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古代出雲は、『記紀』に記載される豊富な記事や、出雲から出土する遺跡や遺物の存在によって、古代に大きな勢力だったことがはっきりしています。
そこで、『古代出雲王国』とか、『古代出雲王朝』といった言葉がよく使われます。しかし、この用語の使い方に疑問を出される方も、かなりいらっしゃいます。1つは学問的な用語の定義からの疑問、もう1つは幻想的なロマンと実際のものの見方に間違いを与えるといった方向からのものです。具体的には、どのようなことなのでしょうか。
まず、学問的な方面からの疑問を見てみましょう。多くの古代地域国家論を提出された、門脇禎二先生は次のように言われます。
『王国』とは、まず国の体裁として「領土」「人民」「規制力(法)」、そして支配する「権力者(王)」とその「イデオロギー」が整っていなければ、「王国」とは言えない。古代出雲を弥生時代から律令時代までを一からげにして「王国」と呼ぶのは妥当ではないのではないか。王権の芽生えがあった時代・王権が存在した時代・律令社会へと呑み込まれた時代ときちんと区分しながら、それぞれの時代に出雲で何が起こり、どうなったのか検証して行くべきではないか。と指摘されます。
さらに、上田正昭先生は、「王朝」について、「王国・王権」だけでは足らず、「王」として系譜的に世襲される一族の存在があって初めて「王朝」と言える。と指摘されます。
そして、私たちが普通に考える「天智・天武王朝」「奈良・平安朝」といったレベルの王朝は古代出雲に存在しなかったとされ、「王国」についても、「ベルギー王国・オランダ王国」などをもって、古代出雲王国として、比較してはならないという趣旨を述べておられます。
二番目のものは、どう考えるべきでしょうか。学問的批判と似ていますが、そのように厳格なものではなく、ロマンだけで「王国・王朝」と呼ぶことによって、古代出雲の人々の実際の生活や政治体制を考えることの妨げになるといったところでしょうか。あるパネルディスカッションで女性のパネラーさんが、「出雲王国、出雲王国」と連発されていたことがありましたが、なるほど違和感を感じました。
たしかに、他の地域に対する優越感を高揚させるためだけに、裏づけのない言葉や用語は慎むべきでしょう。しかし、まだまだ古代出雲への認識は足りません。古代出雲へ人々をいざなうためには、上記の用語の使い方も許される部分があると思います。皆さんは、どう思われるでしょうか。
私は、山本清先生の唱えられた「山陰地方連合体」といった描き方に興味を引かれています。
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