いずものこころ

みんなで古代出雲を探検しましょう!

全体表示

[ リスト ]

イメージ 1

古代出雲『縄文と弥生の融合』の謎(その1)

先日の、山陰中央新報社の新聞に『島根県奥出雲町三沢の寺宇根遺跡から、川石を並べた縄文時代の配石遺構が、十五日までに見つかった。調査にあたる奥出雲町教委は「集団墓地や祭事の場だった可能性があり、島根県内で配石遺構が見つかるのは珍しい」としている。』

『遺構は、出土した土器などから、縄文時代後期から晩期(3500年〜2700年前)のものとみられる。二カ所で約二十センチの川石を円形や楕円(だえん)形に並べ、うち一カ所には円の中に小石を敷いていた。周囲からは、縄文土器や、ペンダントのような滑石製の装飾品、黒曜石の矢じりなども出土。穴を掘って人を埋葬したとみられる土坑墓(どこうぼ)も約十カ所見つかった。今後は、配石遺構の下部を調べる予定。』という記事が載りました。

私は、古代出雲は日本列島の中で、一番理想的な『縄文文化と弥生文化の融合』が成立した地域ではなかったかと考えるようになりました。今回は、そのことについて述べようと思います。

現在、「縄文文化と弥生文化において断絶はなかったか」とか、「斑状文化(縄文と弥生がまだらに混じった文化)」といった形でいろいろな議論がありますが、日本列島全体を巻き込んだ形での大きな議論も大切ですが、一地域から見た「縄文文化と弥生文化の融合」について考えてみるのも面白いのではないでしょうか。

例えば、『「ズーズー弁」が日本の古代音であるとの説がある。すなわち、古代には日本全国これを用いていたが、都会に軽快な語音が発達し広がるにしたがい、ズーズー弁の区域は逐次減少し、残された区域が出雲・越後・奥羽地方の辺鄙な所のみになったというのだ。筆者はおおむねこの説を支持するものだが、縄文人の言語が「ズーズー弁」であり、弥生人の侵攻によってその区域が減少したとみたい。』という指摘があります。

なるほどそうかもしれないと思います。また、古代史の古田武彦先生は、『出雲国風土記』にある、「国引き神話」の表現に「縄文」を見ることができるとして、次のように指摘されます。『「弥生神話」をメインとする『古事記』『日本書紀』に対して、「縄文神話」を多分に含むと思われるのが『出雲風土記』である。 ここには原出雲から出雲へと発展していったプロセスが、端的に示されていると言えよう。』とされ。

さらに、ある人は『日本文明の特色は、一言で言うと「縄文と弥生の融合」ということになると思いますが、その融合というものを最初に達成したのは、古代出雲王朝であろうかと思います。出雲王朝は邪馬台国よりも40年前に出現し、東西日本の分け目となるフォッサマグナを超えた連合政体を日本海側に実現しているからです。現在でも太平洋側はここを境に、東は縄文的西は弥生的な名残が残っています。一方日本海側はあまり明確でなく、山陰の出雲弁と東北弁が類似しているといったことが見受けられます。』と指摘されています。

こうした指摘からもわかるように、縄文文化の名残や痕跡から、縄文文化が排斥されて弥生文化となって発展したのではなく、「融合」というプロセスを経ているのだということ(これにはあまり異論のないところですが)、むしろ、その「融合」が「古代出雲で最初に達成された」のではないかということは、これからもっと検討されて良いことなのです。次回にしましょう。

開く トラックバック(2)


.
いずものしげちゃん
いずものしげちゃん
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

過去の記事一覧

Yahoo!からのお知らせ

検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事