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今回、私は、「海路の出雲、陸路の大和」ということを空想したいと思います。
「海路の出雲」とは、列島各地に進出する手段として、出雲は海路を主な手段としていたという意味です。「陸路の大和」とは、列島各地に進出する手段として、大和は陸路を主な手段としていたという意味です。
今まで述べてきたことですが、出雲は日本海海域の各地域に拠点となる港湾を確保し、それを辿りながら東上したり西下したり、前回述べたように北部九州から瀬戸内海へと進出しているのです。
一方、大和政権は『日本書紀・古事記』の「四道将軍」とか「景行天皇・ヤマトタケルの九州征伐、ヤマトタケルの東国平定」の記載に見られるように、主に陸路を使って諸国への進出を行っているのです。この違いはどういう展開をもたらしたのでしょうか。
まず、海路での進出は、各地の港湾といったところが足がかりとなるのですが、その道中には海という自然の脅威以外は、妨げるものはありません。一方、陸路での進出は、道中に人や集団が暮らしているのですから、その間には自然の脅威以外に、各地域の土着勢力とか抵抗勢力という人や集団の脅威が、その進出を妨げる要因となります。
さらに、海路での進出は、到着までの見込まれる食料や水を船に積んで目的の港湾を目指すのですから、いわゆる兵站補給は初めから計算されたものとなっているのです。一方、陸路での進出は、現代と違い道路の整備はされておらず、さらに運搬車両といったものも荷車程度のものでしょうから、それほど多くの兵站補給物資を携えて目的地に向かうということは出来ません。
そのために、陸路での進出はたどり着く先々の人々や集団と、相対峙(戦いや懐柔)しながらの困難なものとなるのです。しかし、いったん切り開けば、その道中も含めて大きな成果が得られることになります。一方、海路での進出は、たどり着いた港湾には、平野などの後背地に土着の集団がいることになります。船に乗り組む乗員は少人数ですから、土着の集団に力や数ではかなわないことになります。そこで、海路での進出は、初めから友好関係を前提とした進出が予定されているのです。
ここに、海路での進出と、陸路での進出の大きな違いが出てくると思われます。意外と見逃されている視点なので、それについて詳しく空想していきたいと思います。
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