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今年も出雲大社には、たくさんの初詣の人々が訪れました。三が日で60万人以上だそうです。それぞれの思いで、お参りをなさったことでしょう。
今回のシリーズは、思いつくままに「出雲大社」の謎を拾ってみたいと思います。主に引用し、参考にするのは『出雲大社』という、第82代出雲国造の「千家尊統(せんげたかむね)」さんが書かれた本です。「学生社」からの出版です。
出雲大社の「御神体」は一体何なのか。今日でも、はっきりした回答はありません。例えば、大神神社の御神体は、背後の三輪山であるとされ、山そのものが神体で、そこから三輪山は「神体山」であるとされています。
神体山では、神体を祭る本殿はなく、私たちは拝殿を拝むことになります。しかし、出雲大社には本殿があり、そして拝殿があります。本殿の存在は、その中に祭られる「御神体」があるということを意味します。
出雲大社も、裏山である「八雲山」が神体山ではなかったか、との説があります。確かに、出雲大社という構築物が出来て初めて出雲の信仰が始まったのではなく、それ以前から信仰があり、崇める対象があったのですから、出雲大社という構築物が出来る前は「八雲山」が御神体であり「神体山」だったのかもしれません。
八雲山のふもとには、三輪山と同じように大きな磐座が、出雲大社の背後にせり出しています。その磐座のひとつに、現在は「素鵞社」が鎮座しています。「スサノヲ」が祀られています。
では、現在の出雲大社本殿の中の御神体はどのようなものかを想像した、幾つかの説を紹介しましょう。
1.『七宝の筥(はこ)』であるという説があります。これは、源経頼という人が1031年に、風もないのに出雲大社が倒れたという際に、その社中に安置されていたのが『七宝の筥(はこ)』だったと書いているというものです。
2.『九穴の鮑(あわび)』であるという説があります。これは、松江城主「松平直政」が、「我は当国の主となったから神体を見せてもらいたいと、国造の止めるのも聞かずに見たところ、それは大きな九穴の鮑で、それが忽ちに10尋(ひろ)ばかりの大蛇となったので、直政は畏れてそのまま退出した」ということから語られているものです。
3.また、加茂百樹という人の『神祇回答宝典』という本には、大社の神体は『鏡』だとしているという指摘があります。
こうしたことについて、千家尊統国造は・・・『このように推測はまちまちであるが、いずれもただの想像説であって、御神体は誰でも拝すことのできるものではない、と私はこれまで答えてきた』・・・と、書いていらっしゃいます。
しかし、それに続けて・・・『ただご遷宮の諸記録を見ると、御神輿かき(おみこしを担ぐ人)の人数はたびたび増加していることから、あるいは御神体に異動でもあったのではないかと疑ってもみている』・・・と、されています。
さらに、・・・『大社の御神体には御衾(ふすま)をかけ申してあるという』・・・とされ、天孫降臨の際の「真床覆衾(まどこおおふすま)」を連想し、・・・『神霊の尊貴は、これを覆い外界と遮断するものがなければ、まことに畏れ多いとしたのが人々の古くからの考え方であった』・・・と、されています。
出雲大社は何度も建て替えられていますので、御神体が本殿内部に置かれているのなら、建て替えの際のドサクサなどの時に、誰かが見たということはあったのでしょう。しかし、出雲国造にしてよくわからないというのが、御神体の御神体たるゆえんではないでしょうか。
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御神体が何なのか、とても興味があります。何なんだろ…移動する際の囲んだ白い布の範囲からして大きい物なのかな…と推測していましたが、そうでも無さそうかな…このブログを読ませて頂いたあとに考え方が変わりました。
2013/5/10(金) 午後 2:44 [ アリオン ]