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のどかな田園風景と、静かな山並が続く出雲ですが、意外と古代の戦乱抗争の神話や伝承を拾い出すことができます。今回は、これらが何を意味するものなのかという疑問を抱きつつ、探検してみたいと思います。
戦乱や抗争といっても、大きく3つに分けることができます。ひとつは、出雲の外部への侵攻です。もうひとつは、古代出雲での内部抗争。最後は、進出してきた外部勢力との抗争です。
まず、一番少ない出雲が外部へ侵攻したという戦いを見てみましょう。これは、『出雲国風土記』が記載する『天の下造らしし大神、大穴持命、越の八口を平け賜ひて、還りましし時、長江山に来まして詔りたまひしく、・・・』というものを挙げることができます。
『越の八口を平け賜ひて』とあることから、侵攻したことに間違いありません。しかも、出雲の東の端の長江山あたりに帰還するのですから、出雲の外に侵攻したことも間違いありません。しかし、『越の八口』とはどこか、何の目的だったか記載されていません。
そして、何よりも問題なのは、この平定の後オオクニヌシは『我が造りまして、命らす国は、皇御孫の命、平らけみ世知らせと依さしまつらむ。但、八雲立つ出雲の国は、我が静まります国と、青垣山廻らし賜ひて、玉珍置き賜ひて守らむ』と言ったとされていることです。『出雲国風土記』に書かれている、「国譲り」ともいわれています。
ここで、オオクニヌシは『自分が造って、治めてきた国は皇御孫に差し上げますが、但し、八雲立つ出雲の国は、自分が静まります国として守ります。』といっていることから、オオクニヌシは、出雲以外の国も造ったり平定してきたが、「この出雲の国だけは差し上げませんよ」と宣言しているのだと解釈する見解があります。
ただ、そうしたことは『記・紀』には記載されていないのです。しかし、後の回で触れることになりますが、このことを深読みすれば『記・紀』が記述する国譲りとは大きな矛盾点となります。
『記・紀』によれば、オオクニヌシは全てを譲る代わりに、大きな宮を建ててもらい、そこへ隠れるとなっているからです。「八雲立つ出雲の国は、自分が静まります国」ではないのです。「自分が静まります」のは、「国」ではなく「宮」なのだからです。
この考え方からすれば、古代出雲は「越の八口」以外にも侵攻し平定していたのではないか、ということになります。とすれば、古代出雲は意外とあちこちで戦闘をしていたのではないかとも想像されるのです。そして、それらを大和政権に譲ったのではないか、ということも考えられるのです。
それにしても、オオクニヌシや古代出雲が外に向かって侵攻したというのは、この記載以外に見当たりません。大和政権が『記・紀』で、あちこちの地域を征伐したと、血なまぐさい話をたくさん載せているのとは大違いです。
次には、古代出雲での内部抗争を見ていきたいと思います。
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