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東北芸術工科大学に、赤坂憲雄さんという教授がいらっしゃいます。私が東京にいたとき、東大の学生さんで、いろいろ迷いながらたくさんの本を読んでおられたようです。その後、在野にあって民俗学・文化人類学を学び、研究する人として、本を出版され始めました。
『異人論序説』、『王と天皇』、『山の精神史』、『漂泊の精神史』など、魅力のある内容の本です。そして、東北芸術工科大学に招かれ、『東北学』という分野を切り開かれようとされています。
その中で、赤坂さんは『いくつもの日本』という提唱をされています。この考え方は、切り口や視点を変えながら、広くこの日本列島を眺めてみると、そこには私たちが見過ごしてきた、あるいは、気づかずにいた、たくさんの事柄が発見できるというものです。
こうした考え方は、『東西/南北考』(岩波新書)でも語っていらっしゃいますが、そうした考え方を、「東北地方」という場所を中心に発信しようと考えられたのです。その一端には、「蝦夷・エミシ」、「毛人」などと呼ばれ、大和政権の国家統一の波を、最後に真正面からかぶった東北地方の民俗・信仰・精神史などを、古代にまでさかのぼって検証することによって、「単一民族国家日本」という幻想を突き破ろうとする考え方が見えます。
では、出雲地方はどうなのでしょうか。荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡のような大発見によって、従来の古代出雲観が見直されてきたことは間違いありません。しかし、赤坂さんのような大きくて、柔軟な観点から、「古代出雲を問う」というような試みは、残念ながら緒に付いたとさえもいえないのではないでしょうか。古代出雲という宝の山を、もっと掘り起こして見るとどうなるのか、そんな気持ちがしています。
というわけで、ささやかながら『いくつもの出雲』と銘打って、赤坂憲雄教授とは似ても似つかぬシリーズを書こうと思います。
今までこのblogでも書いてきたように、古代出雲の足跡は、即物的ですが、今も日本列島各地に残っています。
まず、丹波の「元出雲(出雲大神宮)」、埼玉(武蔵)の「氷川神社」、福井・石川・富山・新潟(越)の出雲系の神を祀る「一の宮」、信濃の「諏訪大社」といった古社にまつわる足跡があげられます。
次に、先のシリーズで指摘した、鳥取・福井・石川・富山に見られる「四隅突出型墳丘墓」、さらには、尾張・武蔵・上野・下野などに見られる「前方後方墳」・「方墳」といった出雲の墳墓・古墳系の足跡があげられます。
また、因幡・播磨・吉備・越・常陸・讃岐・伊豫にみられる、砂鉄からの製鉄に関する出雲の足跡といったものも見られます。
そして、なによりも、古社とも関連しますが、特に医薬・農耕・国土開発に関する多くの出雲系の神々の足跡があります。
こうしたことが、それぞれの地域にどのように語り継がれたか、なぜそのような足跡があるのか、出雲の人たちはどのようにその地域に関わったのか、様々な想像の翼が広がります。まさしく、足跡の数ほどの『いくつもの出雲』と言えるのではないでしょうか。まず、水野祐先生の『古代の出雲』という本の記述によって、「東国」に残された出雲から始めたいと思います。
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