人類学者の大林太良先生は『邪馬台国』という著書の中で、刺激的な指摘をしておられます。オーストラリアのヨーク岬半島に住むイール・ヨロント族の例を引かれます。
「鉄器の導入以前は彼らは石斧を用いていたが、石斧の刃ははるか南から部族から部族へとリレー式に運ばれて入手していた。男はこの刃に短い柄を自分でつけて用いていたが、妻や子供は石斧を所有することが許されず、夫や父から借りて用いていた。」
「白人の宣教師がイール・ヨロント族に男だろうと女だろうと、大人だろうと子供だろうと、いっさいおかまいなしに片っ端から鉄斧を与えるようになると、大きな社会変動が生じた」
「女や子供も自分の斧を持つようになったから、夫―妻、大人―子供という服従関係が破壊される。また伝統的に成年男子は他部族に一定の交易パートナーを持ち、これから石斧の刃を入手し、代わりに北からリレー式にきた石の槍先を供給していたが、このパートナー間のいわば兄弟的な関係も崩壊してしまう」
「ことに、石斧の刃の交易は祭りのときに行われたが、刃を入手する必要もなくなると、祭りの魅力も色あせ、生活自体もつまらなくなってしまった。」と・・・・。
大林先生によるこの指摘は、鉄斧という利器のひとつが、一族が永年築き上げてきた集団内の秩序や、集団間の関係、そして部族のまとまりを象徴する「お祭り」さえも崩壊させたというものです。落差のある異文化との接触は、これほどまでに大きな影響を与えるのです。
現在の私たちが口にする、「カルチャーショック(異文化衝撃)」「カルチャーコンフリクト(異文化間摩擦)」などという現象より、はるかに大きな社会変動をもたらし、そのことが回復不可能なダメージをその地域集団に与えるのです。
徐福一行が中国から運んできたものは、多岐にわたる先進技術・文化でした。一人の宣教師が、そこの原住民に便利だろうからと、安易にもたらした鉄斧ひとつの流入・流通ですら、先ほどのような現象を起こすのですから、徐福一行がもたらしたものを安易に取り入れたり流通させると、これはとんでもない混乱を起こす原因になるのです。古代出雲のムラ長たちは賢明にも、そのことに気づいていたのではないでしょうか。
いい事はわかっている、しかし、その計り知れない影響は怖い、では、どのように対応したらいいのでしょうか。今年も、想像の翼を広げてみましょう。
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全然関係ないのですが、この記事を読んで大型スーパー出店創成期のころを連想しました。地方の商店街に活気がなくなり、その土地の人間関係やお祭りなどが衰退してしまったという事実です。便利で安い、そのことの先に、これまでの社会風土の喪失が待っていたということです。
2006/1/4(水) 午後 9:18
ラクシュミーさん>リゾームとかリネッジという言葉があります。フランスのポストモダンの思想家がよく用いますが、「地下茎」とか「円環連鎖」。いってみれば表面にはハスの花が一つか二つ咲く位なのに、水面の下の地下には蓮根の根がぎっしりと張り巡らされている。その連鎖があってはじめてハスのきれいな花が咲く。こういったことを忘れてしまっているのではないでしょうか。
2006/1/5(木) 午前 10:19 [ shigechanizumo ]
shigetyanizumoさんは、大学の先生みたいですね。自分の考えていることを、こうして美しいピクチャーで見せてもらうとうれしいです。すごく、わくわくします。知ることの喜びを感じます。ありがとうございます。
2006/1/5(木) 午後 7:27
ラクシュミーさん>いえいえ、大仰な・・・。
2006/1/6(金) 午後 5:39 [ shigechanizumo ]