いずものこころ

みんなで古代出雲を探検しましょう!

全体表示

[ リスト ]

イメージ 1

荒神谷遺跡や、加茂岩倉遺跡の発見や、出雲大社の存在、さらには『記・紀』に書かれた出雲に関する事柄などから語られる、「古代出雲巨大説」は本当なのでしょうか。今回はそのことについて書いてみたいと思います。

今回は、古代出雲は巨大だったということを、古代から時を経ること約千年の1500年代に起こったことを類推しながら、出雲は巨大でありえたということを空想したいと思います。引用するのは、中世の戦国大名の尼子氏と毛利氏の活躍です。そして、参考にさせて頂くのは「佐々木斉久さん」という松江在住の方のblogです。
http://blogs.yahoo.co.jp/nigiribotoke2000

まず、出雲あるいは中国山地を中心として日本海から瀬戸内海にまたがる地域を、一まとめにした支配領域を形成したのは、尼子氏と毛利氏です。そして、これは歴史的事実です。とすれば、古代出雲もそのような領域を形成した一時期があったのではないかという類推も可能なのです。

尼子氏は佐々木さんによれば、・・・『「陰陽十一州の太守」尼子経久。その清定のあとを継いだのが清定の嫡男、尼子経久です。経久は主君・京極氏の命令に背いたため、代官を罷免させられます。しかし経久は、流浪の末に富田城を乗っ取ることに成功し、その勢いで近隣諸国をつぎつぎと占領していきました。』・・・

・・・『経久の領国は、安芸国(広島県西部)・備後国(広島県北部)・備中(岡山県西部)・備前(岡山県東部)・美作(岡山県北部)・播磨(兵庫県南部)・因幡(鳥取県東部)・伯耆(鳥取県西部)・出雲(島根県東部)・石見(島根県西部)・隠岐等(島根県隠岐地方)の11ヶ国に及び、「陰陽十一州の太守」と呼ばれるまでになりました。』・・・とされています。
http://blogs.yahoo.co.jp/nigiribotoke2000/7679846.html

そして、その尼子氏は・・・『毛利元就は大内氏を倒して大勢力に成長していました。元就は晴久の死を知ると、さっそく出雲国の攻撃を開始します。義久は、九州の大名・大友宗麟と連絡をとりながら元就の攻撃をよく防ぎましたが、結局はかなわず、籠城戦の末に降伏してしまいました。』・・・ということになり、代わって毛利氏が、中国地方一円の支配者になるのです。

両氏に共通しているのは、広い平野を抱えて勢力を伸ばしたというよりも、山城のような所から出発し、次々と領土を拡大し、ついには広大な領土を支配したことです。

閉じる コメント(2)

顔アイコン

どうも、佐々木です。少々補足しようとおもったのですが、別の記事をトラバしちゃいました。

2007/4/27(金) 午前 1:42 佐々木斉久

顔アイコン

佐々木さん>色々とありがとうございます。よろしくお願いします。

2007/4/27(金) 午後 2:44 [ shigechanizumo ]

開く トラックバック(1)


.
いずものしげちゃん
いずものしげちゃん
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

過去の記事一覧

Yahoo!からのお知らせ

検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事