いずものこころ

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ところで、山陰中央新報の記事に『島根県奥出雲町三沢の寺宇根遺跡から、川石を並べた縄文時代の配石遺構が、十五日までに見つかった。』とありますが、奥出雲や、飯南町といった中国山地の深い山中だけでなく、出雲でも海岸や湖畔においても、たくさんの縄文遺跡が発見されてきました。

縄文時代とは山林の中で、採集生活をしていた時代と想像しがちですが、そうではなく多様な地域で、多彩な生活が展開されていたのです。

作家の司馬遼太郎さんは、『日本列島は、太古以来、文明という光源からみれば、紀元前300年ぐらいに、稲を持ったボート・ピープルがやってくるまで、闇の中にいました。この闇の時代のことを、日本では、土器の模様からとったネーミングとして「縄文時代」といいます。この採集生活の時代が8千年もつづいたというのは、驚くべきことです。』

『文明は、交流によってうまれます。他の文化から影響をうけずにいると、人類はいつまでも進歩しないということを雄弁に物語っています。縄文の時代のある時期の人口はほぼ30万程度だったろうと推定されています。』と『この国のかたち』の中で書いていらっしゃいますが、少し違うように思います。

特に、海岸に面した縄文遺跡からは、すでに彼らは外との交流や、集落間の交流をしていたことがわかっています。例えば、青森県の三内丸山遺跡では、『今から約5500年前〜4000年前の縄文時代の集落跡で、長期間にわたって定住生活が営まれていました。他の地域から運ばれたヒスイや黒曜石なども出土しています。』とありますし、福井県の鳥浜遺跡でも、他から運ばれてきたであろう栽培植物などから交流の跡が知られています。

出雲でも、松江市のサルガ鼻洞窟遺跡や、大社町の菱根遺跡などは汽水の海面に面し、多彩な生活活動をしていたものと思われます。したがって、『文明は、交流によってうまれます。他の文化から影響をうけずにいると、人類はいつまでも進歩しないということを雄弁に物語っています。』という縄文観は今では通用しないといってよいでしょう。

さて、ここで海岸部の縄文遺跡、特に日本海側の遺跡に住んでいた人たちの交流はどうして図られていたか、考えてみましょう。なんと、これが森浩一先生などが指摘された、「潟湖」を使った弥生時代の交流と同じような形態ではなかったのか、ということに気づきます。

出雲の西からたどっていくと、「出雲大社境内遺跡」「菱根遺跡」は、斐伊川が形作った潟湖「神門の水海」に面しています。「サルガ鼻洞窟遺跡」も、中海に面しています。鳥取県の淀江潟にも旧石器時代から続く遺跡があります。東郷湖、湖山池といった潟湖もそうです。兵庫県・京都府の久美浜、竹野潟などと続き、福井県の三方五湖の「鳥浜貝塚遺跡」に到着するのです。さらに、石川県の真脇遺跡などの越の海岸を経て、遮光型土偶で有名な「亀ヶ岡遺跡」へと至るのです。

これらは、稲作や弥生文化が東進する日本海側のルート上に並んでいるのです。とすれば、稲作以前にも、このルートを使った交流があったと考えて間違いないのです。

しかし、縄文時代の人口は西日本よりはるかに東日本の方が多かったとされています。では、縄文時代にはなぜ東日本の方が、優勢だったのでしょうか。この原因を作ったのが、佐々木高明先生などが指摘される、ブナ林文化と照葉樹林文化の違いなのです。次回にしましょう。

閉じる コメント(3)

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縄文文化について、興味がありますので、とても参考になります。
縄文終期には稲作も行われていたようですが、それは水田ではなく、畑作としての稲作と言われています。水田は集団行動というかコラボレーションがないと成り立たないシステムですので、稲作があったかどうかというより、そのような水田をなすシステムがあったかどうかで、縄文と弥生を区別していると思われます。
これからも読ませていただきます。どうぞよろしく。

2007/11/16(金) 午後 2:36 [ nao_torachan ] 返信する

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nao_torachanさん>おっしゃるとおり、そのコラボレーションが、後々、様々なバリエーションで展開されるのですね。

2007/11/16(金) 午後 3:14 [ いずものしげちゃん ] 返信する

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7000年前の海水面が高かったことを縄文海進と言い、2200年前の弥生海退では2メートル海面が下がって湿地が広がったといわれています。丁度そのころ、中国大陸の戦国春秋時代で、シナ大陸の人口は十分の一に減ったと中国の文献に記載されています。正にその頃に日本列島における弥生人の人口爆発が起きたことが、豊後大野歴史民俗資料館の人が教えてくれました。

弥生の本格農耕水田稲作が九州から始まって西日本に広がり、弥生人口爆発が起きていた。
九州王朝は、弥生人口爆発の西日本全域から、兵士を徴集できたのだ。

2012/10/12(金) 午後 9:31 [ 中国韓国の原発リスク ] 返信する

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