いずものこころ

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古代出雲には、「国譲り」神話のほかに、大和に屈服したもうひとつの伝承があります。このblogでも一度記述しましたが、『日本書紀』の「崇神紀」にある大和政権による「出雲振根(イズモフルネ)」の諌滅(かんめつ=いさめてほろぼす)物語です。

天皇が出雲の「神宝」が見たいといって使者を派遣したところ、「出雲振根」の弟の「出雲飯入根(イズモイイイリネ)」は、振根が筑紫へ行って留守なのを良いことに、神宝を差し出してしまいます。これに怒った振根は、飯入根を殺してしまいます。振根の行為を聞いた大和政権は、吉備津彦(キビツヒコ)と武渟河別(タケヌナカワワケ)の武勇名高い将軍を出雲に派遣し、振根を殺してしまいます。

この記事につき、史実性が高いとして、出雲が大和に服従したと思われる実年代を探ろうとする考えがあります。古代史家の益田勝美先生はその著『古事記』の中で、次のように論じられます。

「出雲の大和への服従が、吉備よりも遅かったことは「崇神紀」の出雲振根諌滅のとき、吉備津彦が軍を率いて攻めていることからも、推測がつく。大和が出雲を支配権に繰り込む過程は、相当長期にわたるものらしい。門脇禎二『出雲の古代史』は、六世紀に始まり六世紀後半に侵略の度を強め、神門氏が降り(※降伏し)、“出雲国王”が屈服し、大和の地方官としての出雲国造と最終的になるのは、六世紀末〜七世紀初のこととみている。」、とまず門脇先生の説をとりあげられます。

次に自説を述べられ、「わたくしは、五世紀には大和の出雲の部分的支配がはじまり、六世紀後半に、出雲臣家の政治的支配権と祭祀権の分離に成功し、領有を完了したように考えている。祭祀王の支配する地方王権の解体には、相当に長いプロセスを要した、とみることには変わりがない。」、と論じられます。

このことでも判るように、出雲振根は、弟をも殺す怒りを持ったのですから、当然、大和からの侵攻には軍事力で必死に対抗・抵抗したことでしょう。しかも、出雲には単に人民を支配する「王」がいたのではなく、その「王」は、「祭祀王」という宗教的な背景を持ち、人々から絶大に支持されていたようなのです。この人々との結びつき、崇敬が他所からの支配を拒絶し、古代出雲の独自性の維持を支えていたものだと思われます。出雲と大和の関係が、「国譲り神話」だけでは済まされないものであったことがうかがえる重要な指摘です。

この「出雲振根事件」には、後日談が『日本書紀』に載っています。詳しくは稿を改めたいと思いますが、出雲の「神宝」は立派な(美まし)「鏡」だったらしいこと、それは、「どこかの河」に捨てられてしまったらしいこと、「神宝」を失った出雲では「神祭り」が途絶えてしまったらしいこと、などです。とすれば、「出雲振根諌滅」のときの争いは、「神々(王権)の争い」として、いかに激しい争いだったか想像できるように思いますが、詳しいことは古代のどの書物にも載っていないのです。

※古代出雲『天皇も見たいといった神宝』の謎は、 http://blogs.yahoo.co.jp/shigechanizumo/17064612.html?p=3&pm=l を参照してください。

「図」は、門脇禎二『出雲の古代史』より引用しました。


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