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文献的な古代史研究を行なうにあたって、出雲国と伯耆国の一番の違いは、出雲国については完本に近い『出雲国風土記』が残っていますが、伯耆国については『伯耆国風土記』が残っていないことです。しかし、『伯耆国風土記』が作られたことは間違いないことでしょう。そして、それを読んだ人たちもいたはずです。
このことが関係するのかどうか、伯耆の国には風土記が残っていたら書かれていたであろうと思われる、不思議な伝承や伝説が残っています。伯耆の国を流れる日野川流域には、鬼伝説・伝承や河童の伝説・伝承、そしてハンザケ(大山椒魚)伝説・伝承がたくさん残って今も語り継がれています。
一方、『出雲国風土記』には、阿用の「一つ目の鬼」伝説があるくらいで、鬼、河童、大山椒魚、大蛇といった奇怪な妖怪のような伝説は、記載されていません。奇怪な話が多いのは『常陸国風土記』です。そこには、大蛇の化身などの妖怪が出現し、退治されたことなどが書いてあります。
出雲には「ヤマタノオロチ」退治という、妖怪退治の元祖のような神話があるではないか、と反論されるかもしれませんが、これは中央で作られた『古事記・日本書紀』に出てくる話であって、出雲で出雲の人が作った『出雲国風土記』には、その物語は記載されていないのです。
伯耆の国の鬼伝説によると、それらの鬼は天皇やその臣下の武将によって退治されます。『常陸国風土記』でも、「夜刀の大蛇」は天皇によって退治されます。しかし、『出雲国風土記』では、そもそも天皇が出雲の国に巡幸したという記事も無ければ、妖怪を退治したという話もありません。
何故なのでしょうか。今回は、伯耆の国の妖怪の、具体的に伝承されている話や、『常陸国風土記』に記載されている内容を検討して、この謎を探検してみたいと思います。
その前に、この妖怪伝説の多い日野川とはどんな川なのか、ある人は「妖怪ゾーン」などと言っていますが、説明しておきます。
日野川は、源流を出雲の斐伊川(オロチ退治のあの川です)と同じ、船通山(鳥髪山)あたりに発し、多くの支流を抱えながら日本海に流れ出る一級河川です。船通山(鳥髪山)といえば、スサノヲが降り立った山です。斐伊川と同じように流域の山々からは、砂鉄が採れタタラ製鉄が盛んでした。
国引き神話で有名な二つの綱の一つである、弓ヶ浜半島の砂州を形成したのもこの川なのです。このように見てみると、日野川と斐伊川(もとは肥の川=ひのかわと呼ばれていました)は、同一の源流から発した兄弟のような川だったのです。
斐伊川は、『古事記・日本書紀』の出雲神話に登場し、ヤマタノオロチ退治で全国的に有名になりましたが、日野川の方は同じように重要な役割を果たしながら、大げさな舞台には登場しませんでした。
しかし、先に指摘したように不思議な伝説・伝承に包まれた川なのです。次回にしましょう。
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はじめまして、ランダムから来ました。出雲のなぞ…ちょっと興味津々。 どっから読もうかな。。。
2006/5/22(月) 午後 4:04 [ あんず ]
ランダムできました。先日伊勢神社へ参りましたが、一度、出雲大社にも行ってみたいと思っていたところです。
2006/5/22(月) 午後 5:25
amz_col さん>興味のあるところから楽しんで下さい。コメントもお願いします。
2006/5/22(月) 午後 5:30 [ shigechanizumo ]
funyamahさん>これから季節が良いのでぜひお出かけください。コメントもお願いします。
2006/5/22(月) 午後 5:32 [ shigechanizumo ]
妖怪といえば、水木しげるを思い出します。
2007/8/18(土) 午前 0:30 [ mar*co1*71 ]
出雲と伯耆というとイザナミ神が埋葬された墓所があるとかと古事記に載っているんでしたよね。
2007/8/27(月) 午後 1:41 [ マリオ ]
確かにイザナミの陵墓と比定されているところがあります。伯太町と八雲村にあります。広島県西城町の比婆山にもあるとされたり、紀伊にもあるというのが不思議なところです。
2007/8/27(月) 午後 3:30 [ いずものしげちゃん ]