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今年も残り少なくなりました。この一年も、出雲を中心とした古代への空想の足跡を残すことができました。今回は、2008年一月からのシリーズを、総集編としてご紹介して、コメントも少し付けたいと思います。
第1回は、『出雲が大和に勝っていたら』の謎というものでした。その動機は「出雲は大和に敗れたという怨念のようなものばかりを引きずっているというのも、生産的ではないと考えるからです。」ということです。
http://blogs.yahoo.co.jp/shigechanizumo/52011106.html
そして、出雲という地域に政治・経済の中心が置かれたのなら、環日本海地域はもっと変わっていただろうと考えました。・・・『十三湊の安東氏も、環日本海交易によって大きく潤っていたのです。それよりもはるかに地の利の良い出雲が安東氏のような発想で自由に活動できていたら、安東氏の繁栄を上回る状況が生まれていたことでしょう。』・・・。
かなりの長さになりましたが、・・・『冷戦体制が崩れた現在も、政治的な図式はあまり変わっていません。しかし、近い将来には、古代出雲政権が夢見たような、環日本海を中心とした、日本海を囲む大きな経済交易関係が構築されるのではないでしょうか。その時には、出雲、若狭・能登・越といった地域に、対岸の朝鮮半島や華北や沿海州を結ぶ交易都市が整備され、日本海沿岸地域は「裏日本」という呼称を返上することになるのではないでしょうか。初夢のような空想です。』・・・としました。
第2回は、『楯縫郡(たてぬいのこうり)』の謎というものでした。・・・『現在、出雲郡や意宇郡に比べて、あまり有名ではなく、大きな神社もないところです。ところが、よく調べると不思議なことがたくさん詰まっているような地域なのです。結論を先に述べると、この地域は、対面する出雲郡の荒神谷遺跡がある地域と相並ぶような、古代出雲の有力地ではなかったのではないかと考えられるのです。』・・・と思ったからです。
http://blogs.yahoo.co.jp/shigechanizumo/52323326.html
結論は、・・・『同じ日本海に面する、「秋鹿郡、嶋根郡」の海岸線の津や浦が受け止めた渡来人とその文化は、意宇地方や安来地方に流れて行って出雲東部の政治や文化を作り上げる役割を果たし、「出雲郡、楯縫郡」の海岸線が受け止めた渡来人とその文化は、出雲西部の政治や文化を作り上げる役割を果たしたと考えられるのです。』・・・としました。
楯縫郡の神々は、「天御梶日女命(アメノミカジヒメ)」・「多伎都比古命(タギツヒコ)」・「石神」などですが、なんとなく他の郡とは違った雰囲気があることを感じました。うまく伝わったでしょうか。
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ご無沙汰してます。
毎日更新してますね。先日、隠岐の島に行きました。古代の隠岐は外敵もなく平和だったんですかね?それとも、海賊とか出てたのでしょうか?
2008/12/25(木) 午前 7:56 [ 青 ]
青さん>お久しぶりです。隠岐には古代に海人族の拠点があったという説があります。荒島にあるのと同じ四隅突出型墳丘墓も発見されています。黒曜石が採れるのでその搬出などで本土とはかなり往来があったのではないでしょうか。
2008/12/25(木) 午前 9:03 [ shigechanizumo ]