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今回は、鳥越憲三郎先生の『出雲神話の誕生』という本を引用させてもらいながら、どのようにして出雲神話が誕生したのかを検討してみたいと思います。
この本は、2006年10月に講談社学術文庫から発刊されたのですが、実は1966年に創元社から『出雲神話の成立』という題名で最初に発刊されたものです。1966年といえば、40年も前で、しかも、まだ出雲での考古学上の発掘において、大きな成果があったという時代でもありません。
荒神谷遺跡や、加茂岩倉遺跡はまだ発見されていませんし、出雲独特の四隅突出型墳丘墓などの研究も、あまり進んでいない時代です。しかし、当時においても文献学的な研究は、戦前の「皇国史観」から解放され、大いに進展していた時代です。講談社学術文庫は、鳥越先生の研究を、今日でも価値あるものとして文庫に加えたのです。http://blogs.yahoo.co.jp/shigechanizumo/41233127.html
とはいえ、やはり40年の歳月と、その間のさまざまな進展、新発見は、この書物を批判的に読まなくては、納得のいかない部分があるということを感じさせます。では、鳥越憲三郎先生がどのように書いておられるのか検討してみましょう。
・・・『神話創作者は出雲をつねに高天原に対する根国、顕国に対する黄泉国、天つ神に対する国つ神、征服者に対する被征服者という対蹠的立場において眺め、そうした線に沿って神話を構成している。』・・・と、されます。
そして、・・・『出雲の取り扱いの上に一定した法則というか、何か取り扱い方の決め方があったことが分かるであろう。』・・・として、大和政権が出雲に対して何ごとにつけても、一定の法則を持って対処していたことが、出雲神話に対しても様々な影響を与えたのだろうと考えられます。
出雲神話が『記・紀』における「神代巻」の三分の一を超える分量になったのも、・・・『したがって当然、結果的には出雲に関する神話が神代巻の三分の一以上を超える分量となった。』・・・とされ、決して、出雲神話が内容において重要なものであったからというのではなく、「AとB」、「黒と白」というような語り口をする限り、その対比のために必ず出雲が持ち出されるために、分量が大きくなったとされるのです。
私たちは、安易に、出雲神話は「神代巻」の三分の一以上も占めるのだから、重要なものだったのだとかで済ますのですが、ちゃんとこうした他の理由があるとされているのです。
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先駆者というだけでも凄いですね。その人は。まぁ、解明されていない、注目もされていないものを書く時は、主観でものを言うしかないですからね。若干のズレや多少の間違いはあるとは思いますが・・・・
2007/2/5(月) 午前 10:23 [ - ]
star1ret2of3oninomehassingoさん>ご訪問ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
2007/2/5(月) 午後 5:01 [ shigechanizumo ]