いずものこころ

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出雲に古代華僑が朝鮮半島から工人を連れてきたなどと書くと、そんなことがあるだろうかと思う人もあるでしょう。

しかし、いまだに論争の尽きない卑弥呼が「魏の皇帝」からもらった鏡ではないかとされる「三角縁神獣鏡」について、中国の学者である「王仲殊」という先生は、三角縁神獣鏡は、中国の「呉」から日本に来た工人が、日本で製作したものだとされているのです。

王仲殊先生は、その呉の工人達がどのようにして日本に来たのか、詳しく述べられてはいません。しかし、フラフラと思いつきで日本に来るわけはありません。とすれば、誰かの命令があって、それを遂行する人達が工人を連れてきたということが考えられます。

しかし、もっと別の見方が可能です。卑弥呼が魏から鏡をもらって以来、日本のクニグニでは「鏡」が非常にもてはやされているということに目をつけた商人が、中国から銅鏡作りの工人を斡旋した、あるいは連れてきたという見方です。

商人にとっては、まずその原料となる中国製の銅そのものを交易材料とすることが出来ます。次に、日本に連れてきた工人がその銅で作った銅鏡や銅製品を、さらに日本国内向けの交易商品とすることが出来るのです。日本で様々な嗜好や好みを聞いて、それを中国へ行って中国の工人に伝え、製品が出来たらそれを日本に持ち込むなどという面倒なことをしなくてもよいのです。

いろいろな注文主の多様な好みに合わせた銅鏡を、日本で作ることが出来ることの方が、商人にとっても注文主にとっても都合がよいのです。このように考えると、あながち古代華僑が出雲に朝鮮半島から様々な工人を連れて来て、様々な製品を作らせ、それらを交易対象としていたと考えてもおかしくないことになるのです。

もうひとつ、これに似た考えが、先の宮崎市定先生の説です。先生は「古代出雲政権の興亡」という小論で、荒神谷遺跡で発見され国宝に指定された銅剣358本は、ストックされた商品だとされているのです。とても大胆な発想です。

この358本の銅剣は、出雲で作られたという説が有力ですが、そうだとすれば宮崎先生の説と合わせて、それは出雲で作られた商品であり、しかも、古代華僑が朝鮮半島から連れてきた工人が作り、古代華僑はそれを荒神谷に一括して保管して、他に売りさばこうとしていた物だという空想も可能となるのです。

荒神谷遺跡がある荘原地区には、明治以後は蒸気船が停泊する宍道湖の港があったのです。

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今に伝わる宮大工というのは、もともと百済から招いた工人ですからね。『和漢三歳図会』にも載っています。ここら辺は歴史の先生がきっちりと教え込まないと誤解が生じますよね。

2008/2/12(火) 午前 10:45 こういち 返信する

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koichi_cojpさん>知りませんでした。これからもいろいろ教えてくださいね。私も訪問させていただきますので、よろしくお願いします。

2008/2/12(火) 午前 10:56 [ いずものしげちゃん ] 返信する

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