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出雲には四つの神奈備山があります。島根県の説明の中には『「かんなび」とは、「神の隠れこもれる」という意味です。「かんなび山」は信仰の対象として古代人に祭られていた山のことを指します。一般 には「神奈備」と書きますが、出雲国風土記には「神名火山」、「神名備野」、「神名樋」と書かれています。出雲国風土記には「神名火山」は意宇郡、秋鹿郡、楯縫郡、出雲郡の4カ所あったとされます。』とされるものがあります。
しかし、「かんなび」という言葉自体には、様々な解釈があり、必ずしも一義的なものではありません。そして、なぜその山が神奈備山とされたのかについても、たくさんの説があります。今回は、出雲にある四つの神奈備山を検討しながら、古代出雲の謎を考えてみたいと思います。
意宇郡の神奈備山は、「茶臼山」と今日では呼ばれています。秋鹿郡の神奈備山は、「朝日山」です。楯縫郡の神奈備山は、「大船山」です。そして、出雲郡の神奈備山は、「仏経山」と呼ばれています。
四つの山やその周辺には、いずれも古代の伝承が残っていたり、遺跡や遺物が見つかっており、ただ偶然に、あるいはバラバラにこれらの山が「神奈備山」と呼ばれるようになったとは考えられないように思えます。まずは、それぞれの山とその周辺を見渡してみましょう。
近年最も注目を浴びているのは、出雲郡の神奈備である「仏経山」です。というのも、この山の東約2.5キロの場所で、一ヶ所で全国のこれまでに発見された銅剣の数を上回る、358本という大量の銅剣が発見された荒神谷遺跡があるからです。どんな山でしょうか。
標高は366mで四つの神奈備山の中では一番高く、さらに最も目立つ山です。頂上からは斐川平野、島根半島、日本海が一望できます。『出雲国風土記』は頂上に曽支能夜社(そきのやのやしろ)が鎮座するとしていますが、今はふもとにあります。
また、この山の東の周辺には、荒神谷遺跡やウヤツベという天降った女神を祀る神代神社や、タケミナカタを祀っている諏訪神社・兵頭神社などがあります。ふもとの平野は、斐伊川の平野部への出口となっていて、出西という地名となっています。この出西あたりには、「神氷(かんぴ)」とか、「阿宮(あぐ)」とか「求院(ぐい)」といった珍しい地名があります。
特に、求院という地名起源は、『日本書紀』に由来するといわれています。垂仁天皇の皇子である「ホムツワケ」は、30歳になっても喋ることが出来なかったが、皇子が鵠(くぐい・白鳥)が飛ぶのを見て「あれは何だ」と喋りはじめたとされ、その白鳥の「くぐい」が「ぐい=求院」となったとされているのです。
この出来事に喜んだ垂仁天皇は、杵築(出雲)大社の大修繕を行なったとされています。たしかに、仏経山は出雲大社の東境内、来春オープンする「古代出雲歴史博物館」の敷地からは、とてもよく見晴らせます。確かに、何かありそうな山だと感じさせてくれます。次回にしましょう。
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