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『出雲大社の立地と大社造り』の謎のシリーズで、オオクニヌシが妻問いをしたという伝承のある、ヒメ神たちが登場しました。今回は、これらのヒメ神たちに関する謎を考えてみたいと思います。予備的に http://blogs.yahoo.co.jp/shigechanizumo/12521525.html を参照してください。
「矢野遺跡」の矢野神社には、オオクニヌシが妻問いをした「八野若日女命(やののわかひめ)」が祀られ、少し離れますが、朝山神社には「眞玉著玉之邑日女命(またまつくたまのむらひめ)」が、そして那賣佐(なめさ)神社には、本妻といわれる「若須勢理姫命(わかすせりひめ)」が祀られています、と書きました。
その他にも、「宇賀神社」の「綾門日女命(あやとひめ)」などもいます。これらのヒメ神たちは、出雲西部の平野部の神社に祀られる土地神として、今も崇拝され社殿もチャンと整備されて残っています。
ところで、『記・紀』において登場するオオクニヌシゆかりのヒメ神は、越の「ヌナカワヒメ」や、筑紫の「タギリヒメ」や天津神の「ミホツヒメ」などがありますが、これらのヒメ神は、先ほどの土地神と違い、大きなスケールと物語の中に登場します。
問題は、オオクニヌシが妻問いをしたとの伝承が残る、出雲西部のヒメ神たちの存在です。さらに、『出雲国風土記』は、天降った「女神」たちを記載しています。健部郷の伝承として「宇夜都弁命(ウヤツベノミコト)」、また、飯石郷の伝承として「伊ビシ都幣命(イビシツベノミコト)」、さらに、波多郷の伝承として「波多都美命(ハタツミノミコト)」が天降ったとしているのです。これらのヒメ神たちも『記・紀』には登場しない、在地のヒメ神なのです。
なぜ、古代出雲の伝承として、これだけ多くのヒメ神が登場してくるのでしょうか。理屈っぽく考えて、「そもそも男神の妻問いは、各共同体の間の結合や連帯を意味するもので、小さな共同体が大きな共同体へと収束していく流れを表現した伝承だ」という見方も正しいのでしょうが、出雲に残るこれらの多くの伝承は、もっと深い痕跡を持っているのではないかと考えてみたいと思います。
それは、出雲に残されたこれらの痕跡は、『古代母系制社会』が出雲において典型的に存在し、それがオオクニヌシという出雲を代表する男神と、それを取り巻く「母系」の伝承として残ったものではないのだろうかという仮説なのです。
『母系氏族社会では、部族は血縁によって一つに結び付いていて、老祖母が統率者で、その子孫が部族の構成員だった。部族は、後輩を慈しみ、欲を少なくして争わず、陰を貴び、柔を重んじ、自然無為であることによって統治されていた。そこでは、父系祖先の社会のような厳しい刑法や繁雑な礼儀はなく、宗法礼教によって部族の人々を束縛することもなかった。』という指摘があります。
この中でも、『部族は、後輩を慈しみ、欲を少なくして争わず、陰を貴び、柔を重んじ、自然無為であることによって統治されていた。』という指摘は、まさしく、古代出雲の社会観を言い当てているように思えて仕方ありません。
また、大和政権は北方騎馬民族系の父系制社会の規範を持ち込んでいるとよく言われますが、先の指摘からは、『その社会には、父系祖先の社会のような厳しい刑法や繁雑な礼儀があり、宗法礼教によって部族の人々を束縛することがあった。』ということになり、これもまた、古代大和政権の社会観をよく言い当てられているように思えます。次回にしましょう。
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なるほど、女性の感性だからこそ成り立ったわけですかね。男性の政はどの世も理想主義で破壊的ですよね。自然界は、女性中心の社会構成なのに人間だけは男性中心ですよね。ここが大きな違いなのかな〜?賛否はあるかと思いますが女性の考える社会摂理のほうが人道的に感じる今日この頃です。ウサギの話なんかの民話と交えた出雲のお話もおお白そうですね〜。
2006/7/25(火) 午後 1:14
COMBOSTさん>そうだと思います。もう少し読んだらまたコメントくださいね。お待ちしています。
2006/7/25(火) 午後 5:42 [ shigechanizumo ]
、『部族は、後輩を慈しみ、欲を少なくして争わず、陰を貴び、柔を重んじ、自然無為であることによって統治されていた。』は誰の指摘ですか。老子の桃源郷と同じ感じがしますが。
2008/7/13(日) 午後 0:04 [ KK ]
KKさん>孫引きなので正確な出典は分からないのですが、陰とか自然無為などという点から、そのようなあたりからのものだと思います。
2008/7/14(月) 午前 9:04 [ shigechanizumo ]
まあいずれにしても摂家に土足で神話の話に入ってもらいたくはないな。
2013/2/15(金) 午前 0:53 [ 古雅 ]