|
朝鮮民主主義人民共和国の金錫亨という先生の唱えられた「分国論」という説があります。今回は、このような考え方もあるのだということを参考に、空想をしたいと思います。まず、「分国論」どういうものなのでしょうか。
・・・『「分国論」とは何か。『日本書紀』に朝鮮半島の三韓三国の名前がたくさん出てきます。日本の天皇の「三韓征伐」が出てきたり、百済を服属させさり、加耶を平定したりする。しかし『日本書紀』に出てくる地名は朝鮮半島にある本国の名前と同じだが、本国のことではないという考え方です。すべて分国が日本列島の中に同じ名前としてある。その分国に対して天皇が支配していたことを『日本書紀』が伝えている。『日本書紀』が伝えているのは日本国内、日本列島内の話だと。それが「三韓三国の日本列島内の分国」ということです。』・・・という解説があります。
・・・『つまり朝鮮半島の本国が持っている植民地が日本列島内にあったという考え方です。それまでの考えを逆転させる考え方です。この「分国論」は、その後も発展する形で金錫亨先生は66年、『初期朝日関係史研究』を書かれ、日本でも抄訳が出ています。』・・・とされています。
ここでいう三韓三国とは、朝鮮半島の「高句麗」・「新羅」・「百済」の三国のことです。そして、分国とはそれら三国の植民地的な国が、それぞれ日本の国内にあったということなのです。
一方、『日本書紀』で語られている神功皇后が行ったとされる「三韓征伐」は、普通の考え方では、日本から朝鮮半島への出兵となっているのですが、「分国論」では、同じ地名が日本列島の中にあり(分国)、その分国に対する「征伐」のことが書かれているのだということになります。分国論に立つと、大和政権は朝鮮半島には侵攻していないということになるということ、では、その分国はそれぞれどこの地域をさすのかという大問題が浮上するのです。
さらには、本国と分国はどのような関係だったのかとか、『分国に対して天皇が支配していたこと』とはどういうことなのかとか、なぜ、その分国を「三韓征伐」と称して征伐する必要が生じたのか等々、たくさんの疑問や問題が生じてくるのです。もちろん、古代出雲と分国、古代吉備と分国、古代筑紫と分国、そして大和政権との関係はどうであったか、という問題も生じるのです。そして、むしろその方をどのように論じていくかによって、分国論の論証の是非が問われるように思えるのです。
|
ランダムでうかがいました。興味深いお話ありがとうございます。
2007/8/16(木) 午後 4:24
めいきょさん>ご訪問ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
2007/8/16(木) 午後 5:00 [ shigechanizumo ]
そんな考え方もあるのかぁ。。。ぱっと見の感想では、「かなり素直ではない考え方」ですね^^; でも、歴史は「常識を疑え」がキーワード。どういう論拠でそういう結論になるのか、楽しみにしてます。
2007/8/16(木) 午後 9:37
佐々木さん>この論文は、当時かなり物議をもたらしたそうですよ。戦前の朝鮮半島支配の反動だという批判もあったようです。
2007/8/17(金) 午前 9:07 [ shigechanizumo ]
う〜ん、確かに日本の半島支配への反感から生まれた論だといわれると納得。。。
2007/8/17(金) 午後 6:28
佐々木さん>そうしたこともあって、一時期は日本にある古代のものはみんな朝鮮半島経由のものだ、などという極論に近いものまで出回ったそうです。
2007/8/18(土) 午後 2:47 [ いずものしげちゃん ]
神功皇后が征伐したのは、国内にあった植民地!。。。なるほど
「日本人は戦闘民族ではない」を持論とする私にとっては、納得できる話です。
2007/9/1(土) 午後 10:33 [ ポストカード1枚 ]