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今回は、このblogを始めてから丸三年の日を迎えることから、少し新しい視点を交えながら空想したいと思います。
今回の題を『出雲包囲網』としました。聞き慣れないのは当然で、今までそのような言葉を使った人はいないのです。『古事記』・『日本書紀』によれば、出雲はオオクニヌシの「国譲り」によって、天孫族に国土を譲り渡したことになっています。
しかし、井上光貞東大名誉教授などの考え方では、史実的には出雲は西日本本土で一番最後に大和政権に屈服した国・地域であるとされています。しかもそれは、6世紀、7世紀などといった古墳時代も終わりに近いような時期だとされているのです。
神話と史実がまるっきり反対なのです。つまり、国譲り神話では出雲が一番最初に国を譲ったのですが、史実では一番最後に屈服した(国を譲った)地域とされているのです。しかし、ここには不思議な同一性が隠されています。どんな同一性かというと、出雲を何とかしなくては天孫族も、大和政権も最終的な目的、すなわち唯一の天下の支配者であるとは名乗れなかったというものです。
もっと具体的にいうと、高天原は出雲の国譲りがあった後、天孫族のニニギを天降らせています。出雲の国譲りがなければ、オオクニヌシが支配するという「葦原中国」には天降れなかったのです。そこで、タケミカヅチとフツヌシという豪腕の武神を高天原から送って、葦原中国(出雲)の国譲りを承諾させたとされているのです。
一方、史実的には、日本最大の内乱といわれる九州の磐井の反乱(527年)の時、すなわち継体天皇の時代にも未だ出雲の祭祀権は統治権と分離されておらず、大和政権は祭政一致の体制をとる出雲を、完全には掌握していなかったとされているのです。もっともその時代には出雲も、出雲国造として大和政権の配下に置かれたような形にはなっていますが、その独立性は非常に高かったとされているのです。
とすれば、大和政権がいかに統一的な支配者だと主張しても、いや、それでは出雲は独特の独立的な立場で出雲の地域に君臨しているではないかと反論される立場にあったと考えられるのです。しかし、史実的な面からも、神話的な面からも、出雲と大和が磐井の反乱のように、全面的な武力対決をしたという話はありません。であれば、どのようにして出雲は滅んだのでしょうか。あるいは滅んだのではなく、自ら大和政権に組み入れてもらったという状況も考えられるのです。
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出雲の人たちと、大和の人たちで、婚姻などが進み、平和的に融和したのでしょうか?
2008/8/18(月) 午後 11:51 [ ens*u_*os*2000 ]
ens*u_*os*2000さん>そうでしょうか。お楽しみに・・・。
2008/8/19(火) 午前 9:12 [ shigechanizumo ]