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最近、とても魅力的な説に出会いました。今回は、その説を取り上げながら古代出雲を考えたいと思います。
その説は、古代史研究家の石渡信一郎氏が、『聖徳太子はいなかった〜古代日本史の謎を解く』という本で論じられているものです。
・・・『四世紀中ごろ、畿内を中心とする西日本に、弥生文化に代わる新しい文化、すなわち古墳文化をもたらした渡来集団は、加羅(伽耶)系統と推定されます。』・・・
・・・『四世紀の初めに楽浪・帯方の二郡が滅亡し、朝鮮南部では古代国家の建設がはじまりました。このころ、加羅(伽耶)系集団が北部九州に侵入し、その地にあった邪馬台国を滅ぼし、その後、瀬戸内海沿岸を経て、大和に入り、四世紀中ごろに大和に王都を置く古代国家を建設したと考えられます。』・・・。
このようなことから論述を進めておられます。つまり、騎馬民族国家とか北方ツングース系民族といった、壮大な話からではなく、邪馬台国や北部九州の国々が交易をしていた、一衣帯水の朝鮮半島南部の小国である伽耶国が北部九州に侵攻し、邪馬台国を滅ぼした後、大和に都した(東遷した)とされるのです。
今まで、このblogでも鉄交易などの関係で朝鮮半島南部のことに触れてきましたが、それをさらに細かく検討したことはありませんでした。しかし、伽耶と古代出雲を結びつけるのではないかとして、加夜奈留美(カヤナルミ)という名を持つ、オオクニヌシのヒメ神や、荒茅(あらかや)とか出雲郷(あだかや・え)など「かや」のつく神名や地名を指摘しています。
さらに、「古代出雲『下照姫』の謎(その6)」では、『「加夜奈留美」が、なぜ怪しい名前なのでしょうか。お気付きだと思われますが、「加夜」=「伽夜・伽耶」。すなわち、朝鮮半島南部の「伽耶国」のヒメ神ではないかとなるのです。とすれば、このヒメ神が有名になればなるほど、古代出雲と朝鮮半島南部の小国群である「伽耶」、「加羅、阿羅・安羅・阿耶」、「金海(キメ)」といった国々との関係が暴かれることになるのです。』といったことも書きました。
石渡先生の論証の根拠のひとつともなっていますが、確かに日本の地名のなかには、「かや」と付く地名がよく見当たります。「賀陽・加陽・賀夜・賀屋」などは、「かや」となりますし、その他にも思い当たるところがたくさんあります。そうした痕跡が、石渡先生の論拠とすれば、ここで、ちょっと深く考えてみるのも面白いと考えました。しかも、古代出雲とも関係するのです。
そして、この説では実在したであろう最初の天皇とされる「崇神天皇」は、伽耶から渡来した王であり、その大和での拠点はなんと三輪山のふもとであり、纏向(まきむく)遺跡は四世紀中ごろに出現した伽耶系の古代国家の王都だとされています。
ここでも興味深い想像が湧いてきます。このblogでも何度も触れたように、崇神天皇と古代出雲は何かと縁があり、さらに、三輪山と古代出雲も重大な関係があります。とすれば、古代出雲と伽耶と崇神天皇・三輪山・纏向遺跡とは、あるくくりで結ばれるのではないかと考えるのです。もっとも、石渡先生の説では、出雲はほとんど登場しません。次回にしましょう。
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