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今回は、学習院大学の諏訪春雄先生が、「諏訪春雄通信」で、述べられていることをなぞりながら、伊勢と出雲のことについて考えたいと思います。
『私がこの通信でかんがえようとしていることは、伊勢神宮と出雲大社であって、大和と出雲ではありません。ここで留意すべき点を二つあげておきます。
a, 伊勢神宮は出雲大社と対立・拮抗する神社として創建された。
b, 三輪神社の祭神大物主神と出雲大社の祭神大国主神とは同一神格である。
このきわめて興味ぶかいa,b二つの留意点を中心にさらに次回以降、伊勢神宮と出雲大社の関係を検討します。』との前置きがあります。
そして、『東の朝日の地伊勢の伊勢神宮にたいし、西の夕日の地出雲の出雲大社と考える説が、西郷信綱氏にあることにふれました(『古事記の世界』岩波書店・1967年)。西郷氏はつぎのようにいいます。
「出雲にしても、神代の物語でそれが決定的ともいえる役を演ずべく割り付けられたのは、宮廷にまつろわぬ勢力がたんにそこに蟠踞していたからではなく(中略)、大和が東であり、この東としての大和からみて出雲が海に日の没する西の辺地にあたっていたという宇宙軸の存在であったと思う。」
この提言がいかにすぐれたものであるかは、私のこの通信の読者の皆さんなら容易におわかりのはずです。』とされ、「宇宙軸の存在」を指摘された西郷信綱先生を評価されています。
次に、諏訪先生は『しかし、私は西郷氏のことばをつぎのようにいいかえます。「中国の北方原理にもとづく南北軸重視の思想が日本にあたらしくはいってきて、国家と政治の指導理念となっていった時代にも、王権護持の観念体系に、中国の南方原理に由来する太陽信仰の東西軸重視の思想が存在していた」というように。』として、さらに深い領域に入って行かれます。
なるほど、両先生ともに、私たちが単なる方位として「東西南北」を考えることに対し、古代人の考えの中には、それ以上の思想が含まれていたというのでしょう。とりあえずは、「中国の南方原理に由来する太陽信仰の東西軸重視の思想が存在していた」ということが重要なことだとされています。大和から見れば、出雲と伊勢が、「西と東」の関係にあることは事実です。
次に、出雲大社の概要と、伊勢神宮の概要を述べられ、次のように続けられます。
『両神社ともに成立年代はあきらかではありません。はっきりしていることは、出雲大社の原型が誕生したときに、伊勢神宮はまだ存在していなかったということです。したがって、原出雲大社に伊勢神宮の影響はありません。しかし、伊勢神宮が誕生したときには出雲大社は存在していました。伊勢神宮は出雲大社との関係のなかに造営、経営された可能性はつよかったといえます。』両神社の造営の前後を、出雲大社の方が先とされています。
最後の、「伊勢神宮は出雲大社との関係のなかに造営、経営された可能性はつよかったといえます。」という言葉はとても重みを持つように思われます。「出雲大社なくして、伊勢神宮なし」とも読めるからです。
そして、『また出雲大社もいったん誕生したのち、原型がそのままに保存されたのではなく、幾度か改修の手がくわえられたはずで、そのさいには伊勢神宮との関係が考慮された可能性はあります。両社がもつことになった関係性に注目しながら、二つの神社の本質を解明してゆきます。』とされています。
「両社がもつことになった関係性」とは何なのでしょうか。次回にしたいと思います。
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