いずものこころ

みんなで古代出雲を探検しましょう!

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ある時代のある地域が、どんどん栄えて行く。そして、その時代のある地域は、過去の繁栄が嘘だったかのように衰亡を始める。その勢力の衰退を見透かしたかのように、その地域に侵攻が始まる。その地域の、首長は、何とか挽回したいと思うのは当然のことです。

今回は、大和政権の隆盛に対して、かつての雄国であった、出雲と筑紫はどのように動いて行ったかを空想したいと思います。

大和政権が、まだ大きな影響力を持っていなかった頃のことから想像してみましょう。筑紫は前面に玄界灘・対馬海峡を臨んでいます。玄界灘には、はるか南方から流れてくる対馬海流があります。さらに、壱岐・対馬を飛び石にして朝鮮半島があります。

対馬海流は、東シナ海を通る際に、中国江南の文化を運んでくるという重要な役割を果たしていました。朝鮮半島は、中国の文化を半島経由で筑紫にもたらす役割を果たしていました。

筑紫に到達したこれらの文化は、筑紫平野の繁栄の根源だったといえるのです。しかも、遠賀川・筑後川などが生み出す豊穣な土壌と平坦な平野部、そして温暖な気候は、弥生文化が豊かに花開くには最適の地域だったのです。伊都国、末盧国、奴国などが日本列島の中でもいち早く栄え始めたというのも当然だろうといえる地域なのです。

次に、出雲を見てみましょう。ここも、北部九州を経由した対馬海流が沿岸を洗うように接近する地域です。しかも、斐伊川という大きな川が沖積平野を形作り、さらに、海に面する平野部では、汽水の良港とされる入海である潟湖を形成していたのです。

しかも、筑紫から出雲に至るには、対馬海流に乗って、沿岸のかなたにそびえる中国山地の山々を目印にして航海する古代航法(山、岬や島など、陸上の目標物を対象にして船位を測定する方法。古くは、漁師などが陸地の特徴的な地形を目印にする「山アテ」と呼ばれる方法)が可能であり、かなり安全にたどり着くことができたのです。

一方、出雲から筑紫に至るには、より沿岸に近い海域を通ることによって、対馬海流が生み出す反転流(北上するのではなく、沿岸部に向かって反転・南下する海流)に乗りながら南下していけば、これまた安全にたどり着くことができたと考えられるのです。こうして、この二つの地域は、瀬戸内航路の開発以前は、密接に結びついていた地域だったと位置づけられるのです。

閉じる コメント(3)

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6年前に出雲に嫁いだものです。(とはいえ東京在住)
それまで中国地方にすら足を踏み入れたことなかったのに…
あそこはなんだか空気がちがいますよね!
もともと歴史好きなので出雲の歴史についても興味津々☆
荒神谷遺跡で神話の本を購入したりしました。
主人と共にちょくちょくお邪魔したいと思います。

2008/4/7(月) 午前 9:23 海と空

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こんにちは。今回のは、確かに私にも解りやすい内容です。(安心)

所で、私の4月9日のブログにもかいたんですが、新勢力のお家元、高千穂の天の岩戸の神主のお話を聞かれたことがありますか?

おもしろいですよ^^。

2008/4/10(木) 午前 11:40 kodori

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こどりさん>確か、この神主さんはHPも立ち上げて様々な面白いことを書いていらっしゃる方ではないでしょうか。今、そのHPのURLを引き出せませんが、そうであるならまたお知らせします。知っていたら教えてください。よろしくお願いします。

2008/4/10(木) 午後 5:10 [ shigechanizumo ]


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