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今まで検討したところからすれば、最高品質の鉄が出雲で採れることと、後には最大の和鉄生産地になったことは確認できるものの、砂鉄を使った製鉄技術は出雲に発したと言い切ることはできないようです。
したがって、『砂鉄から鉄をつくるたたら製鉄の技術は、播磨から、吉備や出雲に伝わり』という指摘を間違いだとすることもできないのです。では、播磨から発した製鉄技術はどのように出雲へと伝播したのでしょうか、という前提で以下空想してみたいと思います。
播磨の宍粟郡は、鳥取県東部に近い位置です。鳥取県と兵庫県の県境に近い所には、一級河川の千代川流域が広がっています。この流域は鳥取砂丘を形作ったように、砂鉄を含んだ花崗岩質の山々とその源流があります。千代川とその支流の上流では、製鉄遺跡がたくさん発見されているのです。
また、岡山県県境を源流とする一級河川である天神川流域も、三朝町をはじめとして、たくさんの製鉄遺跡があります。さらに西にある一級河川の日野川流域は、溝口町、日南町の鬼退治伝説に見られるように、鳥取県最大の産鉄地域でした。
このように、播磨で製鉄技術が発生したとするのなら、その伝播は、播磨から因幡、伯耆の各産鉄河川の上流をたどりながら、最終的には日南町に至り、そして島根県の伯太川、飯梨川流域に到着したと考えられるのです。伯耆と接する出雲の東部でも、この2河川では鉄を産し、それは「雲伯鉄」と呼ばれていたのです。
さらにその伝播は、日野川と船通山を分水嶺とする、後に最大の産鉄河川となった斐伊川流域へと続いたと考えられます。そしてさらに西へと進み、神戸川流域、石見の静間川流域、さらに江の川(ごうのかわ)流域の「石見鉄」へと続いたのではないでしょうか。これは日本海側ですが、瀬戸内側にも高梁川流域などの瀬戸内海に注ぐ河川の上流を通過しながら、備前・美作・備中・備後と西進していったことになります。
さて、先ほどの指摘には『つまりもともと、出雲・吉備・播磨・因幡・三丹などの中国山脈を擁する西国は全部が出雲であり、時代によっては全部が吉備であった。』という部分があります。もし、これを播磨に発生した製鉄技術を中心にして考えるのなら、そうとも言えるといっても良いかもしれません。しかし、問題は、そうした鉄文化・技術の同一的なくくりが、はたしてクニとか支配関係、そして政治関係と同一に取り扱われてよいものなのか、疑問が生じる所なのです。
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奇跡の出雲刀(島根古代出雲博物館オープン) 古墳時代にはすでに鉄製の刀剣が作られていた。例えば埼玉県の稲荷山古墳や島根県の古墳時代前期を代表する出雲の大型方墳である造山古墳からは鉄剣、大刀が出土している。稲荷山古墳から出土した金錯銘鉄剣には雄略天皇に仕えた功績を記念して471年に作ったとの由来が115文字の漢字で刻まれている。この時代の刀剣の多くは朽損しているが、島根県安来市のかわらけ谷出土の金銅装環頭大刀は、奇跡的に優れた保存状態にあり、古代の輝きを今に伝える稀有な例として有名である。
2007/3/25(日) 午後 8:10 [ 伝和鋼館 ]
伝和鋼館さん>島根古代出雲博物館に展示してあるのでしょうか。行ってみたいですね。これからもよろしくお願いします。
2007/3/26(月) 午前 9:05 [ shigechanizumo ]
>伝和鋼館さん 安来では弥生時代の大刀も出土してますよね。
2007/4/6(金) 午後 10:04 [ もじら ]
もじらさん>確かに、大刀の出土は松江東部から安来にかけてのほうが、出雲西部よりいいものが出ていますね。
2007/4/7(土) 午前 9:18 [ shigechanizumo ]
さすが古事記の天叢雲剣の伝説があった地帯ですね。
2007/4/14(土) 午前 0:26 [ NEO ]
NEOさん>コメントありがとうございます。そのとおりですね。これからもよろしくお願いします。
2007/4/14(土) 午後 3:52 [ いずものしげちゃん ]
久保田博士の説くCCSCモデル感動しました。
プラントメンテナンスの保全技術としてラマン分光を
用いる提案大変重要と思います。
2019/6/14(金) 午前 3:34 [ 井上謙一 ]