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『出雲国風土記』には、出雲の神について、その神々が何かに祟ったとか、何かを呪って仕返しをしたなどという、おどろおどろした物語は何一つ載っていません。
一方、『古事記』や『日本書紀』といった中央で編纂された本には、「オオモノヌシの祟り」とか「出雲大神」の祟りといった類の物語がいくつか出てきます。しかも、出雲以外のある地方の神が天皇家やその縁者に祟ったなどという話は、ほとんど出てこないのです。なぜ、出雲系の神々が祟りや呪いをもって登場するのでしょうか。
今回は、いくつかの代表的な記載を元に、その謎について空想したいと思います。
まず、『日本書紀』の「崇神紀」に載っている有名な祟りから紹介したいと思います。その祟りとは、・・・『崇神天皇の御世に疫病が大流行し、多くの人民が死に絶えんばかりとなった。そこで、天皇は愁い嘆いて、夢で神託を受ける為の床で休むことにした。その夜に、大物主(オオモノヌシ)大神が夢の中に現れて「このタタリは私の意志によるものだ。意富多々泥古(オオタタネコ)をもって私を祭らせたなら、タタリによる疫病は収まり、国もまた平安になるであろう」と言った。』・・・というものです。
この祟りの特徴は、まず祟りが起こって異変が生じたのが大和の地であることと、天皇の身に祟ったのではなく、大和という地域における災害とか人民の間で流行った疫病、そして人民の離反という現象となって現れたということです。
それに対して、崇神天皇の対応は、オオモノヌシの言葉通りに行動したという点が空想の対象となります。どのような対応かというと、・・・『そこで国を挙げて意富多々泥古(オオタタネコ)という人を捜し求めたところ、河内の美努村で見つかった。』・・・『天皇は「天下は安らかになり、人民は栄えるだろう」と、とても喜んで、さっそく、意富多々泥古を祭主として三輪山にて意富美和之大神(オオミワノオオカミ)を拝み祭った。』・・・というものです。
大物主(オオモノヌシ)大神は、オオクニヌシの「幸魂・奇魂=和魂」とされていますから、この大神の祟りは、出雲系の神の祟りといえます。では、なぜ祟ったのでしょうか。『私を祭らせたなら、タタリによる疫病は収まり、国もまた平安になるであろう』と言っていることから、十分な祀り方をしていなかったから祟ったのでしょうか。
ここで、問題となるのは、その言葉の前にある『意富多々泥古(オオタタネコ)をもって』という点ではないでしょうか。ある特定の神官によって祭られて始めて、十分な祀られ方となるのだと解釈できるのです。とすると、崇神天皇はオオモノヌシを祭ったのは良いけれど、その正式な祀り方を知らなかったということになります。
さらに深読みをすると、人民を平穏に災いなく暮らさせているのは、天皇の統治能力ではなく、自分の力なのだぞと宣告しているようにも思えます。その力を示すために、天皇自らに祟るのではなく、人民の疲弊・離反という現象を起こして、天皇を威嚇したとも空想できるのです。天皇さえも指揮することができる神、オオモノヌシ=出雲系の神ということになるのです。
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ブログって色々なことが書けて楽しいですね。
また、よらせてください。
2008/3/29(土) 午前 10:53
相変わらず鋭い考察ですね!
2008/3/30(日) 午前 0:14
カズさん>ありがとうございます。今度のシリーズはその次のシリーズとも関連しますので、楽しんでください。
2008/3/31(月) 午前 9:00 [ shigechanizumo ]