いずものこころ

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ここまで見てきたように、実は楯縫郡は非常に神秘的な内容を持つ郡なのですが、最終的には、平野部が大きく広がる出雲郡の下におかれるような関係になったのではないでしょうか。

というのも、先に紹介した「フル」とか「スサノヲ」の話を別にすれば、楯縫郡に有力な神格を持った男神は見えず、「天御梶日女命(アメノミカジヒメ)」とか、オオクニヌシが妻問いして断られたという「綾門媛(アヤトヒメ)」といった女神の伝承が中心となっているのです。

しかも、確かに出雲の四つの神奈備山の一つである「大船山」がありますが、そこにも、またその他にも、大きな神社や有力な神社は存在していないのです。一方、「天御梶日女命(アメノミカジヒメ)」を妻にした「アジスキタカヒコネ」は、隣の「出雲郡」にある出雲大社の境外摂社「阿須伎神社」に堂々と祀られています。

また、出雲地方の有力な墳墓である「四隅突出型墳丘墓」も楯縫郡からは、まだ見つかっていません。山すそまで迫ってきている宍道湖の影響と、山の多い地形と、なかなか開発が進まない沼地のような平野とが、その発展を遅らせたと考えられます。

そこから、楯縫郡の日本海側の津や浦に到来した渡来人やその集団は、開発が進み広い居住地のある出雲郡あたりの平野部へと移って行ったのではないでしょうか。しかし、楯縫郡の日本海側の長い海岸線が、多くの渡来人を受け止め、そして、出雲平野へと導いて、先進技術や文化をもたらした役割は高く評価されていたことでしょう。

そのことが、楯縫郡に残る「天」をかぶせた様々な神々の存在や、オオクニヌシの宮に奉る「楯」を造る神を天降らせたという名誉ある伝承が残された原因であると空想できるのです。

そして、同じく神奈備山がある隣の「秋鹿郡」が、佐太大神を奉じて出雲東部に組みするのに対して、楯縫郡はアジスキタカヒコネ、オオクニヌシを奉じる出雲西部に属するという立場ではなかったのではないでしょうか。

同じ日本海に面する、「秋鹿郡、嶋根郡」の海岸線の津や浦が受け止めた渡来人とその文化は、意宇地方や安来地方に流れて行って出雲東部の政治や文化を作り上げる役割を果たし、「出雲郡、楯縫郡」の海岸線が受け止めた渡来人とその文化は、出雲西部の政治や文化を作り上げる役割を果たしたと考えられるのです。

そして、その微妙な違いが、後の出雲東部と出雲西部の政治的対立の奥深い原因となったとも空想できるのです。これは、単に地方首長同士の対立ではなく、それぞれの首長を支える渡来人たちの系統やプライドとも関係した対立ではなかったのではないでしょうか。
http://blogs.yahoo.co.jp/shigechanizumo/28600974.html

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○ 西谷墳と仲仙寺墳、出雲大社と熊野大社に始まって以来、現在でも(長い江戸時代の影響も大きいのでしょうが)、農業や産業が盛んな出雲地域の人と、政治の盛んな松江地域の人との間には、慣習とか性格面でやはり結構温度差が残っているように思えますよね。

2008/1/31(木) 午後 10:04 [ MIYAJIMA750 ] 返信する

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kpe10985さん>そうですね。今でも微妙に違いますよね。 削除

2008/2/1(金) 午後 2:37 [ shigechanizumo ] 返信する

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こんばんは♪ いつも々、興味深いコメントありがとう御座います。
私のサイドとしている<卑弥呼の出所探し>には、ゆっくりじっくり訪問したいのですが、今のところ時間がとれなくて・・・(^^!)
東出雲と西出雲の微妙な温度差は感じておりました。西出雲には特に鳥獣に関する地名が多く、その昔には狩猟を主たる糧とする人達かと?、東出雲の女人系には意を強くしました。ありがとう御座います。いずれまた(深礼) 削除

2009/4/2(木) 午後 9:47 [ 平 素人 ] 返信する

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