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荒神谷遺跡を中心として、東に大黒山のある学頭地域、西に仏経山(神奈備山)のある出西地域にかけての平野部は、広い地域であるにもかかわらず、出雲の四大神を祀るような有力な神社はありません。加茂岩倉遺跡のある、加茂・木次・大東平野も同様です。
出雲東部には、野城大神、佐太大神、熊野大神の三大神がいます。しかし、出雲西部には、「天の下造(つく)らしし大神」すなわち大国主命(杵築大神)しかいません。すべてを、大国主命に託していたのでしょうか。そうとは思えないような気がしています。
まず、地域の大きさ、広さを比較しても、出雲東部に三大神であれば、出雲西部にもそれに類する数の大神が、予想されてしかるべきではないでしょうか。
次に、出雲東部の三大神は、いずれも古代農業共同体の中から生まれた、オリジナルで、しかも、それぞれの圏域の人々の護り神、あるいは依って立つべき信仰を支えていた土着神なのです。あるいわくがあって、降って湧いたように祀られた神ではないのです。
また、それらの神々は、今も神社に祀られ、その神社も地域の信仰を支えつつ現存しているのです。格式も出雲一の宮、二の宮といわれるほど高いものです。これらと同じように考えるのならば、杵築大神が担う領域はあまりにも広すぎるのです。最終的には、いちばん神格・神威の高い大神として、「天の下造(つく)らしし大神」となったのかもしれませんが、その前史には、もう何柱かの大神が、出雲西部にいたと考えるのが妥当ではないでしょうか。
私には、あと二柱の大神が、出雲西部にいたように思えます。そして、その所在は荒神谷遺跡を中心とする一帯の信仰を支えていた大神であり、もうひとつは、加茂岩倉遺跡の南面である今の木次・大東の、斐伊川が一本にまとまる地域の信仰を支えていた大神です。
このように考えると、出雲東部の三大神と、出雲西部の三大神としてバランスが取れるように思えます。ただ単に、バランスとして考えるだけでなく、そのように考えなければ荒神谷遺跡一帯の人々や、加茂岩倉遺跡一帯の人たちは、一体どのような神を祀って農業生産にいそしんでいたのか分からなくなるからです。
確かに、それらの地域にも、例えば荒神谷遺跡近くには、「神代神社」や「御井神社」があり、加茂岩倉遺跡の南面には、「木次神社」や「神原神社」があります。しかし、出雲東部の三大神とは全く別の理由で祀られている神々であって、同列にはできないのです。
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安来の野城大神がまつられている能義神社のほうが
一番不思議。圧倒的にみすぼらしい。かわって、清水寺は山陰では一番大きな大寺院です。出雲神話の謎、大神の謎は実は清水寺に隠されているのかも。
2008/6/5(木) 午後 8:45 [ 綾杉 ]
綾杉さん>清水寺、鰐淵寺と出雲の関係はもっと深められる必要がありますね。
2008/6/6(金) 午前 9:16 [ いずものしげちゃん ]
根本堂にいざなみ景気の秘密があるってほんと?
2008/7/7(月) 午前 8:20 [ ガテマラ ]