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出雲地方に大雨が降り、浸水被害も出ました。その後は、ものすごい猛暑です。こういう時は、妄想モードの文章を書いてしのぐしかありません。
さて、今回は、「二つの王権」というシリーズを書こうと思います。以前から、チラチラと、触れてきているのですが、ここでその姿をご紹介したいと思います。
古代出雲における「二つの王権」とは、農耕社会が作り上げた支配社会と、鉄文化にまつわる古代出雲における産鉄民を中心とした支配社会を指します。具体的には、オオクニヌシに代表される、国土開発・農業生産の営みの中での発展形態として構築された社会と、スサノヲに代表される、中国山地の山間部における採鉄・製鉄の営みの発展形態として構築された社会の二つが、出雲に並存した時期があったのではないかという私の妄想です。
単線形の発展段階を採るなら、これらは、それぞれに存在はしたが明確な区別はなく、次第に融合しながら社会を形成していったということになるのでしょう。しかし、ある程度明確な区別がつき、それぞれが独自の文化と政治形態を持ち、その上に推戴する首長・指導者を持っていたと考えるなら、複線的な並存が考えられるのです。
山間部を東西に走る「スサノヲライン」を考えておられる、瀧音能之教授も、もうひとつそれとは別の、平野部を東西に走る「オオクニヌシライン」についても考えていらっしゃるように思えます。
瀧音能之教授は学者ですので、きちんと論証されてからその実態を発表されるのでしょうが、ここで私は、妄想モードに名を借りて、私なりの考えを書きたいと思います。
以前の「古代出雲『ヤマタノオロチの正体』の謎(その5)」で、「平野部の農業生産と、山間部での産鉄・製鉄生産が、相対立するような形では、とても古代出雲をクニとして経営することはできません。しかし、その中でも農業生産はクニの経営の基盤ですから、そちらを優先させなければなりません。とすれば、クニの統率へと向かう首長候補スサノヲは、まず、産鉄民一族たちを平定・順化しなければならなかったのです。これが、ヤマタノオロチ退治の真相だったのです。」と書きました。このシリーズでは、そのことをもっと分析したいと考えたのです。
まず、「鉄」の生産は、日本列島に内発的に発生したものではなく、外地からもたらされたものだという点に間違いはないだろうと思われます。
一方、農耕社会は、確かに稲作も外地からもたらされたものには違いないのですが、日々の食糧獲得という営みは外地からもたらされたものではなく、人が生きるための自発的な行為からきているものです。とすれば、基本的に農耕社会は、前からあるもの、後からきたものとの複合文化の社会です。
しかし、「鉄」や金属器の生産過程は、文化の複合による日々の普通の人々の生活の営みの中で作られたものでなく、そこで「鉄製品」が作れるか作れないかの問題なのです。発明ということも考えられますが、「鉄」が日本で発明されたものでない以上、日本でも作れるか作れないかの生産技術の問題であり、それは、誰が、どこからもたらしたかの問題となるのです。
確かに、古代出雲で「古代鉄生産」が行なわれました。とすれば、それは、誰が、どこからもたらしたかということが、とても重要な第一歩となるのです。次回にしましょう。
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