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古代出雲には、四柱の「大神」を祀る信仰がありました。しかし、中国や朝鮮半島との交流が深まると、在来の宗教・信仰のみならず、様々な信仰形態が伝えられるようになったはずです。漂流して出雲にたどり着いた渡来人や、交易を目的として出雲を来訪した渡来人など、いろいろな形で伝えられたことでしょう。
それらの宗教や信仰は、古代出雲の人たちや社会に、どのような影響を与えたのでしょうか。道教・密教・仏教・儒教あるいはシベリアのシャーマニズムなど、さらには南方系のトーテミズムなどは、必ずや出雲の人々の精神生活にそれなりの影響を与えたことは確実です。そして、あるものは習合し、あるものは痕跡となり、またあるものは排斥されたりもしたことでしょう。
まさに、縦糸横糸が乱麻のごとく絡み合っているのが、宗教・信仰の世界だと思われます。ここでは、今も出雲に残る修験道の痕跡を取り上げて、考えてみることにします。
修験道を取り上げるのは、この信仰が渡来系の宗教である密教・儒教・道教・仏教と関係し、さらに日本古来の神道、山岳信仰とも関係している、まさに信仰のるつぼのようなものでもあるからです。
出雲と同じように、修験道の盛んだったところに阿波地方があります。阿波一の宮は、徳島県鳴門市大麻町の「大麻比古神社」です。この神社は、石見の三隅町に勧請され、「大麻山神社」となっていますが、ここは、石見でももっとも修験道の盛んな聖地だったといいます。修験道は、大きな地域間交流ももたらす存在だったのです。その阿波の徳島県立博物館のホームページの修験道についての説明を見てみましょう。
『修験道とは、日本古来の山岳信仰をベースに、仏教や神祇信仰、陰陽道が習合して形成された宗教である。古代に実在した役小角(役行者)が開祖とされ、今年が1200年忌といわれる。しかし、実際には特定の開祖はおらず、中世から近世にかけて教団や教義が整っていった。』
『修験道を担ったのは山岳修行によって霊力を身につける山伏である。彼らの活動は山に限らず、里における庶民の信仰とも深く関わった。したがって、修験道は、日本文化に不可欠の要素といえる。』
『日本列島の山々の多くは、何らかの意味で信仰の対象となっていた。恵みのもとであったり、祖霊の帰るところであったりと観念の内容は様々だが、「霊山」は身近なところに見出されていたのである。それらのなかには宗教者の行場となったり、やがて寺社が整備されたりと発展する場合も少なくなかった。そうした霊山は、修験道の世界の核でもある。』
『山伏は、山岳修行により宗教的な能力を身につける。「山に伏す」ことから山伏(山臥)といわれた。特定の霊場寺社に拠点をもちつつも、各地の霊山を渡り歩いて修行する「旅の宗教者」でもあった。』
『山伏は、修行によって自らの能力を高めるだけでなく、庶民信仰とも深く関わった。中世には、各地で熊野信仰をはじめ、霊山信仰がさかんだったが、そうした信仰を広めるとともに、霊山への引導をする先達の大半は山伏だった。また、山伏たちは、祈祷など呪術的能力を発揮して、庶民の生活に入り込んでいた。近世の阿波の場合、どの村にも山伏がくらしており、その存在は日常生活と切り離せないものだったのである。』
実に分かりやすく書いてあります。このことをベースに、古代出雲と修験道の関係を考えたいと思います。
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どの村にもいるとするとお坊さんのような役割をしていたのでしょうか?
2007/7/29(日) 午前 0:55 [ mar*co1*71 ]